06話:有限は虚空に映る

「……珍しいな、俺が来る前に起きてるなんて」

 顔を合わせて早々にこの類いのことを言われるのは、今日だけで四回目のことである。

「いや、そういう時だってあるだろ」
「出来れば毎回そうであってほしいよ」

 全くどいつもこいつも俺のことをなんだと思っているんだと、それ相応に規則正しい生活をしていれば言えたかもしれない。しかしそうではないという自覚が、俺の口を止めさせた。
 レイヴェンがこの家を訪れてすぐ、俺の部屋の客用のテーブルとソファーには紙束が大量に並べられた。俺の隣にはクロードが居たお陰で荒らされないか少々気がかりだったが、どうやらその心配はいらなかったらしく、ソファーの上に置いてあるクッションを陣取って優雅に寝転んでいた。

「早速だけど、お前この前の初稿誤字酷かったぞ。寝ながら書いたのか?」
「俺は切実に寝ながら書けるようになりたいわ……」

 何を馬鹿なことをと言われそうだが、寝ながら執筆作業が出来る術があるのなら真面目に身につけたいくらいである。そんなこと本当にやったら死期が早まりそうではあるが、願望くらいは別に口にしたって構わないだろう。

「んで、中身は?」
「内容にケチつけたことは一回も無いんだから、気にすることでもないだろ」
「甘やかしすぎだろ? 自分が天才かと錯覚するわ」

 レイヴェンの答えに、俺は思わず思いきりソファーにもたれかかった。
 俺が口にしたように、レイヴェンは俺が書いた小説に口を出したことは一度もない。一体何のためにこの男が間に入っているのか、こうなってくると最早よく分からないだろう。しかしまあ、そこら辺の編集者を名乗る人間よりは幾らかマシかも知れない。

「……別に、そう思ったって差し支えないだろうに」

 ぼそりと口にしたそれは、どちらかといえば独り言に近かった。

「褒めてもなんも出ないけど?」
「そんなことよりも、お前が欲しがってた資料集めてきたから感謝しろ」
「おいおい、お前は神か?」

 あからさまに話を逸らしてきたレイヴェンに、俺はすぐさま乗っかった。俺が欲しがっていた資料というのは、お菓子の種類と作り方が載っている本である。お菓子と一括りにしてもその種類は多岐に渡り、例えばケーキは勿論、クッキーやチョコレートにキャンデーといった定番のものや、異国の聞いたとこはあるが見たことのないものなど、とにかくあるだけのお菓子の資料を頼んだのだ。今日のレイヴェンの手荷物は殆どがそれで、ドサリという音がテーブルの上にまでのし掛かった。しかし五、六冊でいいと言うといつも十冊以上持ってくるのは、流石図書館を営んでいると言うべきか、単にこいつの目分量がおかしいのか判断に困るところである。
 この資料を請求したのは、今回レイヴェンに渡したいわゆる初稿とはまた別のシナリオで使おうと思っているのだが、それよりもニシュアとティーナが見たがっていたからという理由のほうが大きかったかも知れない。本来、興味の湧かないものの資料を頼むだなんてことを俺はしないのだ。

「……で、何があった?」

 テーブルに雑に置かれた本の数々を手に取り品定めをしていると、レイヴェンは急にそんなことを口にし始めた。思わず、ウロウロさせていた手が止まってしまう。

「俺が来る前に準備万端でお前が居るんだから、そういうことじゃないのか?」

 相変わらずというべきなのか、それとも俺が身支度をして午前中からちゃんと起きているからこそなのか、やはりこの人物は誰よりも察しが良かった。

「……なんでどいつもこいつも、早く起きたくらいで物珍しい目で見てくるんだろうな」
「それくらい珍しいってことなんだろ。嫌なら規則正しい生活でも送って見せろ」
「無理難題だわ……」

 当然俺に自覚が全くないわけではなく、本当ならレイヴェンの言う規則正しいごく一般的な生活をするべきなのだろうが、そんなにすぐ元に戻せるのならこんな文句なんて出てはこないだろう。まあ、レイヴェンにとってはそれがある意味分かりやすくていいのかも知れないが。
 今この部屋には、俺とレイヴェン……あとクロードしかいない状況だ。仕事の話をする時はいつもそうなのだが、それにしたってここまで真面目な空気になることなんてないだろう。

