02話:嘘の色
「まあでも、色って言ってもね? その人の人生そのものって言われたところで、よく分かんないよねぇ」
「う、うん……」
橋下……キョウさんの言うことは確かにそうだ。急に知らない場所に連れてこられて、僕の場合は記憶もなくなってしまった。そんな中、『部屋の色は人生を表す』だなんて言われても、いまいちどころか全然ピンとこない。普通……というのとは少し違うかも知れないけれど、それなりに過ごしていたのならそういうのは余り関係ないような気がするけど、そうでもないのだろうか?
部屋の色、という繋がりで思ったけれど、そういえばキョウさんの部屋の色は何色なのだろう。僕は思い切って聞いてみることにした。
「あの……キョウさんの部屋って、何色なの?」
「え? あー……」
そう質問をすると、どうしてか少し答えづらそうにキョウさんは考え込んでしまう。もしかして、聞いたらいけないことを聞いてしまったのかも知れない。
「えっと……。聞かないほうが良かった……?」
「いや、そうじゃないんだけどー。そのー……」
目を泳がせるキョウさんだったけど、観念したというように、その瞳に僕を映した。
「……似紅色(にせべにいろ)、なんだってさ」
「にせべにいろ……?」
「うん。簡単に言うと赤かな? 最初入ったとき一面赤で驚いちゃってさ。それもただの赤じゃなくて似紅ってなに? って感じじゃない? いや普通に赤ならまだ分かるっていうか、いやそれでも全然意味が分からないけど、似紅だよ?」
「似紅……」
キョウさんの顔が少し曇ったのは、どうやら僕の質問のせいではなく単純に部屋の色が似紅という名前だというのが気に入らないかららしい。
似紅色。確かに、喜んでいいのか分からないような名前ではある。赤の一種みたいだけど、それがどんな色をしているのかは僕には想像がつかない。あとでキョウさんの部屋を見せてほしい、なんて言ったら、キョウさんは承諾してくれるだろうか。
「それより、今何時なのかなあ……。時計とか探したんだけど、何処にもないんだよね」
「そういえば……」
辺りを見回しても、キョウさんの言う通り、時計らしいものが何処にもない。確かに、ホテルだというのに時計やその類のものを見た記憶がないなんてかなりの違和感がある。ちゃんと見たわけではないけれど、一見ありそうな受付のカウンターのところにも時計のようなモノはなかったような気がする。何か特別な理由でもあるのだろうか?
「そういえば、光希くんって来たばっかりだし疲れてない? オレ普通に長居しちゃってるけど……」
キョウさんに言われて、はじめて気付いた。確かに部屋に案内された直後にキョウさんが来たから、落ち着いて休むという感じではなかったかもしれない。特になにも考えていなかったけど、改めて言われると何故か体が重く感じてしまう。それもそうだろう。目を開けたら知らない場所で、しかも記憶がないなんて言われたこの状況で、疲れていないということはある筈がなかった。
「……じゃあ、一旦部屋に戻ろうかな。あんまり邪魔したら悪いし」
「そっか……」
「あ、今度はオレの部屋にでも来てよ。どこも赤だから、かなり落ち着かないけど」
隣に座っていたキョウさんは腰を上げ、扉のあるほうへと足を向ける。
――その様子に、突然言いようがない不安に駆られた。
「き、キョウさんっ……!」
「わっ……な、なに?」
考えるよりも前に、体が勝手に動く。気付いた時には、僕はキョウさんの腕を掴んでまでして引き止めてしまっていた。
こんなことなんて日常ではよくあるなんてことない場面であるにも関わらず、背を向けられているこの状況がなんだかいつものそれとは違うように見えてしまった。
あの時は、呼び止めるということが出来なかったから。
だからキョウさんを呼び止めなければいけない。そう思ったのだ。
「あ、その……」
「……どうかした?」
「えっと……」
咄嗟に掴んでしまった腕を、急いで離す。
僕の行動に、当然ながら不思議そうな表情を見せるキョウさんが、僕の目に映る。でも多分、一番困惑しているのは僕のほうで、どうしてこんな行動をとったのかが本当に分からなかった。
「……オレ、逃げないからさ」
「え……?」
「いつでも来てよ」
そんな僕とは裏腹に、キョウさんは何も動じていないといった様子で言葉を紡ぐ。……この人は、いつだって笑顔だった。
「じゃあ、またね」
ドアが閉まるほんの少し前、キョウさんは僕に向けて手を振ってくれた。それにつられるようにして、僕もキョウさんに小さく手を振り返す。さっきまでの喧騒は扉が閉じると同時に遮断され、またしても部屋には僕ひとりだけが残された。
