第6話:犯人はいない

「めんどうだな……」
「まだ開館すらしてませんが」

 図書館の開館前というのは、いつもどことなく気怠い空気が流れている。それというのも、大体このやる気のない館長のせいだろう。
 図書館というのは、どうも開館時間が早く設定されているが、ここの開館時間は十時~十八時までと、比較的緩やかな勤務体制となっている。それというのも、館長曰く「今時図書館なんて、早く開けて遅くまでやるメリットがないでしょ?」とのことらしいが、本当のところは、館長が朝早くから仕事をしたくないだけなのだろうと勝手に思っている。まあ、早くから開けたところで、片手で数えられるくらいの人数しか来ないのは分かってるから、館長の言うことも分からなくはない。と言っても、昔からこの時間でやっているから、ちゃんとした理由があるのだろうけど。
 それでも、準備もあり三十分前には集まる必要があるため、9時には来ていないといけない訳だけれど。

「はいこれ、二階の本。適当なところに入れといて」

 ドサッと音を立てて僕の両腕へと放り出されたのは、少し大きめの専門書が数冊。二階には、一般人が余り触れることのないような専門書が多く、貸し出しの頻度自体は余り多くは無いのだが、読まれていく間に、どうしてか一階の本棚に紛れ込んでしまう時があるため、恐らく、それらを然るべきところに戻して来いということなのだろう。
 六、七冊ほど積み重なって重くなったそれらをしっかりと持って、二階へと続く階段を進む。もう気にも留めないくらいには何度も持っているはずなのに、どうしてか、いつもよりずしりと乗しかかるのを感じる。その原因は、恐らく何故か一般書に紛れてしまった大きめの図鑑が三冊もあったからだろう。
 本棚に入っている書物と手元にある本をを確認し、然るべき場所へと戻していく。必要であれば設置されている脚立を使い、ひとつ、またひとつと手持ちを少なくしていく。次に僕が手にしたのは、星座に関する神話が、星の写真と共に載っている本。天体もののエリアはどの辺りだっただろうか。思考を巡らせて、それらしい場所の本棚を視界に入れると、一冊のとある本が、僕の目に飛び込んできた。
 特別、何か変わっているところがあるわけでは無いのだけれど、どうしてか気になってしまった。本が呼んでいるとでも言えば良いだろうか。こういうことは特別珍しいことではないし、僕はいつものように、本棚からそれを取り出す。表紙を見ると、本来そこにあるはずのものが書かれていないことに気付く。

「これは……?」

 デザインこそはされているものの、あるはずのタイトルが何処にも書かれていない。それが、なぜだか僕を酷く不安にさせる。不審に思いながらも、感情を押し殺すようにして恐る恐る表紙をめくった。そこに存在していたのは、真っ白な空間が続くだけのただの紙と鬱陶しい程にうるさく響く、魔法の呻き声だった。
 何かが僕の周りを蠢く。それが何なのかというのを、僕は嫌になるほど知っている。それでも、頭は理解するのを拒んでいた。だから、それが魔法だと気付くのに、ほんの少しの時間を要していた。
 周りを取り巻くそれらは、段々と色濃くなっていくのが痛いほど分かる。気を抜けばそのまま持っていかれそうになる感覚は、魔法が、人間を無理やり何処かへ連れていくかのようなそれによく似ている。いっそ、このまま身を任せてしまったほうがいいのだろうか?そんな馬鹿らしい思考を払拭するかのように、誰かが本にそっと手をかけた。

「館長……」

 僕の声が届いているのかいないのか、館長は僕を見ることはしない。恐らく集中しているのだろう手には力が籠っているように感じる。それが何を意味しているのか、僕はすぐに理解することが出来た。だってそれは、あの時とまるで同じだったから。
 本の上に置かれた館長の手からは、少しずつ魔法が溢れてくる。館長自信を取り巻く程に大きくなったそれは、いつしか本から溢れてくるものだけではなく、僕をも取り巻いていった。そして、その力を大きくさせたていったのは、館長のほうだ。力比べで負たかのように、本は風に任せてパラパラと音を立ててページが捲れる。そして、本自身が意思を持っているようにして、自ら背表紙までたどり着き、本は閉じられる。まるで、何事も無かったかのように、取り巻いていた魔法は収束していった。
 それと同時に、館長から放たれていた魔法は静かに消えていく。この一連の流れは、最初から既に決まっていたかのようで。僕は、ただ見ていることしか出来なかった。

「はぁ……」

 静まり返る図書館に響いたのは、館長が吐いた息だけだった。
 今にも崩れ落ちそうな身体をテーブルで支える姿に、言葉をかけることが出来ずにいると、先に口を開いたのは館長の方だ。

「困ったな……」

 その館長の言葉が、どれ程重い言葉であるのか。だけど、それよりも。そんなことよりも。

「……まあ取りあえず、これは預かっておくよ。理由は分かるね?」
「あ、はい……。それより館長……」
「……何?」

 館長に魔法を使わせてしまったことのほうが、僕にとっては重要だった。だからこそ、僕はかける言葉が思い浮かばなくて。

「……いえ」

 そして、結局何も言えないまま沈黙だけが訪れた。

「……きみは引き続き図書館の準備でもしていなさい。いつものように、ね?」

 だから、そんな顔をする必要はないんだよ。なんて言いながら、館長は左手を僕の頭に置く。小さな声でポツリと溢れるのは、まるであの時のことを総称する言葉のように聞こえてしまう。その言葉を、どうして館長は寂しそうな顔で言うんですか。なんて、分かりきっているから口にはしないけれど。例の本を手にして去っていく館長の後ろ姿が、全てを物語っているように見えた。
 それを眺めることしか出来ない僕は、どうしてこんなにも無力なのだろうか。なんて、自分を責め続けることしか出来なかった。
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