01話:ホワイト

「……キミ、今日は客人が来るから、ちゃんと受付に居なさいとあれ程言っただろう?」

 その誰かの声を聞き取ったらしい支配人さんは、少し呆れ気味にこっちに視線を向けている。さっきとはうって変わって、眉間にしわが寄っているのがよく分かった。

「だから戻ってきたじゃないですか。そしたら既に居るんですもの、驚きですよー」
「別にキミの言い訳はどうでもいいが、それより名簿は……」

 言葉を止めた支配人さんの視線の先は、さっき来た男の人が手に待っている本のようなものだ。かなり分厚く、見た目からして重量がありそうにも見える。

「……キミね、名簿を持ち歩るくなと何度言ったら分かるんだ?」
「いやだから、来るかなーと思って待ってたんですよ。でもいつまで経っても来ないし、掃除士さんはまた何処かで油売ってるし。私も暇だからフラフラしようと思ったんですけど、かと言って、名簿を置いて行く訳にはいかないじゃないですかあ」
「相変わらずよく喋るね……。なんでもいいから、早くそれを見せてくれたまえ」
「はいはーい」

 そう口にすると、名簿を持っている男の人は僕のいる方へと足を進める。支配人さんもこちらに戻ってくるのを見るに、どうやら僕に関係しているようだが、それにしても同時に向かわれると少し緊張が走ってしまう。
 歩きながら分厚いそれを捲り、何かを探している。パラパラとした音だけが辺りを走った。

「……ああ、これですね」

 探しているものが見つかった、というように男の人が声をあげる。その名簿の中身が、僕にも見えるように机へと置かれた。名簿というより、何故か僕の写真が貼ってあったりとなんだか履歴書にも近いようにも見えた。支配人さんが、開かれたページのとある場所を指差す。その先には、誰かの名前らしいものが書かれていた。

「ここに書いてあるのが、キミの名前だ」
「相、あい……?」
「相谷 光希(あいたに こうき)。それがキミの名前だよ」
「あいたに……」
「……聞き覚えはあるかい?」

 相谷 光希。それが僕の名前らしいが、記憶がない今の僕にはまだピンと来ていない。ということは、その隣にある写真は僕のものなのだろうけど、イマイチぴんと来なかった。しいて言うのなら、なんとなく聞いたことがあるようなそんな気がするという曖昧なものだけで、支配人さんの問いに僕は首を傾げることくらいしか出来なかった。
 その様子を見た支配人さんは、「そうか」とだけ口にする。自分の名前すら思い出せないという事実が、僕は本当に僕なのだろうかという疑問を如実に表しているようで、少し薄気味が悪い。ここに来る時に起こる現象だから、なんていうことで割り切るのはどうやら難しいようだ。

「……さて、これで準備は整ったね。部屋の場所を案内するのは、そこにいる彼の役目だから、あとは任せたよ」
「はいはーいっと。ということで宜しくどうぞ。私は案内人とでも呼んでください」

 自身を案内人と呼ぶ男の人は、僕と目が合うと笑顔を向けてくれる。軽快な声と笑った顔が似合う人、というのが僕の第一印象だった。

「……よ、宜しくお願いします」
「ご丁寧にどうも。じゃ、早速行きますか」

 案内人さんに促されるままその場を後にしようと立とうとした時、支配人さんが僕に声をかけた。

「……ああそうだ。相谷クン、キミの到着を待ちかねている人物が何人かいるから、部屋についた後にでも会いに行ってみてはどうかな。彼らはキミと同じ階の部屋にいるはずだよ」
「あ、ありがとうございます……。支配人さん」
「礼はいらないさ。では、どうか素敵な一週間を」

 支配人さんがハットを手に取り、深々と僕にお辞儀をする。定型文なのだろうが、僕はそれにつられぎこちなくお辞儀をした後すぐに背を向けた。
 少し気になったのは、僕の知っているひとがここにいるということだ。その人たちに会ったら、僕がどんな人だったのかというのも、もしかしたら分かるかもしれない。そんなことを思いながら、その場を後にした。
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