38話:ニセモノの遊戯

 子供の頃の夏の記憶というのは、比較的楽しい記憶で塗り固められている。一応、オレだってそのうちの一人だ。
 父が死んでから数か月経った頃の話だ。父が居なくなったことにより、生活自体はこれまでとは比べ物にならないくらいに平和になった。今までの生活は少し異常だったのだとはじめて理解し、そのせいで、ふとした時に父のことを思い出すのがとても嫌になっていた。
 だからといって生活に支障があるわけでもなく、そんなことはすぐに忘れてしまえばいいわけだから特に気にはしていない。そのうち、顔さえも思い出せないくらいになるのだろう。正直、半年ほどたった今すでに朧気だ。
 きっと、父の家での姿を何も知らない周りの人は、オレのことを薄情だと思うのだろう。それを公にするのは余り良くないことだということは何となく分かっていたから、家の話を外では極力しないというのが既に日常になっていた。まあ、家でも父の話をすることなんてないに等しいのだが。

「久しぶりっ! っていうか、俺のこと覚えてる?」
「お、覚えてるよ。冬に会ったし……」

 小学校中学年の夏休みのことである。去年の夏は確か来ることが出来なかったが、覚えている限りでオレが柳家に足を運ぶのはこれが三度目のことだ。もしかするとそれより前にもあったのかもしれないが、子供の頃の記憶なんて当てにならないし、これ以上考えたところで無駄な時間を過ごすだけだろう。
 柳家が住んでいるところは、オレと母が住んでいるところよりも田舎だった。家もいわゆる平屋で、防犯なんていうものは余り役に立ちそうにないような場所である。といっても、いわゆる山に囲まれてスーパーやコンビニも無く不便な場所というわけでもなく、オレの家から車でニ時間程度の場所ではあるのだが。
 祥吾とそのお母さんが最寄りの駅まで迎えにきてくれたのだが、この駅はどうやらこの一帯では一番大きな駅で、田舎と呼ぶにはやはり少しモノが多すぎるだろう。

「そういえば俺、明日は学校のプールがあるんだよなぁ……サボっちゃうか」
「怒られないの?」
「プール行かないくらいで怒られないって。どーせ全員は来ないんだしさ。ねえ母さん、いいでしょ?」

 祥吾のお母さんは、祥吾の我儘に思いのほかあっけなく承諾をした。もう少し難色を示しても良さそうなものだが、世の中そういうものなのだろうか。

「今日はどうする? どこか行く?」前のめり気味で、祥吾はオレに詰め寄った。
「こらこら、とりあえずご飯が先! 少し早いけど、お昼この辺りで食べちゃいましょ」

 祥吾のお母さんが主導して、大人同士でお昼の話をし始める。お昼もいいが、オレにとってはその後の時間の方が楽しみだった。祥吾もそうだが、普段会えない人に会えるしオレが住んでいる場所と当然土地も違う。それだけで、なんだかもう冒険に来てしまったようなそんな感覚だったのである。
 大人達と祥吾が、お昼ご飯の話をしているのをぼうっと聞いているうちに飽きてしまったオレは、ふと辺りを見回した。比較的大きな駅の外、行き交う人の中には、オレ達のように何かを話している人たちや、誰かと待ち合わせをしているのかひとりで携帯を眺めている人もいる。そんな中、ひときわ目を引いた人物がいた。
 学校帰りなのか、それともなにか集まりでもあったのか、見たことの無い制服姿でベンチに腰をかけて空を眺めている男子高校生がいたのである。何故その人物が目に留まったのかというと、男の制服に問題があったのだ。
 オレを含めた辺りにいる人たちは、誰もが半袖を着ている。中にはその上にパーカーを着ていたりもするが、殆どの人が夏に染められた軽装であることには変わりは無い。しかしその人物に限っては、制服の上着を着ていたのである。
 例えばそれが、中にワイシャツを着ているだけだったらそういうこともあるのだろうかと思うことが出来たのかもしれないが、男は上着とシャツの間に長袖のセーターを着ていたのだ。余りこういうことを言いたくはないが、季節に反していてとても浮いていたのである。

(変な人……)

 心の中でそう呟くと、まるでそれが聞こえていたかのように男がこちらを向いた。きょとんとした顔でこちらを見ている男に、オレはどういうわけか目が離せずにいたのをよく覚えている。すると、男は右手をひらひらを振り上げた。思わずどきりとしたオレをよそに、その男は笑顔だった。オレ以外の誰かに振っているのだろうかとも思ったのだが、男の視線はオレを手放さなかった。

「キョウ! いこうよ!」
「あ、うんっ」

 一体いつの間に話が終わったのか、声をかけてきた祥吾とお母さんとの距離は少し離れてしまっていた。足早に祥吾の元に向かい、一緒に母さん達の後ろを歩く。しかし、どうにも頭から離れてくれない男の姿と表情に、オレは後ろを振り向いた。

(……居なくなってる)

 ベンチに座っていたはずの男はもうそこには居なかったのである。誰も座っていない残されたベンチが、ただただ誰かを待ち呆けているだけだったのだ。
1/3ページ
スキ!