05話:訪問者の憂い

 街灯もなくすっかりと暗くなった外の景観は、昼に見るよりも不気味に見えて仕方がない。もう既に日付が変わり、恐らくは大半の人間が寝静まっている頃のはずだ。目の前に唯一あるランタンの光を頼りに、こんな時間に外に出ることなんて普通に生活をしていればそうはない。特に今の状況からして言うのであれば、知り合いではない男が家にいるのだから家主が外に出るなんて本当はするべきではないというのも確かにその通りだ。俺だって、別にこんな時間になんて出たくて出てきたわけじゃない。だが、この時家を出た理由のひとつに、全く好奇心がなかったといったら嘘になるだろう。誰に言うこともせずこんな時間に花畑へと向かうというのは、背徳感が凄まじい。
 ゼフィルにさえも言わないでここに来た理由としては、言えば必ず止められるし大喧嘩になりかねないからだ。もし帰ってすぐにバレたとしても、事後であれば文句は言われるかも知れないがある程度は押し通せるはずだ。最も、あの家が俺のいない間も平和的な空間であるということが前提の話ではあるが。

『……行方不明?』

 レイヴェンから隣国の貴族の一人が行方不明になったという話を聞いたのは、一か月にも満たない頃の話である。

『なんでそんな話が俺のところに来るんだよ』
『念のためだ。あんまりいい話じゃないからな』
『念のためなんだって? ……あ、やべ間違えた』
『……お前、さては書き物しながら俺の話聞こうとしてるだろ』

 電話越しの少し籠ったレイヴェンの声は、この時の俺には余り耳には入っていなかった。受話器を方と頬で挟み、手帳にシナリオの構想を書きながら話を聞こうとしているのだから、そもそもレイヴェンの話をまともに聞く気がなかったのだ。電話の時くらい手を止めればいいのにと言われてしまえばそれまでだが、話の構想を練っている時に電話なんてしてくるほうが悪いのである。俺のせいではない。

『その行方不明の貴族、エリオットって言うんだが……あ、こら止めないか。今大事な話を……』

 しかし、レイヴェンの声が俺以外の誰かに向かれたのはすぐに分かった。最初はレイヴェンの息子であるロルフが来たのかと思ったが、ロルフに対しての言葉とも少し違うように感じた。その理由はただの勘だが、どうやら気のせいではないようで、理由もすぐに知ることになる。猫の一声が受話器越しから聞こえてきたのだ。

『お、シェルロ元気か? 最近来ねーからクロード怒ってたぞ』
『なぁー?』
『当たり前のように猫と会話するなよ。そのエリオットの家なんだが……』
『んなあー』
『こら邪魔するんじゃない。で……』

 シェルロはレイヴェンの家族ごと家に来る時によくついて来る白猫なのだが、彼女はうちのクロードよりも社交的だ。おまけに甘え上手という特性がつく為、今回も恐らくその類のものだろう。レイヴェンと電話をするとよくあることだ。一応受話器からは少し離れたのか、しかしまだシェルロの声が微かに聞こえてくる辺り、恐らくはレイヴェンの膝の上にいるのだろう。レイヴェンが俺に説明したがっていたエリオットについてのことは、おおかたこんな感じである。

 エリオットが行方不明になった三日後、エリオットの両親と他三人が殺害されているところが仕事場で発見されたのだそうだ。他三人というのは従者ではなく、仕事の関係者らしい。エリオット捜索の届けがこの街にまで来たのは、国がエリオットを犯人として捜したがっているからというのは確かにあるが、それよりも仕事の内容の方が問題だったらしい。しかし一体どういう仕事だったのかまでは教えてはくれなかったようで、こっちでどうにかしてその仕事とやらの内容を情報を探している最中だとレイヴェンは言っていた。レイヴェン曰く、機密情報だから教えないなどという建前はどうでもいいらしく、元々存在しているとある噂が気になっているようで、仮にエリオットがこちらで見つかったとしてもことは慎重に運びたいようだった。
 噂の真相が掴めていないからか、レイヴェンが気にしていた噂の内容は教えてはくれなかったが、まあエリオットがうちの家にいるということが分かればその話もしてくれることだろう。
 数時間前、ゼフィルが「エリオットを家に置くという説明をレイヴェンにどうやってするのか」というようなことを言っていたが、これに関してはどうにでもなるというか、そこまで気にすることではないと現段階では思っている。もし仮にエリオットが両親と他三人を殺した犯人だったとしても、「記憶がない」とエリオットが言っている以上、レイヴェンも簡単に隣国に引き渡すという選択は取らないのではないだろうか? まあこれはあくまでも推測に過ぎず、その選択をすれば変に面倒ごとを増やすことになるはずだから見当違いということも大いにある。その場合どうするかをもう少し考えなければならないだろうが、ここでひとつ、ようやく自分の思考に疑問が及ぶ。