「今、この家にお前以外に客人が来てるんだ」
「……客人?」

 そう口にすると、レイヴェンは途端に酷く訝しい顔を見せた。一体どうして自分とその身内以外に客人がこの家にいるのかというような、おおかたその類いのことを思っているのだろう。それくらいは考えなくたって分かる。この家に人が訪れるということは、そういうことなのだ。
 俺はまず、その客人がどうしてここに居るのかの経緯を説明することにした。一口に客人と言ってもその人物がここを訪ねて来たというわけではなく、花畑へと向かう道で血まみれの状態で倒れていたところをニシュアが見つけここに運ばれたが、その客人は血に塗れるほどの怪我を負っていなかったということ。その客人は妖精を連れていたということ。どうやら記憶の殆どを無くしているらしく、名前がエリオットであるらしいということしかその人物の情報が分からない……。とまあ、大まかにそんな感じの説明を、レイヴェンはただただ聞いていた。
 この幾ばくかの沈黙は、レイヴェンの考えをまとめるのに必要な時間だったに違いない。

「……なるほどな」

 これから先は、仕事の話と言うよりも貴族としての話である。レイヴェンの顔がそれを物語っていた。

「そいつ、今どこにいる?」
「え? ああ……確か、ニシュアに捕まって一緒に庭に居るんだったと思ったけど」
「ひとり……じゃないか。その客人っていうのはエリオットと妖精だけだよな?」

 聞かれたくない話が含まれているのかなんなのか、今一度レイヴェンは状況の確認を俺に取った。俺が肯定の合図を口に出した後、再び考え込んでしまう。この男は比較的すぐに結論を提示してくるのだが、今回はどうやら少し前置きが必要らしい。

「そいつが居た街……。いや、エリオットの家系がと言った方が正しいか」

 どうやら、この短時間でレイヴェンの中でようやく話がまとまったようだ。

「その家、妖精の研究と謳って妖精狩りをしているという噂が大昔からあった。恐らく市民は知らないだろうけどな」

 そして、どうしてレイヴェンがそこまで時間を要していたのかの片鱗が見え始めていく。この段階で俺すらも、ああなるほどとある意味納得をしてしまう話が含まれていた。

「エリオットが行方不明になった三日後、エリオットの両親と他三人が殺害されているところが発見された。だからエリオット捜索の届けがこの街にまで来たって話はしたよな?」
「ああ……」
「そのエリオットが失踪した翌日に、一人の女性が姿を眩ませている。どうも大層親しかったらしい」

 その話を聞いて、少々嫌な予感が頭をよぎりはじめていく。

「……つまり、エリオットを追った?」
「可能性のひとつとしてなら、それは十分にある」

 レイヴェンが言った可能性のひとつとしてそれはあり得るというのは確かにそうで、その可能性が限りなくゼロに近かったとしても起こりえないと言うのは全くもって早計だろう。しかし、それにしても一人の女性が行方を眩ませているという状況がまずい。

「……エリオットの服についていた血が、その女のモノだっていう可能性は?」

 何故なら、この余り考えたくない事象がおおかた立証出来てしまうからだ。

「可能性は全くない、とは言い難いだろ」

 あえてと言うべきなのか、レイヴェンはここで明言まではしなかった。

「妖精の研究をしていた、っていうのはおおかた事実だろう。それはこの際構わない。が、そこを統括していた人物が殺害され、息子が逃走。更に親しかった人間の行方が分からないとなると、その事件がまだ貴族間にしか共有されていないことが唯一の救いだが、事態としては最悪だな」

