二つの顔
第四幕
昨日の昼、野本さん宅から帰ってきた僕は、冷蔵庫の中の作り置きを温め昼食を食べた。今日が金曜日であったこともあり、来週から授業に戻るために教科書を眺めたり幼馴染で同じクラスの井上明里にラインで宿題を聞いたりしてその日の午後を過ごしていた。
夕方になり、明里から”来週までのプリントもらったから届けに行くね”とメッセージをもらった。
明里と僕の家はほぼ真向かいにあり、保育園、小学校、中学校と一緒に通っていたから、僕の両親の生前から家族同士での付き合いがあった。もちろん、幼馴染で男女という関係は中学の時にはすごくからかわれた記憶がある。一時期は口をきかないこともあったが、家族同士がこうも仲がいいと関係は続くものだ。
ピンポーン。
ガチャ。
「龍ちゃん!もう具合大丈夫なの?」
「あぁ、大したことないよ。医者が大事をとって多めに入院させてくれただけ。」
「良かった~!原田先生も心配してたよ~、来週は来るのかなって。」
「授業遅れてるのがちょっと心配だけど、月曜からまた登校できる。」
「はい、これ!数学と日本史から結構宿題出てたよ。」
明里はカバンの中から数枚のプリントと僕の提出用のノートを差し出してきた。
「ん、ありがとう」
「今日中里さんは帰ってくるの?車ないみたいだけど。」
「今日は難しいんじゃないかな?今日も昼まで取り調べして、そのあと急用ですっ飛んでったし。」
「なら、今夜夕飯食べにくる?金曜だからからあげ作るよ!」
「明里が揚げるのか?なら行かない。(笑)」
「ひどーい!揚げ物くらいできるもん!そういえば、今度時間あったら中里さんにシュークリームの作り方教わるんだ~!」
「シュークリームは難易度高いな。焼きすぎてクッキークリームになるんじゃない?」
「もー!酷いなー!おいしいクッキークリームでも龍ちゃんにはあげないから!」
「ははっ おいしいならもらうよ」
「夕飯、食べにくるでしょ?お母さんに伝えとくね!」
「ん、ありがとう、5時半くらいになったら行くよ」
そんな他愛もない会話を交わす。
その後は明里の家でご飯をご馳走になり、休んでいた分の授業範囲を勉強したりゲームをしたりした。夜10時を回り家に帰り、シャワーを浴びて眠りにつく。
**********
あぁ、寒い……。ここは……どこだ。
僕は一人で暗闇の中に座っていた。
何も見えない。何も聞こえない。寂しさだけが僕の心を突き刺す。
ここには自分しかいないのだと受け入れ、目を閉じ、顔を伏せる。
少しすると明かりが見えた気がした。
目を開け顔を上げると白い光に包まれた人が僕の方に手を伸ばす。
あぁ、暖かい。この手を取って、寄り添って……今の自分が素直に欲しいと思うものが頭をよぎる。
手を伸ばし、立ち上がろうとした瞬間、自分の中から何かが抜けたのが見えた。
小学生低学年くらいの身長の子が光の主と歩いていく。
弘樹くん……。
咄嗟に僕の体は立ち上がり、声をかけようとした。
けど、弘樹くんの表情はすごく楽しそうで、嬉しそうで……やっとで手に入れたその暖かさは手放してほしくない。そう感じた。
目を覚ますと夜中の1時半を過ぎたところだった。
夢のことはまだはっきりと脳裏に刻まれている。見たものも、あの感覚も。自分にはこの夢が何なのかなんとなく理解できていた。
スマホを手に取ると、中里に電話をかける。
ピロロロロ……。
「もしもし、龍?どうした?」
「…… 中里……」
