第17話:巣食われた

 オレとリオ、ひいてはリアと知り合ったのは約半年ほど前のことである。貴族と市民なんて話すこともないだろうというある種の固定概念をなくしたのは紛れもなくこの時だったが、この二人意外の市民と会話をするということが起こる訳でもなかった。しかしそれは、当然といっても差支えは無いだろう。そもそも生きている世界が違うのだ。
 そうは言っても、オレにとって今までとは少し違う非日常的な状況はそれなりに続いた。長い年月というほどの時間は経っていないものの、ここまでくれば立派な日常だっただろう。だが、それはあくまでも仕事の範囲内であるということは常に念頭にあり、馴れ合う程の中になったつもりは毛頭ない。オレがある程度リオと接触をしていたのは、所謂監視に近かったのだ。
 深淵に追われていたとはいえ、それを見ているのがオレだけであるということと、その深淵とリオとの関係性に明確な確証と証拠があるかと言われれば、そうでもなかったのだ。だからせいぜい定期的に状況を把握するということくらいしか、現状こちらが取れる手立てもなかった。
 しかし、その非日常的状況がまたしても変化していったのは、正にこの時といっても過言ではない。

「……失踪か」

 リオ・マルティアが家に帰ってこないと連絡が来たのは、オレが隣街に行く二か月も前の話だ。
 警察を経由しての連絡ではあったものの比較的早くオレの耳に入った理由は、この件に関してハルトと父さんが既に警察との間に介入していたからということと、ある程度の見解が既に固まっていたからだろう。その連絡があった比較的すぐ後、オレはハルトと共にリアの元を訪れた。
 彼女から聞いたのは、夜静かに家を出ていったっきり帰ってきた気配がないということと、財布を置いて出ていったということくらいだった。
 どうやらリオが夜中一人で何処かに出掛けるということは前からあったらしく、一体何をしているのかと何度か問いかけたことがあったらしいが、一貫して「散歩」としか答えてくれなかったようだ。しかし、どうやらオレと会ってからはその素行がピタリと止まったようで、それ以上の詮索の余地はなかったらしい。

(オレと会ってから夜中に出歩かなくなったってのは、要するにその時間に貴族に会うと都合が悪かったってことか?)

 だが、失踪する一週間ほど前からまたしても夜中に出歩いているような気配があったようだ。そこに一体どういう切っ掛けがあったかまでは分からない。ただ、その辺りから確かにオレはリオと会っていなかった。
 言う程しょっちゅう会っていたわけでもなく、オレのほうから会いに行くということはまず無かったせいかも知れないが、感覚としては半月くらいは会っていなかっただろう。

(いや、どうだろうな……)

 半年前、あの男は深淵に追われていた。あの男が一般人であるのなら、仮に深淵に追われるようなことがあったとしてもそんな事象はまず起こらない。何故なら、それが市民と貴族の違いに等しいからだ。

(仮にアイツを見つけたとしても、問題はその後だな……)

 正直なところ、オレは至極冷静だった。この先、どう足掻いても起こり得る状況が分かっているからこその心境なのかもしれない。薄情と言われればそれまでかも知れないが、だからといって考えを改めることが出来るわけでもなかった。
 ゆっくりと、歩むスピードを抑えていく。地に足をちゃんとつけた状態で意識を少し外側へと広げていくと、少しずつ見えないものが明瞭に伝わってくる。この感覚は、人に伝えるのはかなり難しい。

(やっぱり居るな……)

 そしてこの感覚が身体に伝わってしまった時、無性に嫌な気持ちに晒されてしまうのだ。
 辺りの空気を掴むように、オレは視えない何かを追うように足を翻した。行きかう人々を目で追いながらもを、隠れきれていないそれを目に入れようと必死だった。そうしてようやく感じ取れたのは、今この瞬間も探さないといけない人物の気配だ。そうは言っても、到底待ち望んではいない人物である。しかし探してはいた。それが今のオレの仕事だから当然だ。
 場所から言ってここから比較的近いようで、オレは自然とその方向へと足を進めた。正確な場所までは分からないが、ある程度の方角は分かる。貴族なら大雑把にでも把握できる類のものだ。
 大通りを少し外れた道に行こうと、人の波を少し避けながら歩みを進めていく一番近い小道に差し掛かろうかというその時だった。すれ違いざまに、ひとりの男とぶつかった。その瞬間、お互いにばっちりと目が合った。何かを口にするよりも前に、その人物はすぐに足を翻して立ち去っていく。

 その人物は、リオ・マルティアという正しく今探そうとしていた人物だった。

 おれがその人物を確かに理解した時には既に視界からその男は消えていたが、小難しいことを考えるよりもオレは既に一歩足を踏み出していた。だがその瞬間、小道からぬっと人の腕が伸びて誰かに引っ張られてしまう。またしても誰かに身体がぶつかった。

「あんまり深追いするな」

 振り向くと、そこにはもう見飽きたも同然の父の姿があった。いつも通りの、取っつきにくい父さんの声は耳の奥にまで深く響き渡る。しかしどうして、父さんがオレを呼び止めたのかという理由がいまいち分からなかった。

「……いいの?」

 よく見ると、父さんの息は少し上がっていた。

「後で嫌でも見る羽目になる」

 それだけ口にすると、一体どこに向かおうというのか、腕を引っ張られるままにオレは父さんの後ろを付いて歩く。恐らくだが父さんはその人物を追っていたのだろうが、それなのに反対方向へとオレを連れて向かっていったのだ。
 大通りから外れた人通りの少ない道を比較的早足で歩いてたというのもあり、目的地までまともな会話は生まれなかった。それが余計にオレの居心地を悪くさせたが、自分の中で跳ね返る鼓動がこの少ない運動量の中で起きる速さなのか、それともガラに似合わずこれから視界に入るであろうあらゆる可能性に危惧しているのかもよく分からなかった。後で嫌でも見る羽目になるという言葉の意味くらい聞けばよかったか、そう思った時には既に遅かった。
 少し人が捌けた道の、更に隅にある何処かに繋がる細い道がふと目に入ったのは偶然ではない。

「あそこだ」

 貴族にしか分からないであろう微量な光を、左目が捉えたのだ。一見誰も居ないただの路地だが、それは表向きに視えている状態だというだけに過ぎない。
 路地の入り口、何もない虚空に父さんの手が触れると、その僅かな光が崩れ落ちていくように飛散していく。するとどうだろう。誰も居なかったはずの路地裏に、数人の人間が現れたのだ。これは決して突如として現れたというわけではない。元からそこに居たのだが、魔法の力で誰の姿も認識することが出来なかったのだ。
 一番最初にオレの目に入ったのは、従兄弟である年上のハルトという人物と、顔だけは認識している所謂警察数人だ。その次に見えたのは、それらの人間の足元に転がっているあお向けで血を流しっぱなしにしている誰かの姿である。それを見た時、オレはどういうわけか眉間にしわを寄せた。それが一体どういう心象からくるものなのか、自分でもよく分からなかった。
 放り出された片方のすぐ手の近くには、細身のナイフが転がっている。腹を執拗に刺されたのかどうなのか、左の腹部から伝う血液の水溜りを見れば致死量を超えているのだろうということは簡単に見て取れた。そうじゃなきゃ、こんなに悠長に誰もがなにもせずにこの人物の周りを囲うようにしているわけがない。つまりは完全に手遅れだったのだ。

 ここに転がっている人物というのは一体誰だったのか?
 どうしてオレがここに連れられたのか?
 その答えを呑み込むには、どうにも胆力が必要だった。
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