07話:嘘の剥奪

「妖精の好きな食べ物?」

 カウンター越し、頬杖をつきながら言葉を返す店の店主は、僅かに視線を逸らして思考を巡らせはじめた。

「グランさんは知ってます?」
「いいや? 会ったこともない存在の好きな食べ物なんて、皆目検討もつかないよ」
「そうですよねぇ……」

 そう答えた後、僕は腕を組んであからさまに考えこんだ。
 図書館での勤務が終わって僕が最初に向かったのは、知り合いであるグランさんのお菓子屋である。街の中心部に構えている少しこじんまりしたお店の中には、瓶に詰められているお菓子がこれ見よがしに棚に沢山置かれている。定番のグミや飴にチョコはもちろん、異国の見たこと無いものまで置かれているところを見ると、グランさんの放浪好きな部分が垣間見えて少しだけ不安になってしまうのは、僕とグランさんは昔からの馴染みであるからだろう。

「にしても、随分と急に妖精の話を持ち出すね。もしかして、どこかで会ったりしたのかな?」
「ああいや、そういう訳じゃ……。妖精って、よく本に出てくるじゃないですか。でも、何を食べているのかとかそういうのってちゃんと書かれてないっていうか。書いてあっても創作の一種なので、本当のところはどうなのかなって」
「……まあ、創作じゃなくて実際に起きた史実という可能性もあるだろうから、一概に全部が嘘だとは言えないだろうさ」
「いやでも、花の蜜とかならまだ分かりますけど、こう……虫を捕食? みたいなのは流石にないんじゃないかなあっていうか」

 そう、僕が引っかかっているのはそこなのだ。ひと昔前の本ではわりとそういう描写のものが多かったのもあって、一度想像してみたことがあったんだけど、ロデオのあの顔でそんなことされたら流石の僕でもちょっと引いてしまうというものだ。
 でも、もし本当にそうだとするなら家にいるというのは酷なんじゃないだろうかとも思っている。いやでも、はじめて会った時蟻にかなり翻弄されていたし、グミを渡されて食べるのに苦労しているところを見るにそれは考えにくいというか、そうであって欲しいというか。勿論ロデオには聞いたけれど首を傾げたまま答えが返ってこなかったし、そもそも食べるという概念がないのだろうか? それがどうにも分からなくて、こうして腕を組んで唸ってしまう要因になっているのである。

「……やっぱり、会ったんだね?」
「え?」
「アオイは昔から嘘が下手だから、すぐに分かるよ。会ってみてどうだった? やっぱり手のひら程の大きさだった?」
「ああはい……。こう、手のひらに収まるくらいの……じゃなくて! いやあの、僕は別に見た訳じゃなくてですね」
「分かった分かった。まあそういうことにしておくとして、キミは妖精が一体何を食べるのかという部分が気になって仕方がないわけだ」

 クツクツとからかった笑みを溢しながら、グランさんは自身の定位置である椅子にもたれ掛かる。完全にバレてしまっているのは言うまでもないけれど、どうやら見ていないという体で話は継続するらしい。

「アルティはどうだい? 妖精について、意外と詳しかったりするのかな?」

 唐突に、グランさんがレジの側で暇そうに座っている店員のアルティさんに声をかける。が、雑誌を手に流しながらそれを眺めている彼女から、返答に至る言葉はまるで返ってはこない。

「無視ということは、実は知っていると私はそう解釈するけど」
「知りません」
「本当かな? キミも嘘が下手だから、隠していてもすぐにバレるんだ。言っておいた方が身のためだよ」
「だから知りません」
「アオイはどう思う? 私は嘘だと思うのだけれど」
「えーっと……。本当に知らないんですか?」
「知らないってば! というよりも、買う気がないなら帰ってください」
「買います買います。だからもうちょっとだけ」
「それ三十分前にも聞きました」
「そ、そうだっけ?」

 言われてはじめて、アルティさんの後ろにある時計を視界に入れる。そんな長い時間を過ごしてしまったのだろうかと、自分の時間感覚を疑ってしまうほどだったが、時計をよく見るとまだ十分も経っていなかった。いや、まだ十分も経ってないですよ。そう口にしそうになったが、細かい指摘は怒られそうだから止めておこう。

「……妖精の食事が気になるということは、キミの家にそれが居たりしてね?」

 ふと投げ掛けられたグランさんのその言葉に、僕の心が跳ね上がった感覚が全身を走る。思わず苦笑を浮かべると、そのまま小さなため息が零れ落ちた。

「キミはもう少し、嘘をつくというのを学んだ方がいいね。私が相手だからまだいいものの、それを探し求めているような変態だったらどうなるか分かったもんじゃないよ」
「き、気を付けます……」

 こうして、ある程度の嘘が混じる話をグランさんの前ですると、どういう訳かすぐにバレてしまう。僕の素行の問題か、はたまたグランさんの直感力が優れているだけなのだろうか? 昔からそうであるから、どっちなのかが未だに分からないのだ。