どう、伝えればいい?必死になって探している弘樹くんを僕の夢だけで安否を決めることなんてできない。
「大丈夫か?龍?また変な夢でも見たのか?」
「弘樹くんはもう生きていないかもしれない。」
**********
翌朝、僕はカーテンから漏れる日の光で目覚めた。
窓からこぼれる光は差し伸べられた手のごとく暖かく僕を照らす。
「行ってみよう。」
どうしても昨日の夢のことが気になるし、自分が夢で感じた結末を信じたくはなかった。
昼食を済ませ、支度をし、駅に向かう。隣町とはさほど遠くない距離のため歩いて行ける。
昨日の記憶を頼りに野本さんの家に向かう。
駅を降り、30分くらい歩くと住宅街に入り、見覚えのある道に出る。ゆっくり進んでいくと見覚えのある青い屋根に白い壁の家。
門の目の前に立って玄関に目を向ける。
あぁ……やっぱり。
玄関の前にしゃがみ込む弘樹くんがいた。正しくは弘樹くんの霊だ。
ピロロロロ……。
スマホがなった。
「……もしもし」
「龍、今時間大丈夫か?」
電話は中里からだった。
「中……里……」
「龍、どうした?大丈夫か?また具合いでも悪いのか?」
「僕たち、救えなかったんだね……」
震えそうな声をどうにか押しつぶしてそう答えた。目の前にいる寂しそうな弘樹くんと夢の中で感じた孤独感が僕の肉体を食い破る。
「龍!そこを動くなよ!今すぐ行くからな!」
あぁ、電話越しの中里の声すら僕には暖かく感じる。どうしてそんなに君は寂しそうにしているんだ。弘樹くん。
道路わきにしゃがみ込み、中里が来るまで弘樹くんを見ていた。
数十分待つと、警察の大きめのバンが路肩に止まり、中里が慌てた形相で出てくる。
「龍!」
「中里……。」
そのバンからは野本夫妻と警部、そして戌谷が下りてきた。
僕は中里に支えられながら立ち上がる。
「中里、弘樹くんが待ってる。ここから出たいって。弘樹くんはこの門の中に閉じ込められてるんだ。」
「龍、弘樹くんは家の中にいるんだな?」
「うん。」
「なんの冗談なんだ!」
「家の中に遺体があるわけないじゃない!犯人から電話だって来てたじゃない!」
野本夫妻が声を荒げる。
「申し訳ありません。念のためということもありますので、家の中を捜査させていただきます。あくまでも念のためです。」
警部は落ち着いた口調で夫妻をなだめると、後ろで戌谷が他の警察官に援助にくるように指示を出していた。
数時間後、弘樹くんが使っていた部屋の床下から遺体が発見された。
野本さん宅には黄色いテープが張られ、警察関係者と野次馬が次々と道路をふさいだ。
発見された遺体は痩せこけており、腕や顔に虐待の傷がたくさん残っていたという。
それを聞いた野本さんの顔は絶句しており、しばらく放心状態だった。
しかし、そんな野本さんをなだめる奥さんはどこか嬉しそうな気がした。前に見た奥さんを覆う黒い大きな影はなくなっている。
「大丈夫か?龍?」
現場があわただしい中、中里は優しく声をかけてきた。
「うん。」
「遺体が見つかったし、犯人を特定するのも時間の問題だろ。」
「だといいな。」
「そういえば、弘樹くんは遺体が見つかって何か言ってたか?って、もうここには居ないか。」
「……いや、まだ…… まだ何かあるみたい……」
僕の隣にしゃがみ込む弘樹くんは僕のズボンの裾をつかんでいる。
「弘樹くん?まだ、僕にできることがある?」
弘樹くんの霊は口を”あ”の形で何度も動かす。
……ま、……ま?
