第20話:懇篤の罠
店の開閉音は、オレの耳に入ってくるということはなかった。考え事をしていると、どうしても周りの音への意識が低くなる。こういうの、貴族だともっと上手く周りを把握出来たりするのだろうか? それとも単純に、オレの意識が低いだけなのかもしれないが。
「……帰ってきて早々に浮かない顔してるな」
皆のところに戻ると、いの一番に声をかけてきたのはおじさんだった。
「……ちょっと、怒られただけ」
「怒られた? 怒るっていうようなタイプにも見えなかったけど」
「怒られたっていうか……」
アルベルに言われたことを、もう一度思い返す。そう、アルベルは確かに怒ってはいなかった。怒ってはいなかったのだが、余り物事に口出しをしてこないアルベルがあそこまで言うということは、少なくとも機嫌がいいわけではなかったはずだ。
ああやって言われるようなことをしてしまっているというのは、流石にもう自覚している。
「ちゃんと説明しておけって言われた」
だが、それにしても遅すぎたのだ。
「世話になってるんだから、そこはちゃんと言わないと駄目だって」
おじさんとおばさんの少し驚いた顔は目に映ってはいたものの、それを余所にオレは更に言葉を進めていった。
「でも、何をどうやって言ったらいいか分からなくて……」
こんな説明で何がどう伝わっているのかは分からない。どちらかと言うと、頭の中を整頓するための独り言に近かっただろう。突然訪れたちゃんと話をしないといけない機会に、頭がついていかなかったのだ。
自分で作り上げた沈黙に逃げ出してしまいそうになるのを必死に堪え、オレは次の言葉を探している。
「……シント君が言いたくないなら、それで構わないんだよ?」
そんなオレを前に口を開いたのは、ローザおばさんだった。
「私たちじゃ、シント君の考えてることの助けにはなってあげられないから……」
「そ、そんなことないよ!」
オレにしては珍しく、と自分でも思う程に、この時ばかりは全力で否定をした。
「沢山、助けてもらってるよ」
驚くほどにすんなりと、しかし正確に発せられた言葉は、紛れもなくオレ自身の正確な感情だった。
オレがこの家にいるのは、きっと両親が二人の知り合いだったからというある意味での慈悲がそこにはあったのかも知れない。しかし、例えそうだったとしてもこの家じゃない場所でオレが暮らしていたらどうなっていたか、まるで想像がつかないのだから、そんなことは些細なことではないだろうか?
それくらい、オレにとっては最早切っても切れない場所なのだ。
「さっき、シント君が言いたくないなら言わなくても良いっていったけど……やっぱり嘘」
ついさっきおばさん自身が口にした言葉は、すぐに訂正された。
「何も話してくれないっていうのは、寂しいな」
寂しいという言葉に、とどめを刺された気がした。
オレが今何をしていて何を考えているのか、ちゃんと口にして向き合わないといけないと、そう思った。
「十年前の……父さんと母さんのこと、アルセーヌって貴族が教えてくれた」
なるべく簡潔に、しかしそれだけで全てが理解出来るような言葉の数々に身を任せた。
「事件があった家にも行って……少しだけど、思い出した」
その上で、レズリーに会ったということだけは伏せるしかなかった。いくら説明をしないといけないといっても、到底言うことは出来なかった。
それともう一つ、裏路地で犯人らしい人物に会ったことも口にはしなかった。口にしなかったというよりは、そこまで頭が回らなかったという方が正しいかも知れない。
「でも、まだ足りないって思ってる」
父さんと母さんの事件については、ある程度理解はした。理解したくないという駄々は今更こねない。何故なら、そうするには余りにも時間が立ちすぎているからだ。
「あそこで何があったかまで分からないと、オレ……」
そこから先の言葉が、どうにも上手く捕まらない。一体何を言おうとしてたのかも、最早よく分からなかった。
考えあぐねてしまっている間の沈黙の間、すぐそばにいたローザおばさんがオレの手を取った。
「……あのね、私たちはシント君のことを止める気は無いの」
オレが言葉を探している時、一番に動いて見せるのはいつもおばさんだ。
「シント君のやりたいようにやっていいんだよ」
