第14話:甘味に紛れた毒の味

 僕と姉さんが真面目に会話を交わしたのは二日ほど前の話である。ケーキの下準備と銘打って、何故か僕まで駆り出されたことに疑問を抱いていた中、ひたすらにヘラで生地を練っている時のことだった。

「ねえ、今日珍しくアルセーヌさんの家に行ったんでしょ? 何話したの?」

 姉さんが口にしたのは、アルセーヌさんの家に行ったという事実を確認するためのものだ。一般的な考えとして、どうして貴族が腕を捲ってまでこんなことをしているのかなどと思われそうだが、そんなのは僕が理由を聞きたいくらいだった。

「路地裏の事件の話、かな……」
「ああ、結構大きな事件なんででしょう?」
「余り証拠が無いみたいだからね。普通の事件じゃないみたいだから、それもしょうがないけど」
「ふぅん……」

 しかしそうは言っても、どちらかの部屋に行って何かを話すという行為は、正直なところ余りしたくはない。それは別に姉さんが嫌いということでは毛頭なく、姉さんに質問責めにされた時、それを上手く交わせる自信が僕にはない。何かしら作業をしながら適当に会話をしているくらいが、僕にとっては丁度よかったのだ。

「やっぱり、そういうのって人手が多い方がいいの?」
「まあ、少ないよりはマシだけど……」

 確かに少ないよりはマシだが、多ければいいというわけでもない。大勢で動けば市民にとってあまり心象がいいものにはならないだろうし、大きな動きがそう簡単に出来ないというのが正直なところである。
 それに、ことの発端が隣街であるということも大きいだろう。

「……行くとか言い出さないよね?」
「そこまで無鉄砲じゃありません」

 わたしが行ったって、迷惑かかっちゃうし。続けてそう口にする姉さんの表情は、諦めとも寂寥とも違う、感得に近いほど明瞭だった。

「そういえば、ずっと気になってることがあったんだけど……」

 話ながらも、強力粉とベーキングパウダー、それに溶き卵が入ったボウルの中身を泡立て器で混ぜていた姉さんの手は止まることはない。

「ネイケルくんって、ただこの街に遊びに来たって訳でもないのよね?」

 しかし、出来れば余り聞きたくない名前が耳を掠めたせいで、僕の手は僅かに遅れをとった。

「……どうして?」
「だって、ロエルがネイケルくんみたいな人と知り合いって聞いたとき、ちょっと驚いたのよ? いくら貴族同士でそれなりの切っ掛けがあっても、話す程の仲になるのかなぁって」

 二人の組み合わせ、凄く不思議よ? そう付け加え、姉さんは僕の答えを少しだけ待った。話す程の仲、というか向こうが勝手に付きまとっているだけなのだけれど、そこをわざわざ違うと口にするのは止めておくことにする。変に突っかかって拗ねられたらたまったものではない。

「路地裏の事件と何か関係あったりするの?」

 僕の返事を待たずしてまた質問が飛んできた時、これはどうやら何かを言わないと話が終わらないのだろうという直感が働いた。

「……知らないよ」

 但し、だからと言ってそれ相応の答えを返すというわけでもない。

「本当? はぐらかしてばっかりでなんにも教えてくれないのね」

 意図的にはぐらかしたつもりはなかったのだけれど、普段の素行からそう思われるのは至極当然だった。しかしそう口にする姉さんの顔は怒っているというわけでもなく、どちらかと言えば楽しそうにも見えた。いつもなら気にも止めないその言葉が、どういう訳か今の僕には凄く重いものに感じる。

「……僕には、あの人たちが何を考えてるのかよく分からない」

 気付けば、僕の手は完全に止まっていた。

「アルセーヌさんから聞いたことも、あの彼の言葉も、目の前で起きたことすらも信用が出来ない」

 目の前で起きたことすらも信用が出来ない、というのは本当だ。

「それくらい、僕は何も知らないから」

 レナール家の特徴は、かなり閉鎖的なコミュニティの中で過ごしているというところだろう。
 そうは言っても、大きな事件じゃなければ貴族がこぞって街を徘徊しなければならない事件なんてそう起こらないのだから、大抵はノーウェン家だけで片付いてしまうし、それでも駄目ならルヴィエ家に話が来る程度のものばかりだろう。つまりは、レナール家に事件の話が来るということ自体が酷く稀なのだ。それくらい、あの男はこの街に面倒なものを持ち込んだということである。

「……だったら尚更、ちゃんと協力しないと駄目ね」

 そう何度も大きな事件が起きてしまっては困るというものだが、言うなれば今回はその大きな事件というものに値するものだということである。
 例えば偶然鉢合わせて片付ける羽目になったり、全く関係ない状態のモノをどうにかするとるというのは確率的に存在はするものの、それでも余り表に出ることがないお陰で世間では非協力的な貴族として映っている。それは強ち間違いではないから別に否定も肯定もしないが、勝手な想像でモノを言われるのは余りいい気はしないというものだ。

「お父さんとあれだけ大喧嘩して勝ち取ったお仕事なんだから、大丈夫よ」
「……そうかな」

 レナール家が精力的に表に出てこない根本的な理由を、市民は誰も知らないのだから。

「次期当主がそんな弱気でどうするの?」
「と、当主は姉さんでしょ」
「私じゃ駄目。就任してすぐ倒れたら目も当てられないじゃない?」
「なんでそんな縁起の悪いこと言うかな……」

 当主がどうというのはこの際別にどうだって構わないのだが、姉さんが倒れるだなんて縁起の悪い話だけは本当にやめて欲しい。完全に否定できないところが本当に怖いところだ。

「あ、あのね――」

 少しだけ姉さんの声色が落ち、少し距離を詰めてきた姉さんの行動に僕は思わず顔をあげた。二人して手の止まったキッチンには、音量を少し落とした姉さんの言葉だけが淡々と落ちていく。その次、そしてまた次に発せられた言葉に、自身の耳を疑いかけた。何故なら、この時点ではまだ一回しか会っていない人物についての見解を述べられたからだ。
 しかしそれは全く見当外れというわけではなく、これまでのアルセーヌさんの話と該当する人物の言動を思い返せば、僅かながらに感じるモノは確かにあったと言えるだろう。

「あ、本当にそうなのかは分からないけど……。でも、そうだとしたら私は嫌だなあって思って」

 ただの戯言だと片付けられればそれが一番良かったのかも知れないが、それが姉さんの言葉によって確信に変わってしまったのがいけなかった。
 魔法というのは、何も武力を行使することが全てではない。姉さんが口にする言葉というのはそういうことだ。

「ロエルは、ネイケルくんのこと嫌い?」

 唐突に、純粋無垢に聞いてくる姉さんの顔を、僕はちゃんと見ることが出来なかった。いつだったかに似たようなニュアンスのことを誰かが口にしていたような気がするが、僕はそんなに彼のことを毛嫌いしているように見えるのだろうか? 自覚が全くないというわけではないが、それとこれとは話が別であるというのに、姉さんを除いて誰もそれを分かっていない。

「……どうかな」

 あの馬鹿にかける言葉なんて、これくらいが丁度いいというだけに過ぎないのだ。
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