「弘樹くん、お母さんがどうかしたの?お母さんはあそこに……」
僕は、夫をなだめる優美さんを小さく指さす。
しかし、弘樹くんは僕のズボンの裾をつかんだまま首を横に振る。
「あの人は、君のお母さんじゃないのか?……じゃあ、彼女は一体、誰なんだ……。」
一瞬にして背筋が凍る感覚が走った。
「龍、あの人が弘樹くんのお母さんじゃないって、弘樹くんが言ってるんだな?」
「うん。違うって……。」
僕がそういった瞬間、中里の顔が青ざめた。
「龍、車に弘樹くんと乗ってくれ!戌谷!お前も一緒に来い!」
「え、あ、はい!」
現場を警備していた戌谷も慌てた様子で駆け付け、僕らと一緒に車に乗る。
中里は警部と少し話をした後に、運転席に乗り込んできた。
車のエンジンをかけ、戌谷にある住所を告げる。
「先輩、そこって、奥さんの実家っすよね。なんで今?」
「弘樹くんの母の遺体を探すんだ!」
「どういうことっすか!?」
中里は車を大急ぎで発進させると同時に、自分の推理を話し始めた。
「龍に言われた通り、俺と戌谷は昨晩優美さんについて、警察の事件データで調べてみたんだ。そうしたら、龍が言っていた通り優美さんは妹さんがいた。しかも双子だったんだ。三年前に妹の友美さんが失踪した事件。おそらくあれは、姉の優美さんが失踪した事件だったとしたら辻褄が全部会うんじゃないか?」
「じゃあ、今弘樹くんのお母さんを名乗ってるのは妹の友美さんってことっすか?でも、夫なら違いくらい分かるんじゃないっすか?」
「そういうことか……。」
中里の言う通り、もし二人が一卵性の双子で入れ替わっているのだとしたらすべて納得がいく。
「以前、野本さんと話したとき、妹さんにはあまり会わなかったって言ってた。だから、もしかしたら入れ替わったのに気が付かなかったんじゃないかな。それに、こうも言ってたんだ。妹さんの失踪後から優美さんが精神科に入院するほど気が動転していたし、そのころから弘樹くんがおとなしい性格になったって。本当はそのころから優美さん……いや、友美さんが弘樹くんに暴力をふるっていたのだとしたら?」
「うわぁ……おっかないっすね……」
僕らの推理を聞いた戌谷は顔が青ざめていた。
車を走らせて約一時間半。
「ついた。ここが優美さんのご実家だ。」
ここ、来田山市は大きい都市から少し離れており、小さい山を1つ越える必要があった。そして、山を越えると道路わきには棚田が広がっている。優美さんの実家は少し古い木造の平屋で、大きめの庭と裏庭があった。
車から降りると、弘樹くんの霊は一目散に家の裏へと姿を消した。
「待って!弘樹くん!」
呼びかけるが、もうそこには彼の姿はない。
「龍は弘樹くんを追うんだ。僕たちは家主に話をつけてくる。」
「わかった。」
そういうと僕は家の裏に走った。裏庭は雑草が生い茂り、人が進める状況ではない。僕は草をよけながら進む。
裏庭を奥へ奥へと進んでいくと、日当たりのいい、特に雑草が生い茂る場所を見つけた。弘樹くんはそこの地面をじっと見つめている。
「中里!ここだ!この下に遺体が埋まっているはずだ!」
それを聞いた中里と戌谷は事件関係者への連絡やら家主への聞き取りやらで忙しそうにしていた。
数時間後近所の警察が集まり、掘り起こしたところからは女性のものとみられる遺骨が発見され、優美さんに容疑がかけられることとなった。
数日後、この2つの事件はニュースに取り上げられ、両事件の犯人として田辺友美容疑者が逮捕された。
「とりあえず、これで一件落着だな。」
ソファーでだらしなく休日を過ごしている中里が言った。
「結局、犯人の動機って何だったの?」
「友美さんの動機は、姉に恋人を奪われたんだと。もともと、先に野本さんに会ったのは妹さんの方だったらしい。しかし、お姉さんのような社交的な性格ではない友美さんは野本さんとうまく親しくなれずにいて、姉の優美さんに相談していた。しかし、そうこうしているうちに野本さんとお姉さんが仲良くなり、お姉さんに寝取られ、挙句の果てに子供の出産。そんな動機で人を殺せるんだな……。自業自得ともいえるが、犯罪は犯罪だな……女は怖いな。」
「中里、そんなこと言ってないでさっさと結婚相手でも探しなよ。」
「こんな修羅場見せられてやってられるか」
そんな会話でこの事件は終わりを迎えるのであった。
昨日の昼、野本さん宅から帰ってきた僕は、冷蔵庫の中の作り置きを温め昼食を食べた。今日が金曜日であったこともあり、来週から授業に戻るために教科書を眺めたり幼馴染で同じクラスの井上明里にラインで宿題を聞いたりしてその日の午後を過ごしていた。