それはまるで、笑顔を絶やさないおばさんに全てを見透かされているような感覚だった。
オレの目的が、説明をすることではなくいつの間にか承諾を得ることになっていたことも、それを分かったうえでオレに進言していることも、全部想定内だと言われた方が寧ろ納得がいくような、そんな気分だ。
しかしそれが嫌という訳では毛頭なく、どちらかと言うと来るべき時へ向かって後押しされているようだった。それが余計に、この家の人たちが哀しむようなことはしてはいけないという気持ちにさせていく。オレだって、別に危ないことをしようだとかそれに乗じて何かを企てようだとかは思っていない。
ただ単純に、過去に生きていた世界に触れたいだけなのだ。
「……難しいお話終わった?」
奥のほうに引っ込んでいたレノンは、答えを待つことなく僕のほうへと歩んでいく。パタパタと、少し世話しない音が部屋に響いた。
「お兄ちゃん、僕が作ったやつまだ食べてないでしょ」
「え? ああ……そうだったかな」
「だってセリシアのしか食べてないもん。僕見てたよ」
「ご、ごめん……」
そういえば、確かにオレが口にしたのは小さいものばかりで、それがきっと全部セリシアが作ったものだったのだろう。無意識だったのだが、そんなのはレノンからしたら関係なく、面白くなかったのだろう。そう思ったのだが、レノンの顔は特に嫌だとかいう感じでもないように見えた。
「……僕ねぇ、お兄ちゃんが好きなんだよ」
なんの脈絡もなく口にされた言葉に、思わず目を丸くしてしまう。まるでいつもの日常会話のようで、しかしいつもは行われることのない非日常的なものだ。
「お兄ちゃんは、僕のこと好き?」
なにか、レノンなりに思うことがあったのだろう。オレよりも年下の、まだ十にもなっていないレノンにそんな気を遣わせたのは紛れもなくオレだ。
「……うん」
レノンの質問には、無駄に考える時間なんて必要がなかった。
「ほんと?」
レノンの視線が、酷くオレに刺さっていく。
「ほんとだよ」
それに応えるには、オレもちゃんとレノンのことをしっかりと目に焼き付けなければいけないと、そう思った。
「……帰ってきて早々に浮かない顔してるな」
皆のところに戻ると、いの一番に声をかけてきたのはおじさんだった。
「……ちょっと、怒られただけ」
「怒られた? 怒るっていうようなタイプにも見えなかったけど」
「怒られたっていうか……」
アルベルに言われたことを、もう一度思い返す。そう、アルベルは確かに怒ってはいなかった。怒ってはいなかったのだが、余り物事に口出しをしてこないアルベルがあそこまで言うということは、少なくとも機嫌がいいわけではなかったはずだ。
ああやって言われるようなことをしてしまっているというのは、流石にもう自覚している。
「ちゃんと説明しておけって言われた」
だが、それにしても遅すぎたのだ。
「世話になってるんだから、そこはちゃんと言わないと駄目だって」
おじさんとおばさんの少し驚いた顔は目に映ってはいたものの、それを余所にオレは更に言葉を進めていった。
「でも、何をどうやって言ったらいいか分からなくて……」
こんな説明で何がどう伝わっているのかは分からない。どちらかと言うと、頭の中を整頓するための独り言に近かっただろう。突然訪れたちゃんと話をしないといけない機会に、頭がついていかなかったのだ。
自分で作り上げた沈黙に逃げ出してしまいそうになるのを必死に堪え、オレは次の言葉を探している。
「……シント君が言いたくないなら、それで構わないんだよ?」
そんなオレを前に口を開いたのは、ローザおばさんだった。
「私たちじゃ、シント君の考えてることの助けにはなってあげられないから……」
「そ、そんなことないよ!」
オレにしては珍しく、と自分でも思う程に、この時ばかりは全力で否定をした。
「沢山、助けてもらってるよ」
驚くほどにすんなりと、しかし正確に発せられた言葉は、紛れもなくオレ自身の正確な感情だった。
オレがこの家にいるのは、きっと両親が二人の知り合いだったからというある意味での慈悲がそこにはあったのかも知れない。しかし、例えそうだったとしてもこの家じゃない場所でオレが暮らしていたらどうなっていたか、まるで想像がつかないのだから、そんなことは些細なことではないだろうか?
