07話:嘘の剥奪

 もうそろそろ太陽の役目が終わる時間、息を切らして走っているのは、見る限りでは僕だけらしい。グランさんのお店から家までの距離が特別遠いわけではないけれど、それでも僕の足が止まることはなかった。
 いくらバレるのが不味いからといって、あんな小さい、しかも妖精を家にひとり置いておくというのが正しいとは思っていない。バレないようにする、という点では確かにそれは間違ってはいないのだろうが、かといって家を開けすぎるだなんてもってのほかだ。ルシアンがこの場に居たら、「そんなに言うならあの時潔く置いていけばよかったのに」と言われてしまいそうである。例えばもう一人、誰かが家に居たのならまた話は違ってくるのかも知れないが……。

「た、ただいまあ……」

 扉を開けてすぐ、つい最近までは自分しかいなかったはずの部屋に言葉を向けるというのは、なんとも不思議な心持ちである。
 ロデオが居るからと付けっぱなしにしていた電気を、帰ってきた時のいつもの癖で思わず電源に手をかけてしまいそうになったが辛うじて回避した。日々の習慣というのはこういう場合において少々やっかいである。しかもそこに居るのは妖精なのだから、家に帰ったところで落ち着くわけがなかった。
 朝、家を出るときはここにいたはずというだけでベッドのすぐ側にある腰くらいの棚へと足を進める。近づくよりも前にロデオが顔を覗かせていたお陰で、探すという行為には至らなかった。

「……元気?」
「うんっ」

 ロデオが居るのは、お菓子の入っていた丸い缶に適当なタオルが入った超簡易的なベッドである。リベリオさんの家で見た時のような丁度いいカゴなんて一人暮らしの男部屋にあるわけがなく、これもグランさんのところで買ったものだ。最も、本人が気に入っているかは分からないが……。

「あ、これ。知り合いからもらったんだけど食べる? 知ってるかな……」

 僕が一段落ついて忘れてしまうよりも前に、グランさんから貰ったクッキーをロデオの前に提示することにした。

「おいら、これ知ってる! く、く……くっきー?」
「そうそう、クッキー。上にアイシングが乗ってるやつだから、普通のクッキーよりも甘いんじゃないかなあ」
「あいしんぐ……」
「えっと……お砂糖がついてるんだよ」
「おさとう……」

 分かっているのかいないのか、僕の言葉を反復するロデオにさてどうやって砂糖の説明をしようかと考えてしまったが、もしかしたら僕の口にしたことを反復しているだけなのかもしれないということにしておいて、僕はそれ以上説明はしないことにした。グランさんやルシアンだったらもう少し上手くやり取りが出来たかも知れないと思うと、些か申し訳なさが募ってしまう。
 瓶の中、更に袋で梱包されているのを少々強引に取り出し、切り口にそって袋を開けた。少し小さめのクッキーが沢山入っており、アイシングによって水色とピンクと黄色の三種類に分けられており色とりどりに飾られている。恐らくはごく普通のクッキーなのだろうが、やはり色があるだけでだいぶ華やかだ。

「何色がいい?」
「う、うーんうーん……これっ」

 ロデオが指をさしたのは、水色のクッキーだった。行く手を阻む別の色のクッキーをどうにかして避け、摘まんだ水色のそれをロデオに手渡した。僕にとっては一口ではあるが、ロデオが手にするとまるでクッキーが大きくなってしまったかのように両手に納められた。

「……美味しい?」
「あまぁい」

 それは果たして美味しいのかどうなのかは疑問なのだけど、一口だけではなく二口と続いていく様子を見るに、多分嫌な甘さというわけではないのだろう。気をつかって食べているだけなのではと言われてしまえばそれまでだが……。念のため、どれくらいの甘さなのかを確かめようとピンクのアイシングがされているクッキーをひとつ摘まんで口に運んだ。数回咀嚼した後に浮かんだ感想をあえて言うのであれば、「見た目ほど甘くはない」といったところだった。小さいクッキーが数十と入っているからだろうか? 確かに甘いは甘いのだが嫌な甘さではなくように感じた。最も、僕の味覚が一般的なものかどうかは分からないが。
 気づけば、ロデオの手元にあるクッキーは先ほどよりもかなり減っているようだった。減っているといっても僕達からしたらその量は微々たるものかも知れないが、それでも僕は少なからず安心した。人間からのものなんて受け取らないくらいの態度でもおかしくないと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいのだ。ロデオの性格によるものなのか、それとも過去に会った人間が大層いい人ばかりだったのかは分からない。