 だが、明言をしようがしまいが良い状況ではないことは明白だ。

「……エリオットが犯人である可能性が否定できない以上、ただ匿いましたと言うにはリスクが高い」

 そして、こちら側が言いたいことを全て先回りされてしまっているらしいという直感が働いてしまったせいで、自分の家だというのに些か居心地が悪かった。

「これを聞いても匿うって言うか?」
「……まだ何も言ってない」
「言う気は満々だっただろ」

 一体いつからそう思われてたのか、レイヴェンは俺の考えを断定した。

「今言ったことは全部憶測に過ぎない。が、見つかれば確実に全部の罪がエリオットに被るだろうな。本当に犯人じゃなかったとしても、それで隠蔽が楽に出来るのなら貴族の考えてることなんて大体想像がつく」

 レイヴェンは、更に俺が一番危惧している状況を口にした。この辺りの思考は恐らく貴族だからこそなのだろう。そうじゃなきゃ、ここまで考えが一致するなんてことはあり得ない。レイヴェンは既に情報を掴んでいたようだから、おおかた俺と似たようなことを既に考えていたのではないだろうか?

「……まあ、それはあくまでも早々にここにエリオットが居ると分かった場合の話だ」

 その言葉に、俺は自然と今までより一層耳を傾けた。レイヴェンのこの切り出し方は俺にとってはある意味では確かに幸運だった。

「見つからなかったら見つからなかったで、どうせ適当に隠蔽するんだろうからな。ああいう奴等は、必要だったら犯人だってでっち上げるだろ」

 しかし、それはあくまでも俺の考えを汲んだ上での発言であることを、俺は忘れてはならないだろう。

「今の話は何も聞かなかったことにしてやってもいい。別に難しいことじゃない。ここが見つからないようにすることだって出来る。お前が一番よく知ってるだろ?」
「……本気か?」
「本気だよ」

 元々は俺が持ちかけようとしていた話ではあるのだが、ここまで協力的に物事を進められるとなると多少なりとも気が引けてしまうし、なにより都合が良すぎるというものである。全くもって自分勝手ではあるが、本来は俺のほうから交渉するべき話なのにそれが逆になってしまっているというのも要因のひとつだろう。

「今までだって、そうしてきたんだ」

 この言葉が、一体どれだけの事柄を経て出てきたものなのかというのは、出来れば余り考えたくはない。

「但し、これ以上事態が悪化するようなことだけは避けてくれ。そうなってくると流石に俺だけじゃどうにも出来ない」

 一応といったていで釘を刺してきたが、つまりはこの際犯人だろうが記憶喪失だろうがこれ以上の騒ぎにならないようにお前が気を配れといったところだろう。もとよりそのつもりなのだが、実のところこれが一番難しい。

「……もっと反対されるかと思ってた」
「言い逃れが出来ないほどの証拠があれば別だが、まともに取り合ったってお前聞かないだろ? こういうことは特別珍しい話でもないし、こっちから引き下がった方が早い」

 最悪、一家まるごと一瞬で存続が危うくなるなんていう可能性があるわけだ。

「それより、一応エリオットに会わせてくれ。居るんだろ?」
「あ、ああ……」
「……不満か?」
「いや……ゼフィル達にはまだ簡単な話しかしてないから、まだ余計なことは言わないようにしてくれ」
「そう言われてもな……。辻褄を合わせるならもう少し擦り合わせしないと無理だ」
「それは確かにそうだけど、顔合わせる以上のことはするなよって話」
「この状況で余計なことなんて言うにも言えないだろ」
「分かった分かった。俺が悪かったから行くなら早く行ってくれ」

 終わらなそうな言い合いに無理矢理終止符をうつと、レイヴェンはひとつため息をつく。それ以上気が緩むよりも前に腰を上げ、何をいうでもなく部屋を出て行ってしまった。別にそうまでして急いでエリオットに会う必要もなさそうだが、きっとここに帰ってきたら情報の擦り合わせがまた始まるのだろう。こうなってしまっては、今日はもう仕事どころでは無くなりそうだ。
 今のこの短い時間が、今日唯一の安堵の時間と言っても差支えはないかも知れないと思うと、俺までため息が漏れてしまう。

「言い逃れが出来ないほどの証拠、ねぇ……」

 少し前にレイヴェンが口にしたその言葉を、俺は再び反復する。

「あっても黙認するだろ、俺の頼みだったら」

 誰もいない部屋にこだまする声は、当然ながら誰も拾ってはくれない。
2/4ページ
スキ!