第15話:振り向き様の異変

 昔話に花を咲かせるなんていうことがこれから先起こるとして、恐らくこの半年ほど前の話は話題に上がらないだろう。何故なら、全くもって面白みがないうえに当の本人に喋る気が全くないからである。

「お前、いつも暇そうだよなぁ……。羨ましいわ」

 地面からはそう遠くない低位置で発せられた言葉は、恐らくは誰の耳にも届いていない。

「んにゃー」

 変わりに返ってくるのは、猫の呼び声だけだ。

「あ、おま……。待て動くな爪引っ掛かってるって」

 余りにも寝付けなかったせいで、内緒で家を出て散歩をしてみたはいいものの、結局は猫に捕まってしまった。これでは昼の散歩とと大して変わらない。しいて言うなら暗いか明るいかの違いくらだろう。
 この辺り、人通りの少ない路地を彷徨いている茶色の野良猫と戯れるのは、これが最初ではない。いつからそうなのかは覚えていないが、オレが通る度に相手をしろとせがんでくるのが日課だった。最もオレに近づいてくる猫はこの茶猫だけではない。公園に広場に行けば名前の知らない猫が数匹寄って来たり、何かにつけて猫につけ回されることが多いのだ。そこらの変な野郎に追いかけ回されるより幾らかはマシだけど、特別何をしているわけでも無いというのに寄られても困るというものだ。
 その原因のひとつは、恐らくオレが昼夜問わず辺りをフラついているからだと勝手に解釈をしているけど、それが本当かどうかは定かではない。

「野良って普段ネズミとか食ってんの?」
「にゃ」
「あー……メシくれる奴がいるところを散歩すんのか。頭いいなオマエ」

 暗がりの中、誰もいないのを良いことに道のど真ん中で胡座をかき、足の間に出来た窪みに猫をおさめながら適当に言葉を返す。すると、何を思ったのかそいつがオレの身体をよじ登ってきた。

「おいちょっと……登んなって」

 大して重くもない猫のされるがままに、オレはそのまま体勢を崩して地面に背をつけた。別に身を任せて寝っ転がる必要は全くなかったのだが、オレは猫の邪魔はしない主義である。
 鈍い音と同時に砂煙が僅かに舞い、背に当たる砂利の感触が少々不快に感じるものの、猫を手に納めたままオレは視線に入った暗がりに空を眺めた。酷く暗く、そうであるのにウン億光年先にある星が幾つか散っているのが見える。両側の壁に阻まれ余り多くは見えないが、それでも主張してくる星をただただ見つめていた。猫の声が耳に入る、その時までは。

「あー……。帰ったらまた小言いわれるわ」

 もう言われ慣れてしまっているせいで、怒られることに関してはさほど気にしてはいない。母はかなり楽天的で怒るところを余り見たことがなく、どちらかといえば父のほうが睨みつけてきそうだが、強いて言うならそれだけだ。親より従者のほうがやかましいなんていうのは、よくあることである。
 しかしそうは言っても、汚れた格好で街を歩いてしまってはヴォルタ家にまで悪評が広がる可能性は否めない。それは避けなければいけないだろう。
 貴族の少ないこの街での父の立ち位置はかなり高く、ある程度の信用を勝ち取っているわけだから、可能ならオレがそこに泥を塗るようなことはしたくない。そうは見えないかも知れないが、こう見えてその辺りはちゃんと考えているのだ。

「にゃあ」
「それはどっちの返事だ? オマエも説教すんのか?」
「ふにゃっ」

 どうやらオレの言ったことのどれかが不満だったらしく、泥のついた前足でオレの顔を踏んづけようと猫は躍起だった。そうはならないようにとせめて猫の両手を離さないように必死だったが、どうやらそれもまた違うらしい。どうも様子がおかしかったのだ。

「んー……?」

 猫の意識が向かっている先は、今オレがいる路地裏に比べればかなり大きな通りだった。仰向けだった体を回転させ、走ってどこかに突っ込んでいかないように猫を地面とオレの間に入れた。相変わらず唸りに近いそれで何かを訴えているようだけれど、あいにく猫語は嗜んでいないから聞こえていないことにする。
 街灯の範囲外であるためか、通りの様子自体はそこまでハッキリと見ることは叶わない。それに関しては別にどうでもよく、猫がここまで喧しい原因は比較的早く見つけることが出来た。
 この暗がりの中を、ひとりの男が息を切らしながら遠くの道を走っていくのが見えたのだ。しかし、ただそれだけだったら特別どうも思わなかっただろう。こんな夜中に、くらいのことは思ったかも知れないがそれだって人のことは言えないし、それ以上首を突っ込むなんてことは普通はしない。そう、普通だったらだ。

「あー……。オマエのせいで余計なもん見ちまったじゃねーかよ。どうしてくれんの?」
「にゃー」
「行けってか? 猫に指図されても行く気ねーけど」
「うなっ、にゃあ」
「何言ってんのか全然わかんねーな……あ、おい暴れんなって」

 人間の言うことなんて知らん、とでも言いたげに、無理やり隙間から離れようとするソイツに負けて、オレはすぐさま体を起こした。
 手についた砂利を払うオレを、猫は何を思っているのかただ単に眺めている。本当に行かないのか? と念を送っているように感じたのは、恐らくオレが心の何処かでそうしないといけないことを理解していたからだろう。それくらい無理矢理にでも理由をつけなければ、オレがひとりで動くことも難しかったのだ。

「しゃーねえなあ」

 いかにもやる気の無さそうな言葉と、ついでにため息を吐きながらやっと足の裏が地面についた。服についた邪魔な塵を払いながら歩くなんて、一体何歳児のすることだろうか? 十五を過ぎているにも拘わらずこんなことをしないといけないだなんて、どうしてオレは成長というものをしらないのかと自分で怒りたくなってしまうほどだ。

「その代わり、長生きしろよな」

 返ってくるハズのない返事を少しだけ期待したが、当然言葉なんて返ってくるわけがない。かわりに後ろから聞こえてくる小さな鳴き声に、オレは適当に手を空へと泳がせた。
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