第19話:情報補正

 レズリーの家を後にしてからというもの、クレイヴはオレを連れて図書館へと足を運んだ。図書館に入った時、この前と同じように受付に同い年くらいの人物が居たのだが、本に視線を落としており目が合うということはなかった。
 踏み入れた先は、クレイヴの部屋というよりは正確にいうと仕事部屋のようなもので、作業用の机の前には来客用なのかテーブルと二人掛けのソファーが置いてある。オレとクレイヴは、そのソファーに向かい合うよう腰を落とした。

「さて、まずは君と私が持っている情報の擦り合わせをしないといけないね」

 一人部屋というには些か大きく、どうにも落ち着かなくて思わず視線が動いてしまう。だがひとつだけ違うのは、アルセーヌの家に初めて行った時よりも幾らかマシであるということだった。もうすっかり慣れてしまったのだろうかと思うものの、広い部屋に二人だけというのはやはり落ち着くのに少し時間が必要だった。

「……多分そこまでの相違はないと思っているんだけど、ひとつずつ聞いていこうかな」

 そう口にしたクレイヴは、早速俺にいくつかの質問を投げた。あくまでもオレの話を聞くという体で、オレが口にしたことに対しては肯定も否定もせず、相槌を打つだけに留めているようだった。
 聞かれたことといえば、俺がレズリーに会った時の話から、通り魔事件の犯人と思われる人物と接触したこと。後日アルセーヌの家に行ったこと。そして、アルセーヌと一緒にレズリーの家に行ったことと――。

「十年前の事件の話は……今日は止めにしようか。何度もするような話じゃないからね」
「で、でも……」
「いいさ。アルセーヌが何処まで説明したのかくらい、大体の見当はつく」

 無理矢理一息つかせてきたクレイヴによって、情報のすり合わせは一旦終息した。どうやら、ここまでで致命的なほどの大きなすれ違いはなかったらしい。

「先に私からひとつだけ質問があるのだけど、いいかな?」
「う、うん……」

 クレイヴの質問が長くなるのか、それとも片手で数えられるものであるから先なのかは分からない。

「君の口から出てこなかったから、恐らく知らないんじゃないかと思うのだけれど……」

 しかし、オレの疑問とクレイヴの質問は果たしてどちらが重要で優先されるべきなのかは、考えるまでもなく明白だ。

「逝邪(せいじゃ)という言葉を知っているかい?」
「……逝邪?」

 耳馴染みのない単語に、オレは思わず首を傾げた。せい……なんとかという言葉を聞いたのはこれがはじめてだし、記憶にも当たらなかった。

「……次にアルセーヌに会ったら、もうちょっとちゃんと説明しろって怒っておくといいよ」

 そうは言うもののクレイヴはアルセーヌの説明不足に呆れているというわけではないらしい。ひたすらに浮かべていた苦笑いを止め、すぐに本題へと入っていく。

「この話は少し難しいから、可能な限り簡単に言うけれど……」

 言葉の詮索を数秒したのち、クレイヴが再び口を開いた。

「レズリーが逝邪だと思ってくれれば、差し支えないかな」

 知り合いの名前と、今はじめて聞く単語の整合性が取れず、正直ところいまいちピンときていない。幽霊というのとはまた違うということなのだろうか?

「逝邪というのはね、魔法を暴走させて亡くなった際に起こる現象のようなものだ。一般的に言うなら幽霊という解釈に近いけど……一口にそういう扱いに出来ないのは、亡くなっても尚魔法が使えるという点が大きいね」

 クレイヴはきっとかなり分かりやすく説明してくれているのだろうが、理解するには少々時間がかかる。今の段階では、分かったような分からないような曖昧な感覚だ。

「幽霊ってわけじゃないってこと……?」
「んー……幽霊という大きな枠の中にいる存在ってところかな。私も余り上手く説明が出来ないから、別に無理して理解しなくてもいいよ。ああでも、出来れば覚えておいて欲しいな」

 どうやらこの話は、貴族でも難しい問題らしい。恐らくは、オレが理解するにはまだ早いのだと思う。情報と、それに付随する状況にまだ見舞われてはいないのだろう。
 少し安心したのもつかの間。クレイヴはまたしても別の単語を取り出した。

「それともうひとつ。瞑邪(めいじゃ)という存在がいるんだ」
「め、めい……?」
「瞑邪。頑張って覚えてね」

 そのほうがきっと役に立つから。そう付け加えて、そのまま更に話を続けた。

「瞑邪っていうのは、亡くなっても尚魔法が使えるというところまでは逝邪と同じだ。ただ、そこに更に条件が追加される」
「条件?」
「どうやって言ったら分かりやすいかな……」

 その条件というものを果たしてどう伝えればいいのかと、クレイヴは言葉に迷っているらしかった。それとも、子供にも伝わるように話すには難しい何かが含まれているということなのだろうか?

「余り直接的なことは言いたくないんだけど……例えば魔法を使える人間が、誰かを殺害していた場合なんかは十中八九暝邪になるだろうね」

 冷静なクレイヴの口調に、オレは何故かドキリとした。まるで、悪いことをしていないのに警察に遭遇したときのそれのような感覚だった。

「まあどちらにしても、魔法を暴走させるくらいの窮地に陥らないと起こらない現象ってところかな。普通に暮らしていれば、そんなことはまず起こらないからね」

 普通に暮らしていれば。その言葉がやけに印象に残ってしまったのは、きっと父さんと母さんが死んだ事件がというのがその普通というのには到底当てはまらないものだからだろう。
 レズリーが死んで逝邪になるという現象だって、それこそ普通に暮らしていれば起こることはなかったかも知れない。否、起こることなんてなかったのだろう。そう思うと、自然に視線が落ちていった。

「……あともうひとつだけ、いいかな?」

 何かを察したのか、クレイヴは一旦オレの意思を確認した。一言「大丈夫」と口にすると、何故か尚更困った顔をしていたのだが、その理由はよく分からなかった。

「深淵の説明と言いたいところなんだけど、恐らく君は何となく分かっているよね?」

 今ここでまた、深淵という単語を聞かなかったら、もしかしたらすっかり忘れていたかもしれない。それくらい片隅に、その単語はまだ辛うじてオレの頭の中に残っていた。
 一瞬にして思い出されたのは、レズリーがその単語を口にしたときの状況と、その後にオレの目にしっかりと映っていた黒く微睡む何かだ。

「……あの黒いの、一体なんなの?」

 その一言でクレイヴがまたしても難しい顔をする。

「平たく言ってしまうと、魔法かな」

 どうやらオレの頭を混乱させる要因は、まだ沢山存在するらしい。
1/3ページ
スキ!