14話:陽気な声は聞こえない
橋下君と出会ってから数日、特に何事もなく一日一日が過ぎていった。
「読むの飽きた……」
それを証明するかのように、おれと拓真は放課後の図書室にいる。用が無いのならさっさと帰ればいいものを、当たり前のようにここで暇を潰しているのが日常になってしまっていることに、特別疑問は抱かない。
特に意味のないこの時間が存外嫌いじゃないと思えるようになったのは、果たしていつのことだったか。それすらも思い出せなかった。
「……じゃあ帰ればいいだろ」
「それ拓真が言う? 図書室に読みたいのが無いって言うからわざわざ持ってきたんだから、もうちょっと言い方ないの?」
「……例えばなんだよ」
「いや、なんでおれが例えを出さないといけないわけ?」
そもそもどうして集まっているのが図書室なのか、というところを突っ込まれると正直困る。例えるなら、意味もなく本屋に行って買う気もないのに店を歩いてみたり、一部の学生が帰りにゲーセンに行くのと同じだろう。昔はおれの家というか、花屋まで来ることが多かったけど、それがいつしか図書室に変わっただけ。ただそれだけだ。
勿論そんなことを毎日しているわけじゃないし、図書室に来る曜日は大体決まっていたりもする。暗黙の了解、というものに近いかも知れない。
「あ、先輩みーっけ」
そのふたりでいるだけのよく分からない空間に、当然のように話に入ってきたひとりの男がいた。
「あの後、結局雪降らなかったですね。オレ結構期待してたんですけど」
橋下 香という、ある日突然現れたにも関わらず、まるで最初からいたかのように話を進めている馴れ馴れしい人物だ。
「いやー降りそうな感じだったんですけどね、惜しかったなぁ……。それに、あの人も見つからなかったし」
天気予報もろくに見ることをしていなかったくせして雪が降らなかったことを本当に残念そうにしながら、雪は降らないのかと心待ちにしている様子は少々整合性に欠けると言っていいだろう。まるで、情報を与えられることを待ち続けている都会の子供のようだ。
それに加えて、あの場にいなかった拓真がいるにも関わらず平然と起きたことを口にしているのは少々いけすかない。核心的なことは言葉に出していないものの、そう簡単に口にしていいことではないはずだ。
「その人、知り合いですか?」
拓真を視界に入れながら、橋下君がそう問いかける。
「知り合い……まあうん。そうかもね」
「なんですかその曖昧な答え。じゃあ隣失礼しまーす」
荷物が床に落ちていく音を聞きながら、拓真の隣に座る彼の様子を視界に入れた。拓真はといえば、さして興味が無さそうに本のページをパラパラとめくっていく。あの感じは絶対読んでいないと断言していいだろう。
一応気にはしているようで、でも視線を向けることをしないのは、おれらに気を使っているだけなのかそれとも余り話に入りたくないからなのか、どちらだろう。まあ別にどっちでもいいんだけど、元々拓真って余り人と話すような人でもないし、かといって人見知りというのとは恐らく少し違う系統だろう。
「あ、オレ橋下って言うので。宜しくお願いしますね」
そんな男に、よくもまあこの橋下という人物は話し掛けようとするものだ。
「ふうん……」
聞いているのかいないのか、拓真からは適当な返事が返ってきた。
「先輩? 先輩ですよね? オレ名前教えて欲しいなー」
「……神崎 拓真だけど」
「神崎先輩ですね。オレ覚えましたよ」
「あ、そう……」
もしかすると、単に何も考えていないだけなのかも知れない。
「……で、君何しに来たの? わざわざおれのこと探してさ」
溜め息混じりに、おれは彼に言葉を向けた。
「えー別に何だっていいじゃないですか。たまたま来たら見つけちゃったのはどうしようもないですよ」
「たまたま、ね」
「疑ってます?」
「さあ?」
疑っている。そう言われたらそうかも知れない。まだ出会って僅かだからというのも勿論あるけど、なんていうか、全体的に彼の言動が軽いのだ。時間にすると恐らくまだ数十分しか話していないと思うけど、その時間の中でもこうやって思ってしまうということは、おれが受けた彼の印象というのがよっぽどだったのだろう。
「ああオレ、幽霊とか見えちゃうんですけど、この前幽霊と話してるところ宇栄原先輩に見られちゃったんですよねぇー」
拓真が話半分で聞いているのを察してなのか、自分から簡単に経緯を説明し始める。拓真のまわりの空気が一瞬止まったようなそんな気がしたが、恐らくは気のせいではなかったのだろう。返事をすることはなかったが、拓真の目はおれを捕らえていた。
