第6話:犯人はいない

 この時間、午後と呼ぶに相応しい時刻になると、僕の周りには環境音が蔓延り始める。

「……はい。……じゃあ、今日から一週間なので」

 今日は、図書館にとっては休みの次の日に当たる為、平日に比べれば多少なりとも人が来るというものだ。図書館というのは、基本的に静かであるのが当たり前だけれど、ここの図書館は、出入り口や受付の近くだとわりと騒がしい。あくまでも、図書館にしてはだけれど。

「こんにちはーっ」

 そんな騒がしい空間のあいだを潜り抜けるように、元気な声が僕にむけて放たれる。この声は、いつもと同じあの人。振り向く必要もないくらいに聞き覚えのある声。分かっているにも関わらず、反射的に振り向いてしまうのが、最早当たり前になってしまった。そして、彼女と一緒に必ず訪れるのは、よく知っているもうひとりの人物だ。

「……やあ」
「どうも……」

 受付のカウンターを挟んで現れたふたり。普通なら、僕のようなのが相容れる存在ではない人達。つまりは貴族である。まあ、貴族だからといって対応が変わるとか、そういうことは無いけれど。いつも疑問に思うのは、どうして、貴族がわざわざ図書館で本を借りるのかということである。本が買えないなんてことはまずないだろうし、ごく普通のただの町の図書館なんかに来て、一体何が楽しいのだろうか。館長に会いに来たという訳でもなく、この人たちは本当に本を読みに来ているだけのようで、それが、余計僕の目には不思議に映ってしまう。
 ただ、この人達とはわりと昔からの知り合いではあるから、その辺りに関しては、そういうものなのだろうという、さながら適当な理由をつけて終わりにしているけど。

「先週の、返しに来ましたあ」

 そう言いながら、サラさんはガソゴソと音を立てて可愛らしい鞄から本を取り出す。それは、先週僕がたまたまこの受付で読んでいたもの。

「どうでした? その本」
「えーっと……。凄く面白かったです! 星と神話の繋がりとか、諸説あるところとか……。それと、自分の星座のこと、もう少し知りたくなっちゃいました!」
「僕も、気になってあれ以来、星関連の本ばかり読んでますね」

 本を返しに来るたびに行われる、このやりとり。僕が読んでいた本をサラさんが借りて、返すときに彼女から感想を聞く。聞くというか、自然とそういう流れになる。これを、いつもなら隣にいるランベルトさんが茶化しに話に入ってくるのが、何というかお決まりなのだけれど。今日は、どうやらいつもと様子が違うようだった。

「……何か?」

 どうしてか、僕のことを複雑な顔をしてじっと見つめているランベルトさんに、わざとらしく問いかける。すると、さっきまで僕が感じたそれを払拭するかのように、いつもとなんら変わらない様子で、僕に言葉を向けた。

「ああいや……。僕には、おすすめの本は教えてはくれないのかと思っただけさ」
「……読む気があるのなら、いくらでもおすすめしますけど」
「そうかい? じゃあ、その時になったらまた聞くとするよ」

 本当にそう思っているのかいないのか。それは僕には分からないけど、いつにも増して簡素な言葉を口にしているような気がした。

「……サラ、僕は本を見に行ってくるね」
「あ、はいっ」

 ランベルトさんはいつもサラさんと一緒に来るけど、特別本を読みにくるわけでもなく、僕らの見える範囲でぼーっとしていることが多い。一応、本を持ってはくるけど、あれは恐らくただ眺めているだけだと思う。
 いつものように、早々にこの場を後にするランベルトさんの後ろ姿を見ながら、僕は考えてしまう。さっき感じた、ランベルトさんの妙な視線。それが僕の思い違いならいいのだけれど、そうではないと断言が出来る。何故なら、僕には心当たりがあるからだ。
 心当たりはあるのだけれど……。

「あの……」
「はい?」

 当たり前のように、受付のすぐ側にある椅子へと座るサラさんに、疑問を感じざるを得なかった。

「どうして、いつも受付の側で読むんですか?」
「駄目ですか?」
「駄目ではないんですけど……」
「も、もしかしてお邪魔だったり……?」

 しょんぼりとした様子を見せる彼女に、僕は戸惑いを隠せない。そ、そんな顔をさせるような質問を僕はしてしまっただろうか?

「あ、いや……邪魔ではないです。ただ疑問に思っただけなので」
「本当ですか? よかったぁ」

 一体なにがよかったのだろうという疑問は残るが、僕はこれ以上の詮索はしない。この人は、いつもとなにも変わらないのだから。それだけのことなのに、妙な満足感があった。

「あの……」
「あ、はい。何でしょう?」
「今日は、何の本読んでるんですか?」
「月の満ち欠けの本ですね。星の本では無いですけど……」
「へぇー……あ、じゃあ帰るときに借りて帰ってもいいですか?」
「まあ、ご自由に……」

 このやり取りだって、僕の読んでいる本が違うくらいで、いつもの会話とほぼ同じ。僕が受付にいて、すぐ側にサラさんがいる。本を探してくると言って何処かに行ってしまったランベルトさんのことだって、本当に僕の思い違いだった可能性だって十分にある。……というより、変わったのは僕のほうというか。余り知られたくないことというか、それなりに疚しいことがあったからで。だから、いやに人目が気になるというか、寧ろいつものように話しかけてくるそれに、疑念を抱いてしまうというか。
 とにかく僕は、とても落ち着かない気分に苛まれている。

 そう思ってしまう出来事が起きたのは、ほんの数日ほど前のこと。僕はいつものように図書館で手伝いをしている……はずだった。
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