第21話:行動力の限度

 買い物の帰り、特別目移りすることなく市場の中を歩いていく。紙袋独特の擦れた時の匂いが鼻を掠めていくのには、もうすっかりと慣れてしまっていた。
 今日の市場はいつもとさして変わらない。事件があってからは確かに人通りが少なくなったようにも感じるが、それも言われなければ分からないくらいで、ごくごく普通の日常そのもののようにオレの目捉えている。事件がひとつふたつ起きたくらいでは、誰もが皆他人事だ。そしてそれは、当然オレも含んでいるわけなのだが……。
 果たして、すぐそこにある裏路地に続くような細道の隅で、猫と戯れているとある人物も同じ環境状況に置かれているのだろうか?
 道の隅と言っても、こんな人が多いところで堂々としゃがみ込むというのは余り出来るものではないと思うのだが、もしかするとオレの考えすぎなのかも知れない。少々人の目が集まっているようにも感じるが、オレはそれだけでは飽き足らず思わず足を止めた。

「……何してるの?」
「ん?」

 その道の隅でしゃがみ込んでいる人物というのは、ネイケルだったのだ。

「お前んちってこっちだったか?」
「いや、買い物の帰り……」

 手の内で転がっている猫をもて遊び、明らかに暇をしている貴族を前に思わず頭を掻いてしまった。

「貴族って暇なの?」
「暇だったらわざわざ隣街になんか来ねーって。あ、やべ……ちょっと待て爪引っ掛かってる」

 上着の裾に引っかかっているらしい猫の爪を優しく取り繕う辺り、ある程度猫の扱いに慣れているように見えた。家で飼っていたりするのだろうか?

「……猫好きだったんだね」
「別に好きってわけでもねーけど。勝手に寄ってくるっていうか」

 勝手に寄ってくるほどのマタタビでも密かに持っているのだろうかと一瞬疑ったけど、好きでもないということは別にそんなことはないのだろう。実は好きだけど隠している、というようにも見えなくて、それが余計にオレの首を捻らせた。

「……オマエさぁ」

 特に意味の無い雑談が一通り終わったところで、ネイケルはおもむろに口を開いた。

「今この街で起きてるアレ、路地裏のヤツの犯人に会ったんだよな?」
「犯人?」
「アレだよ。アルセーヌさんと、あとアルベルさんだっけ……が駆け付けたっていうヤツ」

 アルセーヌとアルベルが駆けつけた、というと思いつく事案はひとつしかない。裏路地で知らない男に襲われた時の話だろう。
 正直なところレズリーの一件で記憶の彼方に行っていたのだが、そう問われると昨日のことのように思い出せてしまう。自分が思っているよりも印象深く、かつ強烈的だったのだろう。あれ以来ひとりで迂闊に裏路地には入らないようになった辺り、多分そういうことだと思う。

「そういえば、そんなこともあったな……」
「……忘れるようなことじゃなくね?」
「だ、だって……あの日から色々あったから……」
「色々?」

 そう口にすると、ネイケルは途端に猫に興味を無くし目をきょとんとさせた。てっきり知ってるものかと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。
 オレは、ネイケルに出来るだけ伝わるようにあの日に何があったのか説明することにした。広場で噴水を見ていたら誰も居ない街中に変わってたということと、そのいつもと違う風貌の街にある、とある路地を進んでいったらレズリーの家にたどり着き、レズリー本人に出会ったこと。そこで左手首にぶら下がっているブレスレットを貰ったこと。そして、その後家に帰る途中で通り魔に襲われたというところまで、何とか口にすることができた。どこまで伝わっているかは定かではないが、ネイケルはこの話に深く突っ込んでくるようなことはしてこなかった。
 余り大きな声で言えない話ばかりだからなのか、気づけばオレも道の隅でしゃがみこむうちの一人となってしまっていた。

「……お前それ、帰ってこれたの奇跡じゃね?」
「そ、そうかも……」

 ネイケルの感想を聞くに、どうやらちゃんと伝わっているかの心配は余りいらなかったようだ。余り考えたことはなかったが、確かに行方不明とかになっていてもおかしくなかったかも知れない。

「アルセーヌとかに聞いてないの?」
「そのなんとかさんに関してはどっちかっていうと部外者だしな。つか、オマエが思ってる程アルセーヌさんには会ってねーし」
「……ご飯は食べに行くのに」
「飯食うにも金かかるからなぁ」
「そ、そうだね……?」

 思わず肯定してしまったが、貴族の口から金銭の話が出てきても余り想像が出来ない。お前らが思っているより貴族は金がない、とネイケルに言われたとしても、簡単に信用するのは難しいというものだ。

「で、その路地裏で会ったヤツ。なんか言ってなかったか?」
「なにかって?」
「いや別に、何も言ってなかったならそれでいいんだけど」

 そうネイケルに問われ、何か言われただろうかと改めて記憶を思い返す。アルベルに助けられるより少し前のことを、オレは真剣に頭の中で何度も反復した。

「殺してくれ、とかなんとか言ってたかも……」
「……それ、人に向かって言う台詞かあ?」

 頭を掻きながら、ここにはいない人物に向かってネイケルはため息をつきはじめた。

「気になることでもあるの?」
「んー……」

 聞いてはいけないことだったのか、ネイケルの口から苦悶の声が漏れる。そもそもオレはどうしてネイケルがこの街に来ているのかを知らないのだけれど、何か関係があるのだろうか?

「その事件関連でアルセーヌさんのとこ行かねーとなんだけどさー……いや、別に行けって言われたわけでもねーんだけど」

 聞き馴染みのある名前をネイケルの口から聞いた時、内心どきりとした。

「ちょっとなー、あんまり行きたくねーっていうか」
「……喧嘩?」
「いっそ、喧嘩の方がいくらかマシだったな……」

 マジで行きたくねぇわ、と嘆くネイケルを見て、オレはどこか既視感を覚えた。……既視感というよりは、まるでつい最近のオレを見ているようだった。

「じゃ、じゃあさ」

 悪い言い方をすると、これはオレにとって少し好機ではないかと思った。

「オレと一緒に行こうよ」

 そう口にすると、ネイケルはオレの顔を呆けた顔で見つめた。今すぐにでも「何言ってんだコイツ」と言ってきそうな顔から、思わず目を背けたくなる。それを必死に堪え、オレはネイケルのことを視界に入れ続けた。
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