「まあうん……そういう感じだから。一応言っておくけど、偶然ね」
拓真は、おれの弁解に答えることをしない。特別怒っているわけでは無さそうだったけど、「お前またか」とでも言いたそうな顔をしているというのだけはよく分かった。
「……その感じだと、神崎先輩って色々知ってる感じですか?」
その質問に答えることに、ほんの僅かだけれど戸惑った。
確かに彼の言っていることは大体合ってるけど、おれら以外の誰かが聞いているかも知れないにも関わらずに、こういうことを日常会話のように言ってしまうようなところ。構わずに拓真まで巻き込もうとしているところ。そこに疑念を抱くのは当然だろう。
会ったばかりだというのを踏まえたとしても、彼が一体何を考えてそういう風な態度を取っているのかが、現状理解が及ばなかった。
「君の色々って言うのがおれらの考えてることと合ってるかは分からないけど、そんな感じかな」
不本意ではあるけれど、一応言っておかないと後でややこしいことになりそうではあったから、そもそも答える気の無さそうな拓真に変わっておれが口を開いた。
「そうなんですねー……なら良かったです」
一体何を聞いて良かったと言っているのかは全然分からないが、言葉の通り橋下君はどこか納得したような素振りで言葉を述べる。
それから、彼はとにかく五月蝿かった。五月蝿いというよりはよく喋るというか、隣にいる拓真が少し可哀想になってくるくらいにわりとずっと喋っていた。
オレ、本ってあんまり読まないんですよね。とか、雪降らないかなあ。とか、次に雪が降りそうな時っていつですかね? とか。
天気予報くらい見ればいいのにと言いたいところだけど、というか言ったけど、「見てもすぐに忘れちゃうんですよねー」とか何とか言われてかわされてしまった。いや違う、問題は別にそこじゃない。そんなのはどうだっていい。
「ところで、ちょっと聞いても良いですか?」
話もコロコロ変わるし、多分、こういうところがおれに疑われるのだろう。いや、正直なところそこもわりとどうでもいい。そういう性格なのだというのは十分に分かった。
「なに?」
「逝邪(せいじゃ)っていう存在、知ってます?」
問題だったのは、完全に彼のペースにこちらが巻き込まれているということだ。
「読むの飽きた……」
それを証明するかのように、おれと拓真は放課後の図書室にいる。用が無いのならさっさと帰ればいいものを、当たり前のようにここで暇を潰しているのが日常になってしまっていることに、特別疑問は抱かない。
特に意味のないこの時間が存外嫌いじゃないと思えるようになったのは、果たしていつのことだったか。それすらも思い出せなかった。
「……じゃあ帰ればいいだろ」
「それ拓真が言う? 図書室に読みたいのが無いって言うからわざわざ持ってきたんだから、もうちょっと言い方ないの?」
「……例えばなんだよ」
「いや、なんでおれが例えを出さないといけないわけ?」
そもそもどうして集まっているのが図書室なのか、というところを突っ込まれると正直困る。例えるなら、意味もなく本屋に行って買う気もないのに店を歩いてみたり、一部の学生が帰りにゲーセンに行くのと同じだろう。昔はおれの家というか、花屋まで来ることが多かったけど、それがいつしか図書室に変わっただけ。ただそれだけだ。
勿論そんなことを毎日しているわけじゃないし、図書室に来る曜日は大体決まっていたりもする。暗黙の了解、というものに近いかも知れない。
「あ、先輩みーっけ」
そのふたりでいるだけのよく分からない空間に、当然のように話に入ってきたひとりの男がいた。
「あの後、結局雪降らなかったですね。オレ結構期待してたんですけど」
橋下 香という、ある日突然現れたにも関わらず、まるで最初からいたかのように話を進めている馴れ馴れしい人物だ。
「いやー降りそうな感じだったんですけどね、惜しかったなぁ……。それに、あの人も見つからなかったし」
天気予報もろくに見ることをしていなかったくせして雪が降らなかったことを本当に残念そうにしながら、雪は降らないのかと心待ちにしている様子は少々整合性に欠けると言っていいだろう。まるで、情報を与えられることを待ち続けている都会の子供のようだ。
それに加えて、あの場にいなかった拓真がいるにも関わらず平然と起きたことを口にしているのは少々いけすかない。核心的なことは言葉に出していないものの、そう簡単に口にしていいことではないはずだ。
「その人、知り合いですか?」
