29話:ヒミツと疑心

 姉さんの言う通り、この日は確かに天気が良かった。秋の柔らかな風のお陰で嫌な陽の当たり方ではなく、穏やかに落ちてくる光は心地よさすらも覚えてしまう。それが多少なりとも救いであるといっても過言ではなかった。

「中間テスト、どうだった?」
「どうって言われても……。普通だったと思うけど……」
「本当? 頭のいい人の普通は普通じゃないし」
「姉さんに言われても説得力ないよ……」

 少しの苦手意識を持ちながら、しかしだからといって特別どうというわけでもなく、ごく普通の会話は当然する。姉さんはこうやって茶化してくるが、テストなんてそれなりに授業に出てそれなりに勉強していればそう悪い点数にはならないだろうし、頭の良さで言うなら私立のいい所に通っている姉さんのほうが良いに違いないだろう。それに、中学生と高校生を比較したところで意味はないのではないだろうか。
 姉さんの通っている私立高校は、そういうことに余り詳しくない僕でも知っているくらいには偏差値が高いことで有名で、名門校とまではいかないにしても、片手間な勉強で入れるところではないはずだ。

「……光季は高校どうするの? 私と同じところ?」
「ぼ、僕はいいよ……。特待生になれるほどの成績じゃないし」
「別に特待生になれだなんて一言もいってないのに……」

 確かに、姉さんの口からは特待生という言葉は出てこなかったが、それにしても状況が悪かった。僕がそうやって言ってしまうのには、当然理由が存在する。姉さんは特待生なのだ。
 姉さんのいう通り、別に無理をして特待生になる必要はないのだろう。しかし、仮に僕が本当に姉さんと同じ高校に通うとして、姉が特待生で弟が特待生ではないというのは、少々……いや、かなり心証もよくない。それに忘れてはならないのが、姉さんが通っているのは私立高校であるということだ。公立に比べればお金だってかなり必要になるし、かといって別に僕が払うわけでもないのだから、そう簡単に二つ返事できるものでもなかった。最も、特待生になれるくらいの成績と自信があったのなら、それでもよかったのかも知れないが。

「光希と一緒の制服着たいなぁ……」

 どういうわけか少しむくれた姉さんに、僕は疑問を抱いた。僕が高校に入学する頃には姉さんは既に卒業しているわけで、それは当然中学でも同じだった。急にそんなことを言われたところで、僕は時間を操れるわけでもないから、やれることと言えばせいぜい困ることくらいだろう。この人は、いつもそうやって僕を困らせた。

「あ、別に無理やり同じ高校にいれてやろうだなんて思ってないけど、検討くらいはしてね!」
「う、うん……」

 中学一年生の僕からしたら余り現実味がないものだけど、検討する時はいつか来るのだろうか? だとしたら、やはり勉強くらいはもう少しちゃんとやっておくべきなのかもしれない。いや、今のままでも進路には特別困らない成績は持ち合わせてはいるのだが、確かに選択肢は多いに越したことはないだろう。

 昼下がり、少し雲がかかっているにも関わらず太陽はそれをものともしない。まだ少し、夏の気配が勝っているのだろうか? だとしたら嫌だなと思いながら、僕と姉さんは立ち止まった。歩行者側の信号がちょうど赤になったのだ。
 いつもは車通りがそう多くはないのだが、今日は休日だからなのか少し数が多いように見えた。しかし、運転免許証も持たない僕にとっては別に関係のないことである。……関係のないことだったのだ。この時までは。
 一台の車が、急にこれまでの流れを止めるような動きをした。左から走ってくるそれは、なんだかフラフラとし始めておぼつかなかったのである。僕から見ても危なっかしいと感じるくらいで、だからどうというわけではないのだが、僕は思わず半歩後ろに下がってしまう。そのすぐ後のことだ。その車は急に速度をあげて、あろうことか赤信号になったところに突っ込んできたのだ。僕は思わず目を見開き、向こうに居る歩行者もそれに釘付けだった。例えばこの時、信号無視だけで済むのならまだよかったのだろう。だが、そうではなかったのだ。
 誰かの叫ぶような痛い声が、僕の耳をつんざいていく。それが一体誰の声だったのかは定かではないが、誰よりも僕の耳に届いていたに違いないだろう。姉さんが、僕を突き飛ばしたのだ。
 その後のことは、この人生の中で一番刹那的な出来事だったように思う。しかし同時に、一瞬時が止まったようなそんな気がした。
 大きな音と共に、姉さんの身体が吹き飛んだところを見た時、僕はそんな矛盾の蔓延る時間の中を生きていたのだ。
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