06話:有限は虚空に映る

 朝方の少し冷たい空気は、俺を支配している眠気を相殺するにはまだ少し物足りない。この時間に起きているだなんて珍しい、などと各方面から声が聞こえてきそうだが、それでも体を動かさないといけない理由があった。

「……今日はお早いんですね」
「レイヴェンが来るからな」
「それだけで早起きする貴方では無いでしょうに」

 早速馬鹿にされているのか何なのか、ゼフィルの口からは当然のようにそんな言葉が繰り出された。茶化しているというよりは、今日これから先に起こることを危惧しているような、そんな感じに近かったのかもしれない。

「これでも、一応ビビってるんだ」

 いくら幼馴染み相手とはいえ、ある程度真面目な話をするとなるとどうにも落ち着きが悪くなる。昔からそうだ。

「エリオットの部屋行ってくる」

 ゼフィルとの会話を早々に済ませ、俺は足早にエリオットの部屋へと向かった。時間が全くないというわけでもないのだが、やはり少々落ち着きに欠けていたのかエリオットの部屋にはすぐについてしまった。部屋を一応ノックはしてみたものの返事のようなものはなく、仕方なく扉を開ける。

「どうだ、調子は?」

 外の景観を眺めていたのか、窓のすぐそばにある椅子にエリオットは腰かけていた。エリオットからの返事は一向に返ってくる気配がなく、辛うじて目があったのはこの部屋に入った瞬間だけで、その後は視線を行ったり来たりさせていた。

「……飯食うだろ? 早く来ないと冷める」

 そうは言っても時間よりも少々早いのだが、殆ど無反応な人間にはこのくらいが丁度いいだろう。それにこんな状態の人間を部屋にひとりにさせておくというのは、些か不安が募るというものである。
 エリオットの膝の上に静かに座るロデオは、気を遣っているのか恐る恐るオレを視界に入れているようだった。

「……なあ、結局妖精っていつもなに食ってるんだ? 虫とか言われても困るけど。ティーナが困ってたぞ」
「んん? 虫さんはお友達だよぉ」
「ならいいわ、うん。一生友達でいてくれ」

 首を傾げるロデオを前に、俺は切にそう願っておくことにした。結局ろくな収穫は得られなかったが、妖精に食事をするという概念がなかったとしても特別驚きはしない。虫と言われてもまあ驚きはしないが……出来れば止めて頂きたいものである。
 こいつが家に来てからまだ数日しか経ってはいないが、ロデオが一体何を好んで物を食すのかが未だに理解できていない。質問してもさっきのようなふんわりとした答えしか返ってこないし、エリオット向けに出されたものを見ただけで目をキラキラとさせてしまうのだから、恐らくは見解通り食べるという概念がないのだろう。しかしそうは言ってもこっちだけが食卓を囲むわけにもいかず、ティーナが毎回頭を抱えている。いい加減なんとかしてやりたいものだが、まだ暫くは難しそうだ。

「……この後、十時過ぎに客人が来るんだ。お前も紹介したい」

 今日、俺がこいつの部屋に足を運んだのには当然理由がある。ただ飯に呼ぶくらいなら、俺が呼びに行く必要なんてないというものだ。

「……その人も、貴族なんですか?」
「ああ、まあな。ここに来るのは、そいつとその家族くらいだよ」

 そう答えると、エリオットは少々考え込むように視線を逸らした。記憶を失っているというのもあってか、恐らく本人なりに思うところはあるのだろう。それとも、潜在的に自分の存在を余り人に知られなくないと思っているのだろうか? 警戒心があるのは結構なのだが、今回に関しては出来れば警戒心剥き出しの事態は避けたいのである。

「まあ一応、信用出来る相手だ。お前にとってどうかは分からないけどな」

 こんなこと本人に言ったら苦い顔をされてしまいそうだが、俺は嘘なんて言っていない。生産性の欠片もない嘘なんて俺は嫌いだ。

「……別に、反対はしません」
「本当か? 後で文句言われても困る」

 この反対しないというのが、言いたいことがあるが言わないということなのか、それとも本当に反対する理由がないからなのかの判断に少々困った俺は、一応不満の有無を聞いてみることにした。例えばこれで本当は嫌というのなら、そこまでして会わせることは現段階では白紙にしていたかもしれない。

「……反対出来るほど、おれは自分がどういう状況にあるのか分かってないので」

 しかし、どうやらそれともまた少し違ったようだ。

「だから別に、どっちでもいいです」

 少なからずエリオットの口調は投げやりで、この間俺と目を合わせることをしなかった。俺はそのエリオットの答えにどう反応するべきかかなり困った。記憶が薄れる、或いは忘れるということはあっても、記憶を完全に無くすという経験をしたことがなかったからだ。

「別に、お前から何かを説明させたいわけじゃない。適当に話は纏めておくから、思うことがあるならゼフィルにでも匿ってもらえ。一応、まだ時間はあるからな」

 俺の質問は、配慮というものが完全に欠けていたに違いない。

「そろそろ行かないと俺がどやされる。あと腹減った」
「お、おれはいいです……」
「なんだと? 俺が怒られてもいいんだな? ついでにここに来るまでの労力を返せ」
「りべりお、おこられちゃうの……?」
「ロデオからも言ってくれよ。多分その方が効く」

 しかし、配慮を持ち合わせすぎていていては貴族の当主なんてやっていられないというものだ。
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