10話:想い思うは他人事

 辺りはとても静かだというのに、廊下にはおれの足裏が引っかかる音が耳に入る。しかし、とてもじゃないがそれを気にしていられる心持ではなかった。
 とある一室を前に、ようやく足が立ち止まる。恐らくは数秒その場で立ち尽くしていたのだろう。落ち着きを取り戻すには、それくらいの時間がどうしても必要だった。扉をノックするという行為に躊躇してしまったのは、今でもそれを行け入れたくなかったからかも知れない。

「……入るよ」

 ノックをしたところで返事が帰ってくるわけがないのに、何処か期待している自分がいる。しかし、その期待はいとも簡単に打ち砕かれるということもおれはちゃんと知っていた。
 扉が閉まる音と共に聞こえるのは、心音を伝える医療器具の音。近づくたびにはっきりと聞こえてくるその淡々とした音が無意味にすら聞こえてしまうほどに、酷く煩わしく感じてしまう。真っ白という訳でもないが、この簡素な部屋の色が静かな空間の中にいるとより如実に表れているような、そんな気がした。
 床の擦れる音が僅かに混じりながら、窓際の棚にある花瓶へと向かう。おれは、既に花瓶に何本かささっている花にそっと触れた。それらの色がやけに目に付いてしまったのは、恐らくこの一室が簡素過ぎるせいだろう。気付けば早々に視界から外していた。目を向けたのは、すぐ横にあるベットだった。そこにいる、包帯が巻かれた痛々しい姿の某人の姿を見るたびに顔が歪んでいくのが分かる。

「拓真……」

 無意識に届くはずもないそいつの名前が漏れた。あれから、拓真が事故に巻き込まれてから約二日が過ぎた。医者が言うには、後は本人の体力の問題とのことで後はただただ目が覚めるのを待つ他ないらしい。
 拓真の両親はこの時間は仕事のようで、今の時間はおれしかいない。今日も病室に足を運んでしまったのは、図書室に行っても知り合いがいないから。……ただそれだけというには、少し弱い。
 学校にいても頭が回らないし、家に居ても落ち着かない。おまけに話し相手もいない。出来る限り頭を整理したいと思えば思うほど、ここに来るのが最善だという他なかった。それでも、気を抜けば言いようのない感情に押しつぶされそうになるのは変わらない。

 拓真は、信号を無視して突っ込んできた車に巻き込まれたと警察から聞いた。車は電柱に車がぶつかるまで走り続けたらしく、ボンネットは原型を留めていなかったようだ。運転手は拓真と同様、重体のまま意識はまだ戻っていないらしい。ブレーキを踏んだ後はあったようだが、どうやらそれが正常に作動することがなかったようだ。警察によるとどうやらそういうことになっているらしい。おおかた警察の言う通りなのだろうが、それでもやはり拭えない疑念は当然残る。
 事故が起きた場所は雅間さんが亡くなった場所と同じで、学校から図書館へと向かう道。比較的車通りも少なくて、本来なら事故なんてそうそ起こらない場所だ。だが、それが起きてしまった。しかも短期間に二回。恐らく警察は「車の不具合が原因だった」と結論づけるだろうし、別にそれでも構わない。最も、本当に故意ではなかった場合に限るが。しかし、それが本当に真実であるということに関しては、おれは疑問を提示せざるを得ない。そうであって欲しくないと思いながらも、恐らくそうなのだろうという一定の確信と疑念があった。
 こんな話、人に言ったところで頭のおかしい奴と思われて相手にされないだろうから基本的には誰にも言わないけど、言わないことによって無駄なストレスが溜まる。唯一言っても許されるであろう人物が目の前にいるのだが、出来れば余り視界には入れたくない。

 ――既にこの世には存在しない、雅間 梨絵という存在によって起きた事故だと考える余地があるというのを、おれは一体どうやって自分の中で完結させればいいのだろうか?

 そもそも確証なんてものは何処にもないし、何より警察に信じてもらえるなんて思ってはいない。でも、その可能性が否定出来ない限りは疑うべきだ。
 あの日の自分の携帯電話の履歴を見ると、言い表すことの出来ない苛立ちに溺れそうになる。もっと早く向かって入れば、最悪の事態は免れることが出来たかも知れない。ちゃんと自分の目で確認することも可能だったはずだ。そんなことばかり、考えてしまう。

「……くそ」

 その現実を受け止められるほど、冷静になんてとてもなれやしない。
 だが、この一連の出来事が人間の手によって起きたものではないのだとするなら、おれにはまだやれることが幾つか残っている。最も本当におれだけでどうにか出来たらの話だが、それをするには状況を整理する時間がどうしても必要だ。
 おれは深く、息を吐いた。

 拓真の事故に関連した大きな疑問は幾つかある。
 雅間さんには直接会ったことはないけど、幾ら生前拓真に恋慕があったからといって、事故まで起こすなんてそう起こることではない。なにか伝えたいことがあったのだろうが、それが未練として残っただけであの場所に留まっていただけなんじゃないかと考えるのが普通だ。だからおれは首を突っ込まなかった。結果最悪の状況になったわけだが、拓真を巻き込むなんていう行動は、端的に言うならあり得ないのではないだろうか?
 また、雅間さんの事故は信号を無視した車が巻き起こしたらしいが、拓真の事故も条件が全殆ど変わらないという部分も引っかかる。人通りも車通りも少ない見晴らしのいいあの場所で、同じ条件の事故がこの短期間にこんなにも都合よく二回も起こるものなのか? 現実に起きてしまったのは嫌でも分かるが、理解するのにどうも時間がかかる。
 考えれば考えるほど浮かんでくる疑問符。どうにも、真実に至るまでの何かが足りないらしい。
 それを払拭するにはどうするべきか? こうなったら、もう当事者に聞くしか道は無いだろう。というよりも、おれが取れる行動は今のところそれしかない。そう結論づけてしまえば、行動は早かった。

「……悪あがきくらいはしないと駄目だな」

 悪あがきというのとは少し違うのかも知れない。これ以上の後悔なんてしたくない。ただそれだけだった。
 おれが病室から姿を消すのは、もう時間の問題だ。
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