ほんの少しだけ寂しく感じてしまうのは、記憶がないにも関わらず僕がキョウさんを知り合いと認識したからなのだろう。さっきのこともあってか後ろ髪引かれる思いはあるけど、だからと言って今すぐキョウさんの部屋に行ったところで特に用があるわけでもない。
取りあえず、もう一度ソファに座って落ち着こう。そう思った時、突然制服についている右ポケットに何かが入っているようなずしりと重くなる感覚に苛まれた。急に訪れたそれに疑問を抱きつつ、中を探ってポケットに入っていた何かを取り出す。
「……音楽、プレイヤー?」
僕の手に掴まれて出てきたのは、見覚えのある青々しいもの。正確にいうなら青い音楽プレイヤーと青いイヤホン。なのだけれど、何も入っていなかったはずのポケットからどうして急に湧いたように出てきたのだろうか? これが一体どこから出てきたのか、僕には理解が出来なくてとても不思議でしょうがない。ただ、出てきたそれらが明らかに僕のものだと分かる。どうしてかと聞かれれば、どう見ても僕のものだから。なんていう答えにすらなっていない言葉しか出てこないくらいに、それは僕のものだと断言が出来た。
なんだか久しぶりに見た気がするそれを、僕は徐に起動させる。どうやらちゃんと動くようで、イヤホンを耳に入れれば、いつもの音楽が流れてくるのをひしひしと感じた。
……いつもの、と言えるくらいには、僕はこれを肌身離さず持っていた。そのはずだ。
「案内人さん達に聞いたら、なにか分かるかな……」
確かに僕のものではあるけれど、突然現れたという部分に少し不気味さを感じてしまう。それなら、誰かに聞いた方が理由も分かるかも知れないし、何より僕が落ち着かない。
ああでも、もう少しこの曲を聞いていたいから、話にいくのはまだいいかな。それに、やっぱりちょっと疲れたのだ。そんな最もらしい言い訳を心の中でしながら、僕はソファへと体を預ける。疲れが一気に来たような感覚に襲われるのが、嫌になるほど伝わってきた。瞼が重くのし掛かり、あっという間に眠気が僕を包んでいく。
そんな中、どうしてか僕はこう思ってしまう。
どうせなら、このまま目が覚めなければいいのに、と。
――いつしか、部屋から聞こえるのは寝息だけになっていた。
「う、うん……」
橋下……キョウさんの言うことは確かにそうだ。急に知らない場所に連れてこられて、僕の場合は記憶もなくなってしまった。そんな中、『部屋の色は人生を表す』だなんて言われても、いまいちどころか全然ピンとこない。普通……というのとは少し違うかも知れないけれど、それなりに過ごしていたのならそういうのは余り関係ないような気がするけど、そうでもないのだろうか?
部屋の色、という繋がりで思ったけれど、そういえばキョウさんの部屋の色は何色なのだろう。僕は思い切って聞いてみることにした。
「あの……キョウさんの部屋って、何色なの?」
「え? あー……」
そう質問をすると、どうしてか少し答えづらそうにキョウさんは考え込んでしまう。もしかして、聞いたらいけないことを聞いてしまったのかも知れない。
「えっと……。聞かないほうが良かった……?」
「いや、そうじゃないんだけどー。そのー……」
目を泳がせるキョウさんだったけど、観念したというように、その瞳に僕を映した。
「……似紅色(にせべにいろ)、なんだってさ」
「にせべにいろ……?」
「うん。簡単に言うと赤かな? 最初入ったとき一面赤で驚いちゃってさ。それもただの赤じゃなくて似紅ってなに? って感じじゃない? いや普通に赤ならまだ分かるっていうか、いやそれでも全然意味が分からないけど、似紅だよ?」
「似紅……」
キョウさんの顔が少し曇ったのは、どうやら僕の質問のせいではなく単純に部屋の色が似紅という名前だというのが気に入らないかららしい。
似紅色。確かに、喜んでいいのか分からないような名前ではある。赤の一種みたいだけど、それがどんな色をしているのかは僕には想像がつかない。あとでキョウさんの部屋を見せてほしい、なんて言ったら、キョウさんは承諾してくれるだろうか。
「それより、今何時なのかなあ……。時計とか探したんだけど、何処にもないんだよね」
「そういえば……」
辺りを見回しても、キョウさんの言う通り、時計らしいものが何処にもない。確かに、ホテルだというのに時計やその類のものを見た記憶がないなんてかなりの違和感がある。ちゃんと見たわけではないけれど、一見ありそうな受付のカウンターのところにも時計のようなモノはなかったような気がする。何か特別な理由でもあるのだろうか?