「ね、ねえ」

 だからどう、というわけでは決してないのだが……。

「その……。ロデオは、エリオットって人知ってる?」

 例えばその過去に会った人間が大層いい人ばかりだったという部分に関しては、エリオットさんや彼を匿ったリベリオさん達が当てはまっていればいいなと、そう思ったのだ。

「……し、知ってるよ」

 唐突な僕の問いに、ロデオは疑問を提示するわけでもなく恐る恐る肯定をした。

「アオイは、エリオットのこと知ってるの……?」

 クッキーで顔の殆どを隠し、首を傾げてそう問いかけてくるロデオは何ともあどけなかった。そんなロデオに、果たしてエリオットさんのことを聞いていいものなのか一抹の不安が募る。

「知ってるというか……昨日ね、夢にエリオットって人が出てきたんだけど、そこにリベリオさんとか、あとロデオも居たから……。どうなのかなあって」
「ゆめ……?」
「ええっと……。寝るとたまに見るやつ、かな? うん」

 首を傾げたロデオに、なるべく簡素な説明を述べた。

「そ、それなら、おいらも見るよ」

 果たして本当に伝わっているのか心配だったが、どうやらその心配はないらしい。

「ねむくなると、いつもみんながいるの。リベリオと、二シュアと、ゼフィルと、ティーナと……。あ、あとクロードとシェルロも! それと、れ、れ……れー、れい?」
「レイヴェン……?」
「う、うんっ。みんな、リベリオの家で楽しそうにお話してるの」

 あの家で僕が見たものと似たようなものがロデオの頭の中で行われているというのは、ロデオの顔を見れば比較的すぐに理解することが出来た。それくらい鮮明に、今もなおロデオの記憶に残っているということなのだろう。それとも何か、それくらい印象的なことが当時あったのだろうか?

「でも、いつもエリオットだけいないの」

 しかし、それでもエリオットという人物の話になると様子が変わる。声のトーンが少し落ち、視線もどこか遠くに行ってしまった。

 ロデオが口にしてくれた夢の話は、おおかたこんな感じである。
 夢の中のロデオは、リベリオの部屋で談笑している彼らの中に混じって、猫のクロードの頭の上にいつもいるのだそうだ。しかしロデオも最初はエリオットさんがいないということには気づいておらず、それに気づくのはクロードとシェルが鳴き声で一声挨拶を交わしたのが皮切りだった。
 エリオットさんがいないことを不思議に思ったロデオがエリオットさんを探しに外に出ると、なんとそこは色のついてない黒と白の世界になっているらしい。いつもの景観に色がついてないという状況に泣きそうになりながら彼を探しているうちにたどり着くのは、とある場所に静かに存在している花畑だ。
 色のついていない花の上を、自身の羽を動かし見つかるかも分からないエリオットさんを探していると、見覚えのある後ろ姿をようやく見つけるのだそうだ。しかしその人物はロデオにはまだ気づいていないのかこちらを向くことはせず、またエリオットさんとの距離は一向に縮まらないらしい。その人物をエリオットさんだと判断するのに特別時間はかからなかったようで、ロデオはすぐに彼の名前を呼んだ。

『エリオット……っ!』

 ロデオがそう口にすると、エリオットさんはゆっくりとロデオのいる方に身体を向ける。すると、エリオットさんは何か言葉を発しているようで口が僅かに動き出すのだそうだ。一体何を伝えようとしているのか、ロデオが耳を澄ませようとしたときのことである。大きな風が、辺りを取り巻くのだそうだ。ロデオが思わず目をつむったところで、いつも目が覚めてしまうらしい。

「うえっ……ぐす……」

 ――気づけばロデオの目には大きな水だまりが出来ており、さらには鼻をならしていた。その水だまりが形を崩して落ちていってしまうのに、そう時間はかからない。

「うえええん……」
「ご、ごめんごめんっ!」

 声を出して眉を歪めるロデオに、思わず声高に謝罪の言葉が出てしまった。しかしここで僕に出来ることといえば特になく、それどころかロデオが泣いてしまった原因を作ってしまった手前、ただただあたふたすることしか出来ないでいた。手元のクッキーに少し涙が染みついているのも最早余り気にならないが、やはりこの類いの話題を軽率に口にするべきではなかったとしか言いようがないだろう。
 ルシアンから聞いた、リベリオさんの家で起きたとあるひとつの事件。その当事者と思わしきエリオットさんは、その事件のあった日に忽然と姿を消した。

(……亡命か)

 ロデオの彼らに対する想いがどれ程のものなのか、今の僕に計り知ることは当然難しい。
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