06話:クチナシに視えたもの

 あれから、何かを視てしまったあの時間から、一体どれだけの時が経ったのだろう。
 出来るだけ早く帰るつもりだったのに、いつの間にか日が暮れはじめている。答えのない疑問ばかりが頭の中を埋め尽くしていたからか、気づいた時には家の近所の公園まで足を進めていた。だけど、どうにもすぐに帰る気にはなれなくて暫くの間公園のベンチにただただ座っていたのだ。
 朱に染まり始めている空が、目障りなほど目につく。こうしていたところで考えることなんて同じなのだから、さっさと帰ればいいものを。どうしても、これ以上身体を動かすまでに至らなかった。

 あの雅間は一体なんだったのか?
 目の前にいたのは本当に雅間なのか?
 何かの間違いじゃないのか?
 だとしたら、今も残るあの冷たい手の感触はなんなのか?

 その答えは至極単純であるはずなのに、頭はどうやってもそれを拒否をし続けている。でも、俺の考えていることが正しいからと言って果たして出来ることがどれだけあるというのだろうか。その答えの方が簡単に弾き出されることが、俺は不思議でしょうがなかった。
 いっそ、全部見間違いだったのならどれほど良かっただろう。見間違いである可能性だって十分にあるはずなのに、その考えはすぐに消え去っていく。しかし、どうしても視なかったことにしたがっている自分がそこにはいる。こうやって矛盾を繰り返しながらぐずぐずしている自分が、非常に哀れだ。

 ――地面を歩く音が、何処かから聞こえてくる。

「……拓真?」

 聞き慣れたその声に、容易に耳を傾けるた。どうやら、やっと安堵して身体を動かすことが出来るらしい。

「宇栄原……」
「なにしてんの、こんなところで。あそこにはもう行ったんだよね?」
「ああ……」

 覇気のない適当な返事。わりといつものことではあるけれど、いつものそれとは全く違う。

「……なにか、あったの?」

 それ以上の言葉が俺から出てくることがなかった為か、宇栄原が再び口を開く。その問いに、俺は一体どう答えればいいのかかなり頭を悩ませた。さっきの出来事が、俺がそういう類のものを視れるという特殊な力によるものだったならちゃんと答えることが出来たのかも知れないし、何か適当な嘘だって簡単に思い付いたのかも知れない。でも、生憎そうではなかった。

「……雅間が」
「え……?」
「雅間がいた……」

 だからこうして、至極簡潔な言葉しか述べることが出来ないのだ。普通なら「何を言っているのか?」という顔をされるのが当たり前だが、宇栄原は違った。こいつは顔色一つ変えることをしなかったのだ。

「……なにが原因なのか、拓真は分かってるの?」

 俺が口にした一言だけでどうやら全てを悟ったようだったが、宇栄原が俺の言っていることを信じているのかどうかはその表情から読み取ることは叶わない。しかし、そこは余り気にする必要はないだろう。
 宇栄原が言うように、恐らく俺が一番考えなければならないのはそこだ。どうして雅間が、今も尚あそこに留まっているのか。それが分からなければ俺にはどうすることも出来ないし、原因に心当たりがないからこうして頭を悩ませているわけなのだ。
 そもそもの話、あれが本当に雅間だったのかも疑問が残る。

「あれが本当に雅間だったか、俺には余り自信がない」
「どういうこと……?」

 宇栄原に言ったところで到底分かる術はないだろうが、ああやって軽率に俺の手を握ってくるような奴だったとは思っていない。見当違いの可能性も当然あるけど、端的に言ってそれは考えられなかった。

「……幽霊になったら人格が変わるなんてことあるのか?」
「どうだろう……。そこに留まり過ぎて暴徒化するとか、何か大きな恨みがあるってことならあり得ると思うけど……そういう感じだったの?」
「いや……」

 その問いに、俺はすぐに言葉を返すことが出来なかった。そう聞かれると、暴徒化や大きな恨みといった類というのは少し考え難い。しかし、仮にも知り合いという状況のせいでフィルターがかかっている可能性もある。どちらかと言えば後者かもしれないという思いが邪魔をしたのだ。

「……気になるなら、おれ行ってみようか?」
「それは絶対駄目だ」
「そ、即答しなくてもいいじゃない」

 現状、一番早い解決方法は"幽霊が視える"宇栄原が行って確認するという方法なのだろうが、それは絶対に許さない。少なくとも、俺が関係しているところでそれはやらせない。絶対にだ。

「取りあえず帰らない? ここで考えてたって答え出ないでしょ」

 一応俺に答えを求めてくる辺り、宇栄原自身もそれなりに分かって言っているのだろう。そうじゃなきゃ、今度こそ大喧嘩に発展しかねない。

「というか、拓真って視える人だったの?」
「……お前から借りた本、鞄の中にまだ入ってる」
「ああ、それか……。というか、それ何か月前の話? 読まないなら返してよ」
「読まないなんて言ってないだろ……」

 乱雑にベンチに置かれた俺の荷物を、宇栄原が勝手に手に取った。それに合わせて重い腰を上げた時、冷たくなってきた風に紛れて明らかに嗅いだことのある甘い香りが俺の鼻を掠めたような気がしたが、それが何かを考える余裕なんてものを、今の俺は持ち合わせていなかった。
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