第2話:静けさの狂気

「何ここ……」

 振り向いた視線の先には、オレを呼んだであろう人物は誰一人としていない。それは、街の人も例外ではなかった。
 さっきまでいたはずの子供も、貴族の噂をしていた大人達の姿も、何処にもいない。強いて言うのであれば、噴水がいつまでも空を舞うように動かしているだけ。
 そのはずなのだけれど、明らかにおかしい。噴水の音すらも、今のオレには聞こえていない。誰かがいる気配すらも、感じなかった。でも、不思議と恐怖というようなものは感じない。だけれど、この異様な空間に少なからずオレは動揺していた。
 駄目だ、落ち着いて考えよう。ここに長居してはいけないのは確かだけれど、多分抜け出せる。オレを取り巻いているのは脅かしい空気ではない。どちらかと言えば、優しい風が流れているようにも感じる。
 辺りを見回しても、さっきオレがいた場所との違いと言えば、人の気配が無く、そしてやけに静かであるということくらいだろうか。それ以外は、至って普通の街並みだ。

「靴屋……」

 自然と、次に行く先が口から零れる。そうだ、ここにいてもどうしようもない。靴屋に向かったところでどうにかなるとも思っていないけど、とにかくオレは歩き出す。向かった先は、ここに来るときも通った市場だった。
 どこか、微妙に違うように感じる景色が周りを飛び交う中、いつもなら人で溢れている市場に辿り着く。そこには、本来の賑わっている市場のなど何処にもなく、全てを残したまま、まるで、オレだけを置いて誰もいなくなってしまったかのような静寂に包まれていた。
 少し歩くと、エトガーのいる小物売り屋にたどり着く。だが、そこにはいつもいるはずのエトガーの姿はない。その事実が、ここは別の世界であるという事実に拍車をかけているかのようだった。

「……本当に、誰もいないのかな」

 いや大丈夫。そう自分に言い聞かせるように、オレは足早に進む。この先、市場を抜けて少ししたところに行けば、いつもなら靴屋があるはずだ。いつもなら、の話だけれど。しかし靴屋に行って一体どうするのだろう? そんな思考が、オレの足を止めた。
 行ったところで、多分誰もいないであろうことは、エトガーがいなかったということが証明している。でも、それでもいい。誰か頼れる人を、オレを知っている人をと、求めるように足はまた動いていた。もういいや。誰かがいたところでどうなるのかも分からないし、その時にまた考えるしかない。他に行く宛なんてないし。ただそれだけの理由で市場を抜ける。
 来た道と同じ、ここを左に曲がって暫くしたら店の看板が見えてくるはず。そう、あの『Dear place』の看板。それが見えてきたってことは大丈夫。心臓の音だけが五月蠅くなかで、今まで静けさに溢れていたはすの街に、聞こえるはずのない鈴が響いた。いきなりのことで思わず足を止める。
 あと数十メートル先にある靴屋。静かな街に響いたのは、靴屋の扉が開閉するときに鳴るそれだった。

『じゃあ、帰りにまた顔出すよ』
『おう、気を付けてな』

 店から出てきたのは、どこか若く見えるマーティスおじさんと、ひとりの子供を連れた夫婦だ。

『ほら、バイバイって』
『またねー』

 そう言って店を後にした家族は、オレに気づく気配もなく目の前を通りすぎていく。彼らが歩いていくのを何をするでもなく眺めていると、その人たちが、歩く度に少しずつ薄く透明になっていくのが分かった。
 それらは次第に背景と同化していき、空へと消えていく。

「今の……」

 呟いた先には、もう誰もいない。オレは、その人たちが消えていった事に驚いている訳では決してなく、ただ、もう何処にもいない夫婦が向かっていった先を呆然と眺めていた。ふと我に返り、靴屋のほうへ体を向けるけど、既におじさんの姿はなかった。それよりも、消えてしまった家族が一体向かっていったのか。それが気になって仕方がない。だって、さっきの人達は……。

 もうどこにもいないそれらの向かった先。ふと視線を逸らすと、ひとつのか細い道がオレの視界に入る。それは、普段なら入ることはない路地裏だ。
 何となく。そう、本当に何となく、その先に続いているであろう何処かにたどり着けば、何かが分かる。オレの求めていたものだその先にある。だから、オレは嫌でも行かなければならない。そんな気がした。そう思うよりも前に、既に走り出していた。何処に続くかも分からない道を前に、一瞬の迷いが生じる。でも、オレは走り続けた。
 不思議なことに、自分の足は最初から全てを知っているかのように勝手に進み、複雑に作られた道を歩んでいく。路地裏の奥の奥。そう、ここだ。多分だけれど、この場所をオレはよく知っている。今考えていることが正しいとするなら、この先にあるものは――

「あった……」

 路地裏を抜けた先。そこにあったのは、貴族でも住んでいそうな、大きな屋敷。この一連の流れ、自分が起こした行動に、不思議と違和感なんていうものは感じなかった。
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