(……別に、そこまでしてエリオットを庇う必要なんてないんだけどな)

 エリオットという人物のことをまだよく知らないのに少々肩入れしすぎているように感じているのは、きっと俺だけではない。多少なりともゼフィルは勘づいているだろうし、エリオット本人も不思議で仕方がないことだろう。この俺の行動理念に果たして理由があるのかと聞かれてしまえば、俺はろくな答えを出すことができない。しかし強いて言うのであれば、隣国の貴族が亡命という部分に少々引っかかりを覚えているのだ。その引っ掛かりが分からない以上、変に騒ぎ立てて大事にはしたくない。それだけだ。
 花畑の中腹で、俺の足はすぐに止まった。その一点、範囲は一メートルくらいだろうか? そこだけが、明らかに俺の知っている花畑の景観とは違っていたのだ。

「ここか……?」

 一応月の光が降り注いでいるのと、手に持っているランタンがあるお陰である程度の色味は認識できるが、それでも少々認識はしずらいものがある。もっと近くでそれを認識するために腰を下ろし、目の前に広がっているうちのひとつの花に触れた。すると、見覚えのある感覚が手に伝っていくのがよく分かった。まだ乾ききっていなかったのか、手には僅かに花の色がこびりついてしまっている。しかし手についたのは、花本来が持つ色ではない。

(……あいつが犯人かどうかはともかく、やっぱりここで誰かが死んだんだな)

 日中だったらもっとあからさまだったのだろうが、この一帯、範囲は一メートルに及ぶ花だけが、血を被っているのである。
 俺に医学的知識があるわけでもないが、明らかに普通の怪我ではないほどの血の量であるというのは誰が見てもわかるくらいに飛散していた。しかし辺りには、その血を吐いたと思われる人物の姿は見つからない。場所を移してどこかで野垂れ死んでいるのか、それとも辛うじて生きていて助かっているのか、はたまた「死体はもうこの世には存在していない」のかのどれかかだろうが、別に答えをすり合わせる必要はないだろう。
 風が俺を追い越していく。それに合わせるように、俺は思わず後ろを振り向いた。当然そこには誰もいなかったが、何かはいる。そんな感覚だ。恐らく、もう少し神経を研ぎ澄ませばその何かが視える可能性があったのだろうが、俺はそこまでのことをしなかった。貴族の特権とも言える力をここで行使しないのだから、俺は貴族とは程遠い。だが別に、それでよかった。
 向き直り空を見上げると、月が俺のことを見降ろしていた。十三夜月くらいだろうか? 満月には満たない月の光は、太陽よりもやけに眩しく感じたのを覚えている。俺の心を見透かしているかのようで、心地としては最悪だ。それに加えて右手についてしまった血は視界に入ると、俺は思わず顔をしかめてしまう。洗っても洗ってもこびりついて離れないそれの臭いが、俺は昔から嫌いで仕方がなかった。だから思わず、こんな小説の一節のようなセリフを口にしてしまう。

「……誰もが見とれる赤い花、か」

 ――狂ったかのように咲き誇るその花に心奪われると、人は身も心も少しずつ狂っていく。そして、身の回りにいる人間すら狂わせていき、全てを無へと還すかのように、関わった者は謎の死を遂げる。そんな噂が蔓延る花畑があった。
 噂というのは不思議なもので、まるで枝分かれするかのように色々な解釈がなされ、そしていつしか、真実とはかけ離れたものが真実と呼ばれるようになる。噂なんてそんなものだと私は思っているし、そもそも信憑性がないものを信用する気は毛頭ない。
 だが、ある日突然、ひとりの男が私の前に姿を現した。うすべ笑いを浮かべた男は、私にこう述べる。

『俺は、噂の真実を知っている』と。

 私は、その言葉に酷く困惑した。それは何故か? 答えは、至極簡単で単純だ。何故ならここにいる人間は、その男が来る遙か前から既に狂っていたのだから。
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