第6話:犯人はいない

 本を探してくる。そうやって、ルエード君らの元を後にした僕が向かった場所は、本棚が敷き詰められた何処かの場所ではなく、扉で隔てられた向こう側。恐らく、図書館の関係者以外が入ることなんて、まずないであろう場所。廊下を足早に歩くのは、決して急いでいるからではない。
 嫌な予感というのは、どうしてかよく当たってしまうものだから、これもきっとそのせいなのだろう。さっきはルエード君に少々怪しまれてしまったかも知れない。だけれど、今はそんなことなんてわりとどうでもいい。とにかく、僕は確かめたくて仕方がなかったのだ。僕ですら分かった、あの何処か異様な気配を、あの人が見過ごすなんて思えない。あるはずがない。その異様な気配というものが一体何を意味するのか。僕は確かめなくてはならないのだ。
 目の前に立ち塞がる扉を前に、緊迫感に押し潰されそうな気分になるが、少し荒くなってしまった呼吸をゆっくりと整え落ち着かせる。ノックをする為に上げた右手が、若干躊躇したのが分かる。でも、そんなのは関係ないと自らに言い聞かせるかのように、扉を叩く音を廊下に響かせた。

「……失礼します」

 返事を待たずにガチャリと乱雑な音が響いたのは、会わなければならない人がいるであろう部屋の扉。僕が訪れたのは、ここの図書館の館長であるクレイヴさんの元だ。出来るだけ会わないようにと思っていたから、こんなタイミングで訪れることになるとは思っていなかったけど、そんなことはもうどうでもよかった。
 定位置のイスに座り、頬杖をついているような体勢でいたクレイヴさんは、扉が開いたことに気づいたのか、顔を上げる。見据えた先に居たのが僕だと分かるや否や、どことなく張り詰めた空気が放たれ始めたのが、嫌なほど伝わってきた。

「……ああ、きみか。こんなところにまで来るなんて珍しいね」

 何処かダルそうに答えるクレイヴさんは、いつものそれとよく似ているが、今日は、どちらかというと疲れているという方が正しいような気がする。少し威圧的なそれを跳ね返すように、僕はひと呼吸おいて口を開いた。

「その……。ルエード君から微かに魔法の気配がしたのは、どうしてかなって思ったので」
「へえ……きみ、今もちゃんと分かるんだね?」
「ええ、まあ……。何となく、ですけど」

 皮肉めいたその言葉が、重く僕にのし掛かる。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、クレイヴさんは言葉を続けた。

「二、三日前のことだよ。図書館が開く少し前で、しかもノーウェン家のご子息殿とアルセーヌとかいう人まで嗅ぎつけてきて、ホント面倒だったねぇ……」

 敢えてノーウェン家のご子息とか、アルセーヌとかいう人とか、そういういう言い方をするのがいかにもこの人らしい。ひょっとして、クレイヴさんが疲れているのはそのせいなのだろうか。いや二、三日前のことだと言っていたから、その可能性はそんなに高くないだろう。それよりも可能性の高いものがあるとするならば、もしかして魔法を使ったのかも知れないということ。あり得ないことではないけど、もう使わないものだと思っていたから、いまいちピンと来ない。
 答えの出ない疑問は、僕の思考を一瞬鈍くさせるものの、ここに来た本当の意味を忘れてはいない。聞きたいことは、それではない別のことだ。浮かび上がった疑問を払拭するように、僕は口を開く。

「……クレイヴさんは、これからどうなさるおつもりですか?」
「……どう、とは?」
「彼を、そのまま放っておくんですか?」

 その質問の意図が分かったのか、彼はほんの僅かに視線をそらす。僕が聞きたいのは、よく足を運んでいる図書館にいる親しい人物の身に、これから起こるであろうそれについて気にかかっているということも、勿論あるが……。
 物思いに更けているような表情をしたのもつかの間。クレイヴさんが僕に向けたその瞳が、僕を射ぬいた。