それくらい、オレにとっては最早切っても切れない場所なのだ。
「さっき、シント君が言いたくないなら言わなくても良いっていったけど……やっぱり嘘」
ついさっきおばさん自身が口にした言葉は、すぐに訂正された。
「何も話してくれないっていうのは、寂しいな」
寂しいという言葉に、とどめを刺された気がした。
オレが今何をしていて何を考えているのか、ちゃんと口にして向き合わないといけないと、そう思った。
「十年前の……父さんと母さんのこと、アルセーヌって貴族が教えてくれた」
なるべく簡潔に、しかしそれだけで全てが理解出来るような言葉の数々に身を任せた。
「事件があった家にも行って……少しだけど、思い出した」
その上で、レズリーに会ったということだけは伏せるしかなかった。いくら説明をしないといけないといっても、到底言うことは出来なかった。
それともう一つ、裏路地で犯人らしい人物に会ったことも口にはしなかった。口にしなかったというよりは、そこまで頭が回らなかったという方が正しいかも知れない。
「でも、まだ足りないって思ってる」
父さんと母さんの事件については、ある程度理解はした。理解したくないという駄々は今更こねない。何故なら、そうするには余りにも時間が立ちすぎているからだ。
「あそこで何があったかまで分からないと、オレ……」
そこから先の言葉が、どうにも上手く捕まらない。一体何を言おうとしてたのかも、最早よく分からなかった。
考えあぐねてしまっている間の沈黙の間、すぐそばにいたローザおばさんがオレの手を取った。
「……あのね、私たちはシント君のことを止める気は無いの」
オレが言葉を探している時、一番に動いて見せるのはいつもおばさんだ。
「シント君のやりたいようにやっていいんだよ」
それはまるで、笑顔を絶やさないおばさんに全てを見透かされているような感覚だった。
オレの目的が、説明をすることではなくいつの間にか承諾を得ることになっていたことも、それを分かったうえでオレに進言していることも、全部想定内だと言われた方が寧ろ納得がいくような、そんな気分だ。
しかしそれが嫌という訳では毛頭なく、どちらかと言うと来るべき時へ向かって後押しされているようだった。それが余計に、この家の人たちが哀しむようなことはしてはいけないという気持ちにさせていく。オレだって、別に危ないことをしようだとかそれに乗じて何かを企てようだとかは思っていない。
ただ単純に、過去に生きていた世界に触れたいだけなのだ。
「……難しいお話終わった?」
奥のほうに引っ込んでいたレノンは、答えを待つことなく僕のほうへと歩んでいく。パタパタと、少し世話しない音が部屋に響いた。
「お兄ちゃん、僕が作ったやつまだ食べてないでしょ」
「え? ああ……そうだったかな」
「だってセリシアのしか食べてないもん。僕見てたよ」
「ご、ごめん……」
そういえば、確かにオレが口にしたのは小さいものばかりで、それがきっと全部セリシアが作ったものだったのだろう。無意識だったのだが、そんなのはレノンからしたら関係なく、面白くなかったのだろう。そう思ったのだが、レノンの顔は特に嫌だとかいう感じでもないように見えた。
「……僕ねぇ、お兄ちゃんが好きなんだよ」
なんの脈絡もなく口にされた言葉に、思わず目を丸くしてしまう。まるでいつもの日常会話のようで、しかしいつもは行われることのない非日常的なものだ。
「お兄ちゃんは、僕のこと好き?」
なにか、レノンなりに思うことがあったのだろう。オレよりも年下の、まだ十にもなっていないレノンにそんな気を遣わせたのは紛れもなくオレだ。
「……うん」
レノンの質問には、無駄に考える時間なんて必要がなかった。
「ほんと?」
レノンの視線が、酷くオレに刺さっていく。
「ほんとだよ」
それに応えるには、オレもちゃんとレノンのことをしっかりと目に焼き付けなければいけないと、そう思った。