37話:ニセモノの詭弁

 祥吾のことを誰かに言いたい。そんなことを思っていたわけではないのだが、誰かに会うことで気を紛らわすということが出来ないだろうかということを今日ずっと考えていた。そしてこの場合、家族やただのクラスメイトでは駄目ということも、何となく分かっていた。別に家族やクラスメイトのことをとやかく言うつもりな無いのだが、なんというか、関係値と信頼度にそれは基づいているように思う。
 シャツの中を汗が滴っていくのを感じながら廊下を歩く。廊下にもクーラーがついていればいいのにと思わざるを得ないが、飽きっぱなしの教室のドアから漏れてくる冷気で、多少なりとも気は紛れていたことだろう。
 図書室のドアはしっかりと閉まっていた。元々閉鎖的な空間だからというのもあるが、毎回意味もなくガラス越しに中を覗いてしまう。オレが今日会えるかどうか期待している人達との関係は不思議なもので、今日は誰がいるのかとか明日はどうとかいうことを全く知らない。
 神崎先輩と宇栄原先輩が図書委員で定期的に係として図書室にいるという理由だけでここに集まっているのだが、どうやら係じゃなくても図書室にいるということを知ってからというもの、予定を聞くまでも無いというのが実情である。相谷くんは、どういうわけかいつも一番最後に来ようとしているから、覗いていなかったとしてもそういうものだという理解だ。

(もう来てる……)

 辛うじて見える範囲に、見覚えのある横顔が見えた。相谷くんの姿だった。今でも偶然を装って相谷くんのクラスを覗きに行くのだが、今日は掴まえることが出来なかったというのもあり、もう帰ったのだとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。もしかしたら誰かに用があって早く来たのだろうかと思いながら、オレはドアを開けた。
 図書室に入るとすぐ、神崎先輩が向かいの席に座っているのが分かった。その様子は到底和気藹々としたものとは言い難く、思わず足を止めた。いや、正直この二人が和気藹々としている姿は想像が出来ないが、そう思ってしまう程余りにも変な空気感だったのである。

「なんか密会してる……」

 思わず軽口を叩くと、相谷くんが肩をビクつかせてこちらに向いた。視線を泳がせ、思いきり動揺している様子が窺えた。もしかして、なにか邪魔をしてしまったのだろうか?

「し、失礼します……!」

 相谷くんは、それだけ言うとすぐに図書室を出て行ってしまった。掴まえようという気さえ思わないくらいに早く、いつもの相谷くんではないように見えた。先輩はため息をつきながら、珍しく机に突っ伏した。

「あんなに慌てて出ていくとか、相谷くんとなに話してたんですか?」

 言いながら、オレは相谷くんの代わりに席に向かった。

「先輩が死んでる……」

 声をかけても、先輩から何か言葉が返ってくることはなく、ため息が代わり聞こえてくる。先輩のため息は何度か聞いたことはあるが、今回はその中のどれよりも深く、もはや深呼吸といっても差支えのないくらいだった。

「な、何があったんですか……?」荷物を置きながらオレは言った。
「何もない……」
「何もないのにそんなうな垂れることあります? あ、もしかしてオレのせいですか?」
「……半分くらいはそうかもしれない」
「いやー、それは悪いことしちゃったなぁ」

 正直悪いとは別に思っていないが、先輩の余りの項垂れようにそう言わざるを得なかった。邪魔をしないように、オレは席につき頬杖をついて先輩の頭をじっと見た。一体いつその顔を拝めるのか、気になって仕方がなかった。

「……寧ろ助かった」

 先輩は、机に向かってそう言った。これまでのオレに対する言動を簡単にひっくり返したのである。

「聞こうと思ったことがあったけど、やっぱり無理だった……」

 そう言うと、先輩はようやく顔を上げた。とはいえ、視線は机に向かったままだったが。

「一体何を話すつもりだったんですか?」

 相谷くんと神崎先輩が話をしているところを、オレはそこまで多く見たことがない。話の流れで会話を交わすということはあっただろうが、お互い自分から話をするタイプではないということはよく理解している。そんな二人が話す必要があったということは、もしかしたらよっぽど大切な何かがあったのかもしれない。
 ……残念なことに、少し思考を巡らせたら心当たりが見つかった。

