第16話:記憶の際限
「ええー! 深淵に追われてる市民に会った!?」
「うっさ……」
家の中が騒がしくなる時というのは、いつ何時も降って湧いてくるこの男のせいである。少々オーバーに感じる程に声がデカく感じるのは、ことの重大さのわりに家が静まり返っているからだろう。ちょうど飯時だったお陰で、今リビングにはオレと両親と一人の従者。それともう一人だけ、この家の人間ではない従兄弟のハルトという人物がいた。どうしてこの人物がいるのかはイマイチよく分からないが、いつものことだったから誰もそこまで気には留めなかった。
下手したら貴族会議が始まりそうなこの中で尚更こんな話なんてしたくはないが、コイツに来るタイミングが完全に悪いのがいけないのだ。オレのせいじゃない。
「それ、いつの話?」
「別にいつだっていいだろ」
「いや良くないよ。最近?」
続けざまのハルトの質問に、オレはまともに答えなかった。いつと言われれば昨日と今日の狭間のことなのだが、如何せん黙って家を出ていたというのもあって、そう簡単に言うのは少々憚られてしまった。
「……もしかして昨日の夜か?」
「なんで分かんの」
しかしそれは、父さんの介入のせいで比較的すぐ白状するに至った。別にそこまでして秘密にしなければいけなかったことでも無かったから構わないのだが、どうしてオレが夜中に出歩いたのが分かったのかの答えは教えてはくれなかった。親子してまともなやり取りが発生しない辺り、これから先も恐らく改善は不可能だ。
しかしそうは言っても父さんはどうやらどうやら呆れてはいるようで、オレに向けられる視線が度々痛く感じた。母に至っては「あらまぁ……」と感嘆を口にしただけで、それ以上話に介入することはない。
「その人の特徴は? 男? 女?」
「男。特徴っつってもなー……」
この場において、会話を転がせていくのはハルトただ一人だった。
あの街灯の暗がりの中、果たして特徴になり得るものはあっただろうか? 正直なところ、覚えていないというのが本音だった。
「少なくとも、ここらに住んでるヤツじゃなかったけど」
一応過去の記憶を引き出しては見たものの、生憎思い当たる節はなく、強いて言うならこの辺りに住んでいる人物ではないということくらいしか提供することは出来なかった。だが、それでも微々たる記憶中で思い出したことはあった。
「……そーいや、人探してたな」
「人探し……?」
あの男がポケットから出したのは、古い一枚の写真だ。女と一緒に写っていたということと、探していたのはどうやら男であるというのを伝えると、辺りは忽ち静かになっていく。誰もが考え込んでいる証拠だろう。
「……人探しをしてたのなら、警察に何かしらの情報が入ってるかも知れない。その辺りは僕が警察に掛け合ってみますけど、その情報だけじゃすぐに割り出すのは時間がかかります」
六つ歳上の従兄弟の口調が、急に仕事をする時のそれに変わった。徐々に敬語に切り替わっていくのは、恐らくは父さんの意見が必要だったからだろう。
「……再びお前に接触してくる可能性は?」
「あるんじゃねえの? オレの名前聞きたがってたし、答えてねぇから彷徨いてたらまた来るかもな」
別にここまで見込んで名前を言わなかったというわけでもないのだが、この時点でオレを街で見かけた際に相手が寄ってくる口実が既に出来ている。可能性としてはそこまで高くないとは思うが、何もないよりは遥かにマシだろう。
「……思い出した」
記憶が弾けるように、夜の出来事が脳裏に走る。
「名前、リオって言ってたわ」
そう口にすると、ハルトは少々考え込んだ。おおかた記憶を探っているのだろうが、問題はそれに父さんが加わっていたということだった。それはつまりどういうことか?
ただのいち市民の名前が、貴族に何かしら引っかか部分を与えるだなんてことはある訳がないのだ。
「……リオか」
しかし、父さんについてはその限りではなかった。
「知ってるんですか?」
「いや……」
父さんの記憶に引っかかる部分があったのか、思考の時間が僅かに続く。
「……面倒なことになってるかもな」
この時の父さんの言い回しが一体どういうことなのか、この時のオレはそこまで理解が出来ていなかった。辛うじて父が口にした「面倒なことになってる」というのが、その面倒なことになり得るようなことを既に父は把握しているということだけは理解した。そうじゃなきゃ、リオという名前を耳にした途端にここまで考え込むことはなかっただろう。
これが隣街まで巻き込む程の事態に発展するということは、もしかしたらこれよりも前に既に決まっていたことなのかもしれない。
「うっさ……」
家の中が騒がしくなる時というのは、いつ何時も降って湧いてくるこの男のせいである。少々オーバーに感じる程に声がデカく感じるのは、ことの重大さのわりに家が静まり返っているからだろう。ちょうど飯時だったお陰で、今リビングにはオレと両親と一人の従者。それともう一人だけ、この家の人間ではない従兄弟のハルトという人物がいた。どうしてこの人物がいるのかはイマイチよく分からないが、いつものことだったから誰もそこまで気には留めなかった。
下手したら貴族会議が始まりそうなこの中で尚更こんな話なんてしたくはないが、コイツに来るタイミングが完全に悪いのがいけないのだ。オレのせいじゃない。
「それ、いつの話?」
「別にいつだっていいだろ」
「いや良くないよ。最近?」
続けざまのハルトの質問に、オレはまともに答えなかった。いつと言われれば昨日と今日の狭間のことなのだが、如何せん黙って家を出ていたというのもあって、そう簡単に言うのは少々憚られてしまった。
「……もしかして昨日の夜か?」
「なんで分かんの」
しかしそれは、父さんの介入のせいで比較的すぐ白状するに至った。別にそこまでして秘密にしなければいけなかったことでも無かったから構わないのだが、どうしてオレが夜中に出歩いたのが分かったのかの答えは教えてはくれなかった。親子してまともなやり取りが発生しない辺り、これから先も恐らく改善は不可能だ。
しかしそうは言っても父さんはどうやらどうやら呆れてはいるようで、オレに向けられる視線が度々痛く感じた。母に至っては「あらまぁ……」と感嘆を口にしただけで、それ以上話に介入することはない。
「その人の特徴は? 男? 女?」
「男。特徴っつってもなー……」
この場において、会話を転がせていくのはハルトただ一人だった。
あの街灯の暗がりの中、果たして特徴になり得るものはあっただろうか? 正直なところ、覚えていないというのが本音だった。
「少なくとも、ここらに住んでるヤツじゃなかったけど」
一応過去の記憶を引き出しては見たものの、生憎思い当たる節はなく、強いて言うならこの辺りに住んでいる人物ではないということくらいしか提供することは出来なかった。だが、それでも微々たる記憶中で思い出したことはあった。
「……そーいや、人探してたな」
「人探し……?」
あの男がポケットから出したのは、古い一枚の写真だ。女と一緒に写っていたということと、探していたのはどうやら男であるというのを伝えると、辺りは忽ち静かになっていく。誰もが考え込んでいる証拠だろう。
「……人探しをしてたのなら、警察に何かしらの情報が入ってるかも知れない。その辺りは僕が警察に掛け合ってみますけど、その情報だけじゃすぐに割り出すのは時間がかかります」
六つ歳上の従兄弟の口調が、急に仕事をする時のそれに変わった。徐々に敬語に切り替わっていくのは、恐らくは父さんの意見が必要だったからだろう。
「……再びお前に接触してくる可能性は?」
「あるんじゃねえの? オレの名前聞きたがってたし、答えてねぇから彷徨いてたらまた来るかもな」
別にここまで見込んで名前を言わなかったというわけでもないのだが、この時点でオレを街で見かけた際に相手が寄ってくる口実が既に出来ている。可能性としてはそこまで高くないとは思うが、何もないよりは遥かにマシだろう。
「……思い出した」
記憶が弾けるように、夜の出来事が脳裏に走る。
「名前、リオって言ってたわ」
そう口にすると、ハルトは少々考え込んだ。おおかた記憶を探っているのだろうが、問題はそれに父さんが加わっていたということだった。それはつまりどういうことか?
ただのいち市民の名前が、貴族に何かしら引っかか部分を与えるだなんてことはある訳がないのだ。
「……リオか」
しかし、父さんについてはその限りではなかった。
「知ってるんですか?」
「いや……」
父さんの記憶に引っかかる部分があったのか、思考の時間が僅かに続く。
「……面倒なことになってるかもな」
この時の父さんの言い回しが一体どういうことなのか、この時のオレはそこまで理解が出来ていなかった。辛うじて父が口にした「面倒なことになってる」というのが、その面倒なことになり得るようなことを既に父は把握しているということだけは理解した。そうじゃなきゃ、リオという名前を耳にした途端にここまで考え込むことはなかっただろう。
これが隣街まで巻き込む程の事態に発展するということは、もしかしたらこれよりも前に既に決まっていたことなのかもしれない。