夕方になり、明里から”来週までのプリントもらったから届けに行くね”とメッセージをもらった。
明里と僕の家はほぼ真向かいにあり、保育園、小学校、中学校と一緒に通っていたから、僕の両親の生前から家族同士での付き合いがあった。もちろん、幼馴染で男女という関係は中学の時にはすごくからかわれた記憶がある。一時期は口をきかないこともあったが、家族同士がこうも仲がいいと関係は続くものだ。
ピンポーン。
ガチャ。
「龍ちゃん!もう具合大丈夫なの?」
「あぁ、大したことないよ。医者が大事をとって多めに入院させてくれただけ。」
「良かった~!原田先生も心配してたよ~、来週は来るのかなって。」
「授業遅れてるのがちょっと心配だけど、月曜からまた登校できる。」
「はい、これ!数学と日本史から結構宿題出てたよ。」
明里はカバンの中から数枚のプリントと僕の提出用のノートを差し出してきた。
「ん、ありがとう」
「今日中里さんは帰ってくるの?車ないみたいだけど。」
「今日は難しいんじゃないかな?今日も昼まで取り調べして、そのあと急用ですっ飛んでったし。」
「なら、今夜夕飯食べにくる?金曜だからからあげ作るよ!」
「明里が揚げるのか?なら行かない。(笑)」
「ひどーい!揚げ物くらいできるもん!そういえば、今度時間あったら中里さんにシュークリームの作り方教わるんだ~!」
「シュークリームは難易度高いな。焼きすぎてクッキークリームになるんじゃない?」
「もー!酷いなー!おいしいクッキークリームでも龍ちゃんにはあげないから!」
「ははっ おいしいならもらうよ」
「夕飯、食べにくるでしょ?お母さんに伝えとくね!」
「ん、ありがとう、5時半くらいになったら行くよ」
そんな他愛もない会話を交わす。
その後は明里の家でご飯をご馳走になり、休んでいた分の授業範囲を勉強したりゲームをしたりした。夜10時を回り家に帰り、シャワーを浴びて眠りにつく。
**********
あぁ、寒い……。ここは……どこだ。
僕は一人で暗闇の中に座っていた。
何も見えない。何も聞こえない。寂しさだけが僕の心を突き刺す。
ここには自分しかいないのだと受け入れ、目を閉じ、顔を伏せる。
少しすると明かりが見えた気がした。
目を開け顔を上げると白い光に包まれた人が僕の方に手を伸ばす。
あぁ、暖かい。この手を取って、寄り添って……今の自分が素直に欲しいと思うものが頭をよぎる。
手を伸ばし、立ち上がろうとした瞬間、自分の中から何かが抜けたのが見えた。
小学生低学年くらいの身長の子が光の主と歩いていく。
弘樹くん……。
咄嗟に僕の体は立ち上がり、声をかけようとした。
けど、弘樹くんの表情はすごく楽しそうで、嬉しそうで……やっとで手に入れたその暖かさは手放してほしくない。そう感じた。
目を覚ますと夜中の1時半を過ぎたところだった。
夢のことはまだはっきりと脳裏に刻まれている。見たものも、あの感覚も。自分にはこの夢が何なのかなんとなく理解できていた。
スマホを手に取ると、中里に電話をかける。
ピロロロロ……。
「もしもし、龍?どうした?」
「…… 中里……」
どう、伝えればいい?必死になって探している弘樹くんを僕の夢だけで安否を決めることなんてできない。
「大丈夫か?龍?また変な夢でも見たのか?」
「弘樹くんはもう生きていないかもしれない。」
**********
翌朝、僕はカーテンから漏れる日の光で目覚めた。
窓からこぼれる光は差し伸べられた手のごとく暖かく僕を照らす。
「行ってみよう。」
どうしても昨日の夢のことが気になるし、自分が夢で感じた結末を信じたくはなかった。
昼食を済ませ、支度をし、駅に向かう。隣町とはさほど遠くない距離のため歩いて行ける。
昨日の記憶を頼りに野本さんの家に向かう。
駅を降り、30分くらい歩くと住宅街に入り、見覚えのある道に出る。ゆっくり進んでいくと見覚えのある青い屋根に白い壁の家。
門の目の前に立って玄関に目を向ける。
あぁ……やっぱり。
玄関の前にしゃがみ込む弘樹くんがいた。正しくは弘樹くんの霊だ。
ピロロロロ……。
スマホがなった。
「……もしもし」
「龍、今時間大丈夫か?」
電話は中里からだった。
「中……里……」
「龍、どうした?大丈夫か?また具合いでも悪いのか?」
「僕たち、救えなかったんだね……」
震えそうな声をどうにか押しつぶしてそう答えた。目の前にいる寂しそうな弘