拓真を視界に入れながら、橋下君がそう問いかける。
「知り合い……まあうん。そうかもね」
「なんですかその曖昧な答え。じゃあ隣失礼しまーす」
荷物が床に落ちていく音を聞きながら、拓真の隣に座る彼の様子を視界に入れた。拓真はといえば、さして興味が無さそうに本のページをパラパラとめくっていく。あの感じは絶対読んでいないと断言していいだろう。
一応気にはしているようで、でも視線を向けることをしないのは、おれらに気を使っているだけなのかそれとも余り話に入りたくないからなのか、どちらだろう。まあ別にどっちでもいいんだけど、元々拓真って余り人と話すような人でもないし、かといって人見知りというのとは恐らく少し違う系統だろう。
「あ、オレ橋下って言うので。宜しくお願いしますね」
そんな男に、よくもまあこの橋下という人物は話し掛けようとするものだ。
「ふうん……」
聞いているのかいないのか、拓真からは適当な返事が返ってきた。
「先輩? 先輩ですよね? オレ名前教えて欲しいなー」
「……神崎 拓真だけど」
「神崎先輩ですね。オレ覚えましたよ」
「あ、そう……」
もしかすると、単に何も考えていないだけなのかも知れない。
「……で、君何しに来たの? わざわざおれのこと探してさ」
溜め息混じりに、おれは彼に言葉を向けた。
「えー別に何だっていいじゃないですか。たまたま来たら見つけちゃったのはどうしようもないですよ」
「たまたま、ね」
「疑ってます?」
「さあ?」
疑っている。そう言われたらそうかも知れない。まだ出会って僅かだからというのも勿論あるけど、なんていうか、全体的に彼の言動が軽いのだ。時間にすると恐らくまだ数十分しか話していないと思うけど、その時間の中でもこうやって思ってしまうということは、おれが受けた彼の印象というのがよっぽどだったのだろう。
「ああオレ、幽霊とか見えちゃうんですけど、この前幽霊と話してるところ宇栄原先輩に見られちゃったんですよねぇー」
拓真が話半分で聞いているのを察してなのか、自分から簡単に経緯を説明し始める。拓真のまわりの空気が一瞬止まったようなそんな気がしたが、恐らくは気のせいではなかったのだろう。返事をすることはなかったが、拓真の目はおれを捕らえていた。
「まあうん……そういう感じだから。一応言っておくけど、偶然ね」
拓真は、おれの弁解に答えることをしない。特別怒っているわけでは無さそうだったけど、「お前またか」とでも言いたそうな顔をしているというのだけはよく分かった。
「……その感じだと、神崎先輩って色々知ってる感じですか?」
その質問に答えることに、ほんの僅かだけれど戸惑った。
確かに彼の言っていることは大体合ってるけど、おれら以外の誰かが聞いているかも知れないにも関わらずに、こういうことを日常会話のように言ってしまうようなところ。構わずに拓真まで巻き込もうとしているところ。そこに疑念を抱くのは当然だろう。
会ったばかりだというのを踏まえたとしても、彼が一体何を考えてそういう風な態度を取っているのかが、現状理解が及ばなかった。
「君の色々って言うのがおれらの考えてることと合ってるかは分からないけど、そんな感じかな」
不本意ではあるけれど、一応言っておかないと後でややこしいことになりそうではあったから、そもそも答える気の無さそうな拓真に変わっておれが口を開いた。
「そうなんですねー……なら良かったです」
一体何を聞いて良かったと言っているのかは全然分からないが、言葉の通り橋下君はどこか納得したような素振りで言葉を述べる。
それから、彼はとにかく五月蝿かった。五月蝿いというよりはよく喋るというか、隣にいる拓真が少し可哀想になってくるくらいにわりとずっと喋っていた。
オレ、本ってあんまり読まないんですよね。とか、雪降らないかなあ。とか、次に雪が降りそうな時っていつですかね? とか。
天気予報くらい見ればいいのにと言いたいところだけど、というか言ったけど、「見てもすぐに忘れちゃうんですよねー」とか何とか言われてかわされてしまった。いや違う、問題は別にそこじゃない。そんなのはどうだっていい。
「ところで、ちょっと聞いても良いですか?」
話もコロコロ変わるし、多分、こういうところがおれに疑われるのだろう。いや、正直なところそこもわりとどうでもいい。そういう性格なのだというのは十分に分かった。
「なに?」
「逝邪(せいじゃ)っていう存在、知ってます?」
問題だったのは、完全に彼のペースにこちらが巻き込まれているということだ。