「そういえば、光希くんって来たばっかりだし疲れてない? オレ普通に長居しちゃってるけど……」
キョウさんに言われて、はじめて気付いた。確かに部屋に案内された直後にキョウさんが来たから、落ち着いて休むという感じではなかったかもしれない。特になにも考えていなかったけど、改めて言われると何故か体が重く感じてしまう。それもそうだろう。目を開けたら知らない場所で、しかも記憶がないなんて言われたこの状況で、疲れていないということはある筈がなかった。
「……じゃあ、一旦部屋に戻ろうかな。あんまり邪魔したら悪いし」
「そっか……」
「あ、今度はオレの部屋にでも来てよ。どこも赤だから、かなり落ち着かないけど」
隣に座っていたキョウさんは腰を上げ、扉のあるほうへと足を向ける。
――その様子に、突然言いようがない不安に駆られた。
「き、キョウさんっ……!」
「わっ……な、なに?」
考えるよりも前に、体が勝手に動く。気付いた時には、僕はキョウさんの腕を掴んでまでして引き止めてしまっていた。
こんなことなんて日常ではよくあるなんてことない場面であるにも関わらず、背を向けられているこの状況がなんだかいつものそれとは違うように見えてしまった。
あの時は、呼び止めるということが出来なかったから。
だからキョウさんを呼び止めなければいけない。そう思ったのだ。
「あ、その……」
「……どうかした?」
「えっと……」
咄嗟に掴んでしまった腕を、急いで離す。
僕の行動に、当然ながら不思議そうな表情を見せるキョウさんが、僕の目に映る。でも多分、一番困惑しているのは僕のほうで、どうしてこんな行動をとったのかが本当に分からなかった。
「……オレ、逃げないからさ」
「え……?」
「いつでも来てよ」
そんな僕とは裏腹に、キョウさんは何も動じていないといった様子で言葉を紡ぐ。……この人は、いつだって笑顔だった。
「じゃあ、またね」
ドアが閉まるほんの少し前、キョウさんは僕に向けて手を振ってくれた。それにつられるようにして、僕もキョウさんに小さく手を振り返す。さっきまでの喧騒は扉が閉じると同時に遮断され、またしても部屋には僕ひとりだけが残された。
ほんの少しだけ寂しく感じてしまうのは、記憶がないにも関わらず僕がキョウさんを知り合いと認識したからなのだろう。さっきのこともあってか後ろ髪引かれる思いはあるけど、だからと言って今すぐキョウさんの部屋に行ったところで特に用があるわけでもない。
取りあえず、もう一度ソファに座って落ち着こう。そう思った時、突然制服についている右ポケットに何かが入っているようなずしりと重くなる感覚に苛まれた。急に訪れたそれに疑問を抱きつつ、中を探ってポケットに入っていた何かを取り出す。
「……音楽、プレイヤー?」
僕の手に掴まれて出てきたのは、見覚えのある青々しいもの。正確にいうなら青い音楽プレイヤーと青いイヤホン。なのだけれど、何も入っていなかったはずのポケットからどうして急に湧いたように出てきたのだろうか? これが一体どこから出てきたのか、僕には理解が出来なくてとても不思議でしょうがない。ただ、出てきたそれらが明らかに僕のものだと分かる。どうしてかと聞かれれば、どう見ても僕のものだから。なんていう答えにすらなっていない言葉しか出てこないくらいに、それは僕のものだと断言が出来た。
なんだか久しぶりに見た気がするそれを、僕は徐に起動させる。どうやらちゃんと動くようで、イヤホンを耳に入れれば、いつもの音楽が流れてくるのをひしひしと感じた。
……いつもの、と言えるくらいには、僕はこれを肌身離さず持っていた。そのはずだ。
「案内人さん達に聞いたら、なにか分かるかな……」
確かに僕のものではあるけれど、突然現れたという部分に少し不気味さを感じてしまう。それなら、誰かに聞いた方が理由も分かるかも知れないし、何より僕が落ち着かない。
ああでも、もう少しこの曲を聞いていたいから、話にいくのはまだいいかな。それに、やっぱりちょっと疲れたのだ。そんな最もらしい言い訳を心の中でしながら、僕はソファへと体を預ける。疲れが一気に来たような感覚に襲われるのが、嫌になるほど伝わってきた。瞼が重くのし掛かり、あっという間に眠気が僕を包んでいく。
そんな中、どうしてか僕はこう思ってしまう。
どうせなら、このまま目が覚めなければいいのに、と。
――いつしか、部屋から聞こえるのは寝息だけになっていた。