02話:嘘の色

 誰かが扉をノックする音が、僕のいる部屋に静かに響き渡る。かと思えば、扉は僕の返事を待たずに無造作に開かれた。

「あ、いたいた。今着いたんだって? ……って、部屋こんな色してるんだね」

 そう口にしながら当たり前のように僕の部屋に足を踏み入れる男の人を見るに、どうやら僕のことを知っているようだったけど、姿を見ただけでは思い出すまでには至らなかった。分かるのは、せいぜい服装が僕の着ている服となんだか似ているということくらいだろう。似ている、というか制服というのが正しいだろうか。

「えっと……」
「あー、そっか……。相谷くん記憶ないんだっけ?」

 相谷。僕の名字が向けられたことと、記憶がないというストレートな言葉に酷く動揺する。ひょっとすると、この人は僕のことを本当に知っているらしい。
 でも僕は果たして、目の前にいる人を見たことがあっただろうか? その答えを、今の僕が自力で導くことは容易くない。

「そ、その……」
「あー……どうしようかな……」

 少し困った顔をして目をそらすその人は、次の言葉を探しているように見える。それが何だか少し申し訳なかったが、だからと言って今の僕からしたら知らない人のわけだから、かける言葉なんてあるわけがなく僕はただ黙っていることしか出来ずにいた。すると、何かを思い付いた様子で、その人は笑顔を僕に向ける。

「相谷くんがはじめてだって言うなら、やっぱ自己紹介からだよね」

 その時、何かが一瞬だけ頭をチラついた。
 何処か、空がよく見える風が流れる場所。そこで僕は、その笑顔をどこかで見たことがある。そんな気がした。だが、頭の中に浮かんだ情景は霧がかっているように不鮮明なせいで何かを思い出すというところにまでは至らない。疑問符が頭から離れないまま、目の前にいる人は言葉を出した。

「オレは橋下 香(はしもと きょう)。えーっと、キョウとでも呼んでよ」
「キョウ……?」

 その名前に、ほんの少しだけ聞き覚えがあるように感じた僕は、何とか思い出そうと思考を巡らせる。同じ制服を着たキョウって名前の人。何かが引っ掛かりつつも、思い出せるくらいの情報がまだ十分ではないようで、この人の口から出てきたこと以上のことは、何一つとして思い出せなかった。せいぜい出来るのは、恐る恐るこの人の名前を呼ぶことくらいだろう。

「キョウ、さん……?」
「き、キョウさんか……まあいいや。宜しくね」

 キョウさん。僕がそう呼ぶと何故か少し驚いていたようだけれど、それはすぐに笑顔へと変わった。
 そうだ、僕も自己紹介をしないと。そう思って口を開いたけど、「いや、知ってるから」と笑いながら止められてしまう。何となく残念な気分になってしまったけど、僕のことを本当に知っているらしい人に出会ったからか、ここに来たときよりはどこか落ち着けたような気がした。まるでその僕の気持ちを代弁するかのように、キョウさんは部屋にあるソファに腰を落ち着かせる。それにつられるようにして、僕もソファへと足を進め、僅かな距離を空けて腰を下ろした。

「そうだ。部屋は隣の『126号室』だから、何かあったらいつでも来てよ。どうせ暇だし」
「わ、分かりました……」
「あー……そうか。それも言わなきゃ駄目か……」

 どこか言いづらそうにしながらも、キョウさんは僕に視線を向けこう言った。

「敬語、いらないからさ。普通に話してよ」

 その言葉に、僕は酷く困ってしまう。普通に話すというのは、今の僕には少し難しい注文だ。だって、僕からしたら目の前にいるのは自己紹介をしたばかりのまだ何も知らない人という認識なわけだから、その人に敬語を使わないというのはどうやっても気が引ける。
 キョウさんの言い方からして、多分ここに来る前は敬語じゃなく普通に話していたのだろう。そう思うと、敬語を使うほうが気を使わせてしまうのだろうか。なんて考えていると、ほんの少し沈黙が流れてしまう。やっとの思いで答えを導き出した僕は、どこか緊張しながら言葉を向けた。

「えっと……。分かりまし……じゃなくて、分かっ……た?」
「そうそう。オレ的にはそっちの方がいいな」

 どこか満足したように、キョウさんは笑顔を振り撒く。なんだかそれが、僕を不思議な気持ちにさせた。さっきも思ったけど、やっぱり僕は何処かでこの笑顔を見たような気がしてならない。それはつまり、ここに来る前からキョウさんとは出会っていてもっと言うなら、知り合いだということの証明なのだろうか? 敬語は止めてほしいというキョウさんの言葉も、そう考えればまだ理解が出来た。

「……それより聞いた? 部屋の色がその人の人生を表すとか何とかってやつ」
「あ、うん……案内人さんが言ってたよね」
「光希くんのこれ、何色なの?」
「秘色……だったかな」
「ひそく? 何それ」
「分かんない……」

 キョウさんと普通に話せていることに少し驚きながらも、少し安心している自分もいる。はじめて会ったようで、やっぱりそうではない。何とも不思議な気持ちが、僕の頭の中に張り巡られていくのが分かる。そして、その隙間を埋めるようにして存在する、今の僕には知り得ないもうひとつの感情。それが、ここに来る前から僕とキョウさんが知り合いだったという事を裏付けるようにして、奥深くに潜んでいるように感じた。
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