01話:ホワイト

「貴方の部屋は二階なので、ちょっと面倒ですけどそこの階段で行きましょうか」

 受付傍にある階段を早々に上る案内人さんを前に、僕は急いで後を追う。上り終えたその先には、ひとつに扉がそびえたっていた。一見重そうなそれを案内人さんが簡単に開け、「こっちです」と案内人さんはそう言って一度僕を視界に捉えて扉を抜ける。それに倣って僕も足を勧めた。すると、左側にはまた別の簡素な扉が並んでいるのがよく分かった。それがどうやら僕らに割り振られている部屋のようで、扉にかかっているプレートには、順に『120』『121』……と書いてあった。

「えーっと……? あ、相谷さんの部屋は127号室ですね」

 果たしていくつまであるのか分からないけど、廊下は広くて長い。僕たちが来た右側の部屋が120号室から始まっているってことは最低でも130はあるのだろうけど、もっとあるんじゃないだろうかと思ってしまう。124号室を抜けたその時、ガチャリと無機質な音が後ろから聞こえてくる。僕は、気付けば後ろを振り向いていた。
 僕の視線の先には、モップとパケツを持った男の人がいる。その人もまた、こちらを視界に入れているらしい。

「あ、掃除士さーん。今日も掃除ですか?」
「……どうも」

 掃除士。そう呼ばれた人は、聞き逃してしまいそうなくらいに小さな声で一言だけ口にした。

「127号室の相谷さん。今日から一週間だそうですから、覚えておいてくださいね」
「え、えーっと……宜しくお願いします」

 僕は、かなりぎこちない挨拶を掃除士さんにむける。掃除士さんはその様子をじっと見た後、小さなお辞儀をして僕たちとは反対方向へと去っていった。

「あの人、いつもあんな感じなので気にしないで下さいね」

 掃除士さんということは、ここのお掃除担当の人なのだろう。この後一体どこに向かうのか気になりはしたものの、それ以上の詮索をすることはなく、再び歩みを進めた。と言っても、足を止めることになるのはすぐのことだった。

「ここですね。相谷さんの部屋は」

 そう口にして、案内人さんが足を止めた。視線の先にある扉の番号は、『127』だ。どうやら早々に僕の部屋に辿り着いてしまったらしい。
 案内人さんは首から下げている鍵を手に取り、当たり前のように鍵を開ける。一つしか持っていないようだけれど、どれもこの鍵で開くのだろうか? そんな思いを持ってしまったからなのか、ガチャリという鍵の開く音によって現実へと戻されたような気がした。「どうぞ」と促されるまま先に部屋の中に入る。そして、僕はとても驚いた。

「青……?」

 だってその部屋は、今までの白い空間とは比べ物にならないくらいに壁や家具など全てのモノが薄い青のような色で溢れていたからだ。

「秘色(ひそく)、聞いたことないですか?」
「ひそく……?」
「簡単に言うと、浅い緑ってところですかね。見た目は青に近いですけど」

 どうやら、この色は秘色というものらしい。聞いたことのない色の名前だけれど、それは僕の記憶がないからなのか、それとも世間一般的に聞きなじみのないものなのか、その判断をするのは少し難しかった。

「この部屋の色は、貴方の人生そのものなんですよ。まあ、だからといってどうという訳でもないですけど」
「人生……?」

 部屋の色が僕の人生、というのは一体どういう意味なのかよく分からないけれど、確かに神秘的な色をしていてとても綺麗に感じる。そう思うのは、もしかしたらこれが本当に自分の人生に基づいた色だから、なのかもしれない。

「……じゃあ、私はこれで。何かありましたら、さっきの受付まで来ていただくか、そこら辺を彷徨いている掃除士さんでも捕まえてください」
「あ、えっと……案内してくれてありがとうございました」

 この色についてもう少し詳しく聞きたかったのだけれど、案内人さんは早々と話を切り上げてしまい聞くタイミングがなくなってしまう。案内人さんはにこっと微笑んだ後、「では」と言いながら部屋を後にした。バタン、と扉が音を立てて閉まった途端に突然訪れたかのような静寂に不安に似た何かを抱きながら、僕は今までとは違う色で染められたこの部屋を何をするでもなくじっと眺めていた。
 秘色という色と、案内人さんが言っていた「この部屋は僕の人生そのもの」という言葉。それがどうにも引っかかって仕方がない。だって、どうしてこの部屋はこんな色をしているのかなんて、記憶のない今の僕がどんなに考えても分かる訳がないからだ。記憶が戻ったら、僕がここにいる意味も、この色の意味も分かるのかも知れない。確かに、これがどういう意味を持つのかはとても気になる。気にはなるけど、そんな気持ちとは裏腹に、どうしてかそれとは少し違う感情に苛まれる。
 思い出したいという気持ちよりも、思い出さない方がいいんじゃないか? なんていう気持ちの方が不思議と遥かに大きかったが、だからといってそれに対して疑問を持つことはしなかった。
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