「どういう経緯でそうなったのかは知らないけど、注意はしておいた方がいいね。妖精狩りなんて言葉が廃れてきたとはいえ、そんなのは裏でなら幾らでも出来るんだ」

 その言葉に、僕は少し背筋が伸びた気がした。言われてみれ分かったが、確かに心のどこかで少し浮かれていたのかも知れない。妖精と出会うだなんて、このご時世そう簡単には起きてはいけないことだ。仮に起きたとしても、本来はそれ以上首を突っ込むべきではないだろう。それがここ数日の出来事で少し感覚がおかしくなっていたのかも知れない。
 そうですね……などと小さな声でしか返事をすることが出来なかったのは、単に意気消沈してしまっただけなのか、それとも身の締まる思いに借られたからなのか、僕自信よく分からなかった。

「……まあそれはそれとして、そんなキミと妖精に、私からのプレゼントだ」

 そう口にしたグランさんは、徐に手を伸ばしすぐ傍にあるひとつの瓶に触れた。中には、ひと口サイズのクッキーの上に甘いアイシングがされているものだ。……ロデオの口では、恐らくひと口では無理だろうが。

「気に入ってくれるかは、その妖精次第だけど」
「いいんですか? でも……」
「アルティの給料から引いておくから、別に構わないさ」
「全然よくないんですけど!」
「冗談だよ。まあいいから、貰っておきなさい」

 噛みつくかの如く身を乗り出すアルティさんを手で牽制しながら、グランさんは僕の胸元にそれを押し付けてくる。

「その妖精とやら、きっと待っているんじゃないのかな?」

 そう言いながら奏でる柔和で甘美な笑みに、僕は思わず押し付けられたそれに手をつけた。その瞬間、グランさんの手はすぐに瓶から離れていった。今も昔も、相変わらずグランさんの笑みには弱いのである。

「あ、ありがとうございます……」
「礼はいらないから早く行かないか。その妖精とやらに何かあっても、流石に私は責任をとれないよ」

 どうやら本当に妖精の身を案じてくれているようで、笑みこそ変わらないものの少し困った顔に移っていった。給料から引いておく、と言われていたアルティさんは、完全にむくれてしまっており僕を見ようなどという行為は一切しない。一言くらい何か気を遣った言葉を言えればよかったのだろうが、余り余計なことを言ってしまうとそれこそ火に油を注ぐことになってしまいそうだ。

「また来ます……っ!」

 短い言葉だけを置いていき、僕は比較的すぐに足を翻した。これ以上長居してしまってはお店にも迷惑がかかるだろうし、何よりロデオのもとに早く帰らなければという気持ちに駆られたのだ。しかし「また来ます」と言ったはいいものの、次に来た時にはまた鎌をかけられて簡単に喋ってしまいそうだ。いつものことと言ってしまえばそれまでだが、これはどうにかして余り突っ込まれないようにする術を身につけないとこの先が思いやられるというものだ。
 自分が思っているよりも問題が山積みであるというのをこんな場所で痛感しながら、僕は店を後に家へと向かうことにした。

 ――笑顔をまき散らしながら大きな足音を立て、マフラーを揺らして急いで店を後にするアオイは、どうやら酷くその妖精とやらに恋い焦がれているらしい。それがほんの僅かながらにも寂しく、かつ我が子のように嬉しく感じてしまうのは、彼のいつもの動向に原因があるのだろう。
 今回のようにアオイが自分の話をしに来るというのは珍しく、私が話を振らないと中々身の回りのことを滅多に口にはしない。せいぜい読んだ本の感想を口にするくらいで、今日もおおかたそんな話をするのだろうと思っていたのだが、どうやらひとりで何か面白いことに首を突っ込んだらしい。それともあのルシアン君も一緒なのだろうか?
 突然妖精の話を持ち出すということがそもそもおかしいのだが、前提として彼の特性を知っているからこそ、アオイの動向に変化が現れるほどの出来事があったのだろうという推察は容易に出来た。最も、彼は自分のことになどまるで興味がないお陰で、そのことに全く気付いていないだろうけれど。
 視界の端に映る、勤務中であるにも関わらず雑誌から目を離すことをしないひとりの従業員。それを咎めるなんていうことをする訳もなく、私は問いを投げた。

「ところでアルティは、本当に妖精と会ったことはないのかな?」
「……何回も言わせないでください」
「はは、そうか。まあ、キミが妖精と知り合いだったとしても、私は特別驚かないけどね」

 これ以上言うと怒られそうだから、いい加減止めておくよ。一応そうつけ加えておくことにして、この話は一旦ここで区切りをつけることにする。別に怒られること自体はさして問題ではないが、踏み込んでいいことといけないことの判別くらいは出来ているつもりだ。

「……妖精、か」

 まだ消化の出来ない言葉を口にしながら、私は再び身体を背もたれに預けた。
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