「……もしかして、相谷くんの噂のことですか?」

 余り言いたくはないが、最も先輩の耳に入りそうなことを提示した。これで間違っていたら、また先輩の頭を悩ませる要因になってしまうことだろう。

「お前、知ってたのか?」

 幸か不幸か、その予想は当たってしまっていたらしい。

「一応知ってましたよ。にしても、上級生にまでその噂がいくってよっぽどですね。最近は流石に収まってきたと思ったんだけどなぁ」

 皆してそういうの好きですよねと、他人事のような言葉を付け加えながらオレは腕を組んだ。他人の不幸は蜜の味とは言うが、だからといってそういう噂が立つだなんて、この学校に居る人の人間性を疑っても仕方が無いというものだ。最も、それが本当に噂なのかどうかは、流石にオレにも知る術は無いが。

「先輩はその話で相谷くんのなにを知りたかったんですか? ただの好奇心?」
「そんなわけないだろ……」
「じゃあ、どうしたかったんですか?」

 オレの質問に、先輩は答えなかった。別に先輩がそのうちの一人だとは思っていない。だがもしオレの言ったとおり好奇心からの行動だったとするのなら、正直余りいい気はしないし、何より先輩に幻滅してしまうだろう。この質問には、そうであって欲しくは無いというオレのエゴが少なからず混じっていた。

「ただの噂って言ったって、犯人呼ばわりされてるような話を本人が全く気にしていないってことはないだろ」先輩は、まるで独り言を喋るかのようにそう言った。「あいつ、ただでさえ口数が少ないし、何考えてるかを俺は知らないけど、気にしてないフリしてるだけじゃないかって思っただけだ」

 この時の先輩は、いつもよりよく喋っている印象だった。らしくない、といったら失礼になるだろうが、こんな先輩は見たことがなかったかもしれない。それくらい、変な噂が立っていることに動揺したのだろうか?

「つまり、心配だったってことであってます?」

 そうなのだとしたら、この人は少々優しすぎるかも知れない。

「あぁ……それで結局聞けなかったんですね? 先輩ってば不器用……」
「話しかけんな」

 この時、その優しさを決してオレには向けないで欲しいと、そう思った。

「まあでも、気にしてないフリっていうのはそうかもしれないですね」

 何となくそう思ったのは、オレが相谷くんと屋上で出会った時のことに由来している。オレだって相谷くんの本心は知らないが、全く気にして居ないのであれば、わざわざ授業をサボってあんなところに行くとは到底思えない。
 オレは相谷くんと普通に話が出来ればそれで構わないのに、未だにそれがまともに出来ていないということが、なんだか相谷くんの状況をそのものを表しているような、そんな気がしてならなかった。

「流石に毎日は無理ですけど、お昼休みにたまに相谷くんのところ行くんですよ。あ、いや、本当にたまーにですけど」
「お前、そんなことしてたのか……?」

 先輩は、どうやらオレの行動に少々引いているらしかった。言わんとしていることは分からなくはないが、そうすることくらいしか、オレには出来ることがなく。

「そんなことって言っても階段上ればいいだけですし。最初は相谷くんも逃げてましたけど、あれは途中から諦めてましたね」
「だからたまに相谷に嫌な顔されてるんだな……」そこまで嫌な顔をされている覚えはないが、そんなことは最早オレからしてみたら些細なことだった。
「別に、それでもいいですよ」

 自分の保身のためには、動くことはしない。

「何かあるよりマシです」

 少なくとも、相谷くんに会った時はそう思っていた。

「……お前、相谷のことも他に何か隠してるだろ?」
「別に何もないですよ。神には誓いませんけど」
「あのなぁ……」
「まあまあ、なんだっていいじゃないですか。っていうか、宇栄原先輩って相谷くんの噂のこと知ってるんですかね?」
「あいつなら、知ってても黙ってそうだけどな……」
「……それはそうかもしれない」

 先輩の言うように、果たして宇栄原先輩は、噂のことを知っているのだろうか? 本人に聞くのが一番手っ取り早いだろうが、本当に何も知らなかった時のほうが面倒ことになるのは考えなくても分かることだし、そんなことを聞いたところで噂がなくなるわけでもない。神崎先輩が言うならともかく、オレの口からこの話を宇栄原先輩にするということは恐らくないだろう。

「どうせ、人を嫌な気持ちにさせるような趣味の悪い噂なんて、夏休みが挟まれば皆忘れますよ」

 どちらかというと、これは懇願に近かった。先輩がどうかはしらないが、少なからずオレは相谷くんに関しての噂に耳を貸すつもりは毛頭ない。夏休みが挟まればなんて悠長なことを言っていないで、今すぐでにも噂が無くなればいいと思っている。

「だといいけどな……」

 最も、噂をされていた本人までがその噂を忘れるとは到底思ってはいないが。
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