21話:ヒミツは歪む

 案内人さんは、神崎さんの部屋の名前を相思鼠といった。聞き馴染みのない色の名前を、僕は心の中で反復する。少し暗いグレーがかった色ではあるものの、決して重たい印象はなく寧ろ優しい印象すら覚えてしまう。神崎さんにピッタリではないだろうかと思った。
 しかし僕は、神崎さんが口にした「客の我が儘」という言葉が気になって仕方がなかった。宿泊猶予が一週間であるということは知っているが、この人はそれくらいの時間をここで過ごしたということなのだろうか? いや、案内人さんが口にした「まだそれは気にするところじゃない」という発言から察するに、そこまでの時間は経っていないのだろう。だからこそ、神崎さんの口にした言葉に違和感を覚えたのである。
 この部屋の色が神崎さんによく似合っていると思うということは、もしかしたら神崎さんはもう帰るべきなのではないかと、どういう訳か僕は思った。

「神崎さん、まだ帰らないんですか……?」

 そう口にした途端、神崎さんは僕のことをじっと見つめてくる。

「……帰るに帰れないだろ」

 言いたいことがあるのを堪えているのかどうなのか、視線はすぐにそっぽを向いてしまう。そこまでしてここにいる理由を、神崎さんは頑なに教えてはくれなかった。

「だったら尚更、橋下さんに会わないと駄目ですねぇ」

 刹那、流れを変えんとするばかりに案内人さんが割って入ってきた。

「と言っても、多分部屋には居ないと思いますけど」
「……居ない?」
「居ないんじゃないですかね? 理由はまあ……」

 言葉を選ぶ為の思考が行われて、数秒後。

「神崎さんと少し、似てると思います」

 当事者ではない僕には理解の及ばない解答が、案内人さんの言葉だった。

「相谷さんは、橋下さんの部屋には行ったんでしたっけ?」

 そう問われた僕は、言葉を口にするでもなく首を横に振った。

「で、でもあの人、いつでも部屋に来ていいって言ってましたけど、そう言いながら居ないってことあるんですか……?」

 確かにあの人は、僕の部屋に来たときに「いつでも来てね」と言っていた。そうやって言っていたにも関わらず部屋には居ないなどという予測が立てられてしまうというのは、かなり不自然ではないだろうか?

「……あいつならあり得る」

 あいつはそういう奴だぞ。最後にそう付け加えた神崎さんの口から、小さな息が吐かれていく。それが呆れとも少し異なるように感じたのは、きっと僕の気のせいだ。
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