29話:ヒミツと疑心

 昔話は好きではない。なんせこれまでろくなことがなかったし、面白かったことはおろか楽しかったことすらもろくに覚えていない。しかしそれとは引き換えに、余りよくないことは比較的鮮明に覚えているものである。恐らくはそれくらい強烈に、尚且つ人生に影響を与えたものだからなのだろうが、僕に限っては少し違った。
 面白かったことや楽しかったことや、ひいては余りよくないことも、何もかも忘れる努力をしていたのである。

「光希っ」

 ――誰かが、僕のことを呼んでいる。
 知らない間に寝入ってしまっていたのか、目を開けると自室の机に突っ伏してしまっていたようで、僕はまだ視界がぼんやりとしか映っていない中辺りを見回した。
 見覚えのある家の景観は、今僕が住んでいる伯父さんの家の間取りではない。部屋のハンガーにかかっている制服の上着も、高校の制服とは似ても似つかないものである。
 僕が返事をするよりも前に、その人物は既に扉をあけ顔を覗き込ませていた。僕の記憶が正しければ、僕のことを幸希と呼んでくる人物は、これまでもそう多くはなかったはずである。

「買い物、付き合わない?」

 そう言いながら勝手に部屋に入ってくる某人は、長い髪を靡かせてこちらに笑みを向けた。右に少しだけ首を傾けてこちらの答えを待っているその様は、昔からなんら変わらない。

「ぼ、僕はいいよ……」
「どうして?」

 この人は何かにつけて僕を呼び、何かにつけて一緒に外へ行きたがった。断りを入れても結局行くことになるのは、その人物が強引に等しいくらいのことをしてくるからなのか、僕が押しに弱いのかはよく分からない。どちらにしても、最終的に僕はこの人とよく外を歩いていた。
 しかし、そこにはいつも問題が付きまとっていた。

「今日いい天気だよ? 一緒に行こ?」

 実の姉である相谷 光莉(あいたに ひかり)という人物のことが、僕は苦手だったのだ。
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