第5話:その言葉は真実か

 僕がアルセーヌさんの家に戻ってきたのは、シントくんの家へ足を運んでから、十分ほど経った頃だった。

「ああ、戻ってきたんだね」
「ええ……」

 アルセーヌさんは、さっき座っていた場所ではなく、ソファへと移動してお茶を嗜んでいる。アルセーヌさんの向かいに置かれている空のカップが、僕の座る場所であるというのはすぐに理解できた。リアさんは、僕が座るよりも前に紅茶を空のカップに注いだかと思うと、気を使ってなのか早々に何処かへと行ってしまう。いや、逃げただなのかも知れないけど。
 そもそも、彼女は使用人というわけではないようだし、手伝っていることの方が不思議だけれど。その様子も、やっと慣れてきたところではある。
 リアさんが視界から外れ、今ここには僕とアルセーヌさんしかいない。それはつまり、貴族同士のやり取りが行われるということの表れだ。

「今日はすまなかったね。わざわざ足を運んでもらって」
「いえ……」

 それは別に構わないのだけれど、どうして僕が今日呼ばれたのか、というのは結局のところわからないままだ。……やっぱり、このまま聞かないでおくというのは、僕には少々難しくて。気付けば、口は勝手に言葉を紡いでいた。

「……ところで、どうして僕は今日呼ばれたんですか?」
「私相手だと、彼はきっと話してくれないだろうと思ってね。それに、あの場に居合わせたキミを呼ぶことは、そこまで不思議なことではないだろう?」
「ま、まあ……そうですね」

 確かに、アルセーヌさん相手にああいう話をするのは、どうしてか尋問されている気分になるのはとても分かる。分かるんだけど、何というか、それをアルセーヌさんの口から聞けるとは思わなかったというか。……自覚はあったのか、と思ってしまった。

「シントくんが言っていることは、普通なら信用するには値しないものだと判断するだろうけど、少なくとも、あの話の中に嘘は無いだろうね」

 いとも簡単に彼を信用するその言葉が、どうしても僕に不信感を抱かせる。それは、シントくんがどうとかいう話ではなく、その確証は一体どこから来るのだろうという、疑問から来るものだ。

「……どうして、そう思うんですか?」
「さてね?」

 アルセーヌさんは、そのたった一言で僕の問いを一蹴りしてしまう。こうなってしまっては、僕の入る余地なんてどこにも存在しないということを、嫌になるくらいには体験しているから、もう何も聞かないけど。そうして、こういう場合は必ずと言っていいくらいに、話が切り替わるのだ。

「それよりも私が問題視しているのは、路地裏にいたもうひとりの人物が、未だに見つかっていないということだ」

 ……なんというか、どうしたって僕には、この人の考えていることがよく分からない。本当のところ、「私相手だと、彼はきっと話してくれないだろうと思った」のではなく、この話のために僕は呼ばれたのだろうかなんて、そんなことすら思ってしまう。まあ、それはあながち間違いではないのだろうけど。

「……そうですね。あの、その人が既に消えた可能性はあるのでしょうか?」
「無いこともないが、消えた気配に誰も気づかないなんてことはまずないから、可能性としては低いだろうね」

 消えた。飛び交うその単語なんてもう聞きなれたも同然だけど、余りいい気はしない。路地裏でシントくんを襲っていたあの人は、貴族が見れば誰でも分かるくらい、明らかに手遅れだった。
 魔法を使う資格を持たない市民が、魔法を使うとどうなるか?という問いがあったとするなら、模範的な症状だったように見える。

「まあ、あの人物が犯人かどうかはまた別の話だけれど。……どのみち、あの様子じゃそう長くは持たないだろうさ」

 アルセーヌさんのいう人物とは、恐らく路地裏で起きている連続殺人事件のことだろう。犯行が夜中であることと、手掛かりがまるで見つからないという点から、魔法を使える誰かの犯行ではないかという結論に至り、警察の要望によって、僕らは夜中に街を徘徊することになったわけなのだけれど。いい加減進展がないと、犯人が貴族の中にいるだなんて疑われることにもなりかねない。
 実際、市民の間ではそういう噂がじわじわと広まっているようで、元から評判は良くない貴族という存在が、噂の種としては丁度よかったのだろう。興味があるのかないのか、アルセーヌさんは手に持っていたカップをテーブルに置き、ソファの背もたれに寄りかかる。

「ま、我々が探さなくてもそろそろ動き出すんじゃないかな? その、路地裏で横行している通り魔の犯人が」
「……そうですね」

 僕ら貴族は、ある程度魔法の気配が分かるとはいえ、街を隅から隅までしらみ潰しに当たるというのは、幾らなんでも限界がある。やっぱり、犯行時間を考えても夜中に街を徘徊すると手段が、一番確実なのだろうか。
 アルセーヌさんは、この話に飽きたとでもいうように息を吐く。そして次に紡がれた言葉は、案の定今までとは違うものだった。

「……それはそうと、キミはシント君のことに関しては、特になにも聞かないんだね?」
「……はい?」
「いや、もう少し何か聞かれるかと思っていたからね」

 そういえば、確かにシントくんに関してのことは余り聞いていなかったかも知れない。図書館でシントくんに出会った後、一度だけアルセーヌさんに「どうしてわざわざ家に呼ぶんですか?」と聞いたくらいで、確かにそれ以外はほぼふたりの会話をなんとなく聞いていただけだ。
 正直なところ、そこに関する興味は余りないというか。不可抗力なのか、魔法を使えるようになってしまったというのには、同情に近い感情はあれど、そもそもアルセーヌさんが教えてくれないのだから、どうしようもないような気もするが。

「……いやだって、普通の市民ですよね? 魔法に全然興味なさそうでしたし。寧ろ嫌ってたというか……」

 多分、魔法を使えるけど使わないでいる市民なんて、僕らが知らないだけで一定数は存在していると思う。僕からすれば、彼はそれだけの存在に過ぎないのではないかというのが、正直な感想だった。

「……たかが市民だと、本当にそう思うかい?」
「え?」

 ああ、まただ。この含みのある言い方。これに僕は何度も翻弄されてきたし、ある意味では騙されてきたとも言えるかも知れない。今の段階だと、僕の持っている情報が少な過ぎてどうとも言えないけど、唯一、これだけは確信が持てた。
 僕は、知らない間に面倒なことに首を突っ込んでしまっているのだということ。

「彼をわざわざここまで呼んだのは、彼が事件に関わっていないかどうかを確かめたかったというのは勿論あるが……」

 そして、何かを見据えていたような瞳。それが、この人は僕が知らない何かを知っていると、そう確信づけるのには十分だった。

「不思議には思わなかったのかな?キミの言うたかが市民という存在を、わざわざ家に招待するだなんて普通はしないさ。……普通は、ね?」

 こういう言い方。この人と話していればよく耳にするけど、端的に言えばアルセーヌさんはとてもずるい。そんな言い方をされたら、嫌でも気になってしまうじゃないか。そんな言葉を飲み込むようにして、僕はすっかり冷めてしまった紅茶を口に含んだ。
6/6ページ
スキ!