「……別に、魔法を使えないきみには関係がないことだろう?」

 その言葉は、まるで鋭利なもので突き刺されたかのように僕の心に鈍い音を立てる。
 やっぱり、というかクレイヴさんは、魔法に関することの話は、いつもこうやって僕を突き放す。仕方のないことだと分かってはいるものの、どうしても頭は理解を拒む。これは、どうやっても埋めることのみ出来ない溝。
 僕とサラは……エフォード家は、ある時から魔法を使うことが出来なくなっているのだ。

「……ごもっともですね」
「まあ、彼自体が使いたくないと思っているなら、可能性はそんなに高くないだろうし……」

 突き放すかのように頭に響く台詞ではあるものの、次に放たれる言葉は、それらとはほんの少し違うものだった。

「それを何とかするのが、貴族の役目だろう? 別に、それは魔法がなくても出来るじゃないか」
「な、なんて無茶なことを言うんですか……」
「無茶? 昔からだけど、どうしてきみはやってもいないのにそうやって言うのかな」

 いやいや、クレイヴさんはそうはやって簡単に言うけれど、実際問題、魔法相手に力を持たない人間がどうこう出来るとは到底思えない。
 目の前にいるこの人は、いざとなれば魔法が使えるから。だからそうやって言えるんじゃないだろうか。

「まあ、何とかなるだろう。ルエードだって、魔法が危険であることは知っているはずだ」
「な、なんとかって……なんでそう楽観的なんですか?」
「きみが心配し過ぎなんだよ。気持ちは分かるが、わざわざ部屋にまで押しかけて来なくてたっていいだろう?」

 ああもう、やっぱりこうなる。口論、というよりはまるで子供の喧嘩。だから僕は、この人とこういう話はしたくないんだ。
 そう思ったとほぼ同時。突然、クレイヴさんが席を立つ。そして、僕のネクタイは彼の手に掴まれた。

「だから、そうやって魔法に憑けこまれるんだよ」

 言い放つとその様子に、僕はただただ動揺していた。僕らの間にある机に倒れこんでしまいそうになるのを、自らの手で何とか押し堪えた。

「少しは自分のことも考えなさい。魔法が使えなくなった、というのは、あくまでもそういう風になっているというだけだ。別に、完全に使えなくなったというわけじゃない」
「な、何を言って……」

 クレイヴさんの余った左手が、僕のおでこを捉える。

「い、痛っ……!」

 おでこに衝撃が走る。この歳になって、まさかデコピンされるとは思ってなかった。

「まさか、この私が気付かないとでも思ったか?」

 クレイヴさんの瞳は、完全に怒っている。
 一瞬、何に対して怒っているのかが理解出来なかったが、いや、そういえば僕は、会えばこの指摘をされるだろうというのが分かっていたから、出来るだけ会わないようにしていたんだった。
 表情が、次第に苦悩に満ちていくのが、僕の目に映る。

「……きみ達まで失ってしまっては、私は生きている意味がなくなってしまうよ」

 静かに落ちていく言葉が、酷く痛々しく聞こえた。

「わ、分かりましたっ……! 分かりましたから! あの、近い……」

 言い終わると、ネクタイから右手が離れていく。

 それらの言葉は、僕自身よく理解している。分かってはいる。でも、今の僕には耳に入ることはなく、ただただ耳障りだった。
 ああもう、腹が立つ。それは、目の前にいる彼に対するものでは決してなく、何か別のものに対する苛立ち。なんだこの言い様のない感情は?こんな思いをしなければならないのなら……。
 いっそあの時、何もかもが無くなれば良かったのか?
 口から出そうになる言葉を押し殺すかのように、僕は自身の手を強く握りつぶしている。思考をすることを止めたかのような唐突に起こるこの言動は、まさしく『魔法に憑かれた時』のそれだった。
3/3ページ
スキ!