12話:知られてはいけないこと

 もし、おれが幽霊なんて見えないなんてことない普通の人間だったら、一体何が変わっていただろうか。そう思うことが少しずつ増えていったのは、ある種当然だと言っていいのだろう。
 正直なところ、それらが見えてしまうというのは余り良い気はしないし、何より見えてしまうことによって必然的にそれに巻き込まれてしまう可能性が高くなってしまう。
 どうして自分がそういうものを見えてしまう側の人間なのか? どうして知りもしない存在の為に巻き込まれないといけないのか? とかなんとか、小学生の頃だったら疑問にすら思わなかったそれらは、いつしかおれの周りを渦巻くようになった。
 そう思う原因のひとつとして挙げられるのは、恐らく中学も半ばになった頃の、とあるひとりの人物が関係しているだろう。

(よりによってあんなところに……)

 あの時は確か、学校の移動教室かなんかで二階の図書室で調べ物をしていた時だったと思う。授業の一環だったから当然他の学生がいる中、窓の外から見えた制服姿のひとりの生徒。この流れからいって容易に想像が出来るだろうけど、そこにいたのは紛れもなく幽霊だった。
 ただ、別に見えたからといって相手にする必要はないし、そもそも首を突っ込むこと自体が良くないということは小学生の時によく分かったから、人の目もあるし極力気にしないようにはしていた。
 だけど、見えてしまうからこそなのか、つい目で追ってしまうというのはいつになっても変わらない。偶然見えてしまっただけであれば、深入りなんてする必要なんてどこにもない。それは十分理解している。そのつもりだった。

(……帰るときにまだ居たら考えようかな)

 でもこの時のおれは、深入りしないという選択を取らなかった。何故なら、距離が離れているにも関わらず鳥肌が立つくらいの異様な空気がそこに漂っていたからだ。
 視えない人からすれば多分なんてことないのだろうけど、余りいい気はしないのは事実としてそこに存在している。今のおれがこの状況に見舞われたとしても、恐らく同じ選択をとっていただろう。

「……なんかいたか?」

 一緒にいた神崎君が、おれにそう問いかける。

「いや? 何もいなかったけど」

 なんていう特に生産性のない会話が、この頃はわりと日常茶飯事だったと言っていいだろう。小学生の頃に出会って以来、神崎君が同じ学校に通っていたことと、意外と近くに住んでいるということが分かったということもあって、何となく一緒に帰ることも増えていって、何となくここまで来てしまった。ただ、クラスが同じになったのは中学が初めてだった。
 傍から見たら、ただ空を見つめていたおれに話かける神崎君という一連の流れなだけかも知れない。でも、果たして本当にそれだけなのだろうか?
 おれが何も見えないただの人間であれば、そもそもこんな会話なんて起こりえない。だからというか、こういう場合は少しだけやりにくかった。
 別に神崎君が悪い訳じゃないし、それ以前に隠しているおれが原因ではあるのだけれど、かといってそういう類の話を簡単に誰かに話すほど馬鹿じゃないし、普通なら隠そうとするだろう。
 元々、お世辞にも人付き合いが良いと呼べる方ではなかったし、友達と呼べる人なんて恐らくは片手で数えても指が余るくらいしかいなかったから、単独行動するにあたってはひとりの方がやっぱり楽だなとか、この時はそんなことを考えていた。それはまあ、今も変わらないといえばそうなのだけれど。
 いつか、おれの知らないところで誰かを巻き込んでしまう可能性だってある。それはやっぱり避けたかったのかも知れない。
 全ての授業が終わりを迎える頃、図書室に行ってみてまだそこにいたのなら、その時は人目を忍んで行ってみてもいいかも知れない。なんて思いながらその授業自体はそのまま終わったけど、多分おれが声をかけない限り、或いはおれ以外の視える誰かが見つけない限り、ずっとあそこにいるんだろうなという直感のようなのが働いた。
 そしてそれは、案の定だった。

「……いない、わけないよねぇ」

 放課後、誰かに構うこともせず早々に図書室へと足を運び、それがまだいることを確認して、人が少なくなるその時まで待つ。というのが、おれの考えていた一番無難な行動だった。
 幸い途中まで読んでいた本があったからそれで暇をつぶして、三十分は過ぎたころだろうか。部活をしている生徒はそれなりにいるものの、その幽霊がいる場所というのが余り人に触れない場所だったから、余り遅い時間になるのも嫌だったおれは体を動かした。
 ただ、この状況でも何かの見間違いだったらなんて思っていた自分がいたし、それ以前に、どうしておれはこんなお節介みたいなことをしようとしているのかもよく分からない。

「こんにちは」

 でも、視えてしまったということはつまりそういうことなのだ。

「ひとり?」

 言葉だけ見ると、まるで人の行く道を邪魔するナンパ男のようで、正直思い返すというのは余りしたくない。

「……どうして、こんなところにいるの?」

 それにしても、人が来ないような裏側の場所でまだよかったんじゃないだろうか。人が多い教室とかにいたら、流石に人目を偲んで会いに行くっていうのはリスクが大きい。いや、それ以前にこんな存在なんていない方がいいに決まっているのだけれど、おれの感覚がマヒしているのか、一番最初に考えるのは幽霊のことばかりだ。
 目の前のその人は、一向に答えることをしない。靡く風が、寒空の中なのにどうしてか生温く感じる。それは恐らく、まだおれの目には視えていないモノが周りに漂っていたからだろう。
 時を感じさせない流れを作っているそれは、どうやら彼女の周りを取り巻きはじめているらしく、地面に落ちている木の葉が音を立てて動き始めた。
 ……こういう時の嫌な予感というのは、よく当たるというものだろう。
 突然、彼女の下から何処からともなく沸き上がってきたのは細かい粒子のような、黒いもやのようなものが沸き立っていく。それが視界に入った時、全身が総毛立った。
 そこでおれは初めて理解した。窓から見た時のあの異様な空気は、もしかしてこれが蔓延していたからなのではないかと。
 一番最初、小学生の時にあの公園で出会った人の周りのもあれらがうっすらと蠢いていたのを思い出す。あの時はこんなことなかったというのに、今は身体後ずさりしたくなってしまう。平常心を保たないとおれまで何処かに持っていかれそうになるような、そんな錯覚といっていいだろう。
 そして、おれの目の前にいるそれがゆっくりと顔を上げたその時。
 後ろから、誰かが草を踏みしめる音がした。

「え……」

 咄嗟に振り向いたその先に目に映った人物に、おれはかなり驚いていたことだろう。

「……こんなとこで何やってんの?」

 そんな問いを投げかけるのは、おれのよく知っている神崎 拓真という男だったのだ。
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