第15話:振り向き様の異変

 一体何処から流れ出てきたのか、紫がかった黒いそれはとある男に執着していた。といっても、人ひとりがただ突っ込んで手で払っただけで靄は形成を保てなくなったようで、辺りの空気に混じるように飛散した後はすぐに姿を消した。消したというよりはオレが消したのだが、まあこの際その違いは余り意味が無いだろう。貴族だからそれが出来るという、ただそれだけの話だ。
 しかしそれを見ていると、自然と小さなため息が溢れていく。やっぱり、真面目にやるからには魔法じゃないと駄目らしい。それは当然だろう。その為の貴族なのだ。そうは言っても、余り乗り気じゃないオレの口からは思わず愚痴が零れそうになる。それを何とか抑えながら、オレは黒いそれに追いかけられていた男へと視線をやった。ウザいくらいに視線が突き刺さる理由を聞きたいくらいには、物珍しさも含まれているそれに少々腹が立った。

「……た、助かったよ。追われていてどうしようかと思ってたんだ」

 へらりと苦笑いを浮かべるところを見て、オレは余計苛立ちが募った。こんな時間に歩いている野郎のことだ。やっぱり、あのまま見えなかったふりでもしていれば良かっただろうかとさえ思った。例えば、どうして貴族が存在しているのかということに市民が理解を示していればオレだってここまでのことは思わないかも知れないが、生憎そうではない。貴族の活動を理解している市民なんて、全体の一割にも満たないだろう。決して密かに事を行わなければいけない訳でもないが、間にある壁というのは中々崩れることはないのだ。

「あ、そうだ。キミこの人見なかった? ……って言っても、昔の写真だからアテにはならないかも知れないけど」

 どうしてアレに追われていたのかという疑問は、男の続けざまの質問のせいで抑制された。一歩と近付きながら差し出してきたとある誰かの写真。乗り気ではなかったのだが、差し出されてしまったからには視界に入れざるを得なくなってしまった為に仕方なく確認することにした。
 オレの目に映ったのは、三十代くらいの男だ。夫婦で写っているのか、しかし女の顔はソイツの親指で強く潰れていた。頭の中にある一通りの記憶をそれとなく辿ってはみるものの、思い当たる節はどこにもなかった。昔の写真ということは、年齢を鑑みても覚えている可能性はかなり低いだろう。

「……さあ」
「なら良いんだ、うん。ありがとう」

 自分のことを棚に上げた前提で話をすると、率直に言えばこんな夜中に街を彷徨いて襲われた挙句それを気にもしないで探し人の情報を得ようとするなんて随分と勝手なヤツだ、というのがオレの最初の印象で、このやりとりも正直面倒で堪らなかった。
 少し考えれば分かることではあるが、恐らくコイツはその写真の人物を探していたのだろう。だからこんな時間に街を彷徨っていたと思えば、一応それなりに理解は出来る。だが、どうしてわざわざこんな人の少ない夜中に人探しをしてるのかと考えると、疑問は募るばかりだった。

「ああ、俺はリオって言うんだ。よろしく」

 そして人探しという行動が、最初から最後までいかに消えた人間の勝手な行為によるものであるいうことが分かったのは、ここから随分と先の話だ。

「君は……貴族だよね?」

 自分が貴族様だとは思っていないが、こうも馴れ馴れしく話しかけてくる市民なんてせいぜいなんにも知らない無垢な子供くらいで、その質問はどうも現実味に欠けていた。というよりも、オレのことを貴族であるということは認識しているにも関わらず、本当に名前を知らないのかが疑問だった。
 これ以上何か会話を交わす気が無くなって、気付けば足を翻していた。

「ちょっ、ちょっと待って! せめて名前くらい教えてよ」
「うざ……」

 お世辞にも元々素行が良いとは言えないだろうが、これ以上コイツの言葉に耳を傾けると更に捕まってしまいそうで嫌だったのだ。仮にこの後男がまた襲われたとしても、知り合いではないのだからそこまで肩入れする必要も義理もなく、自分の足は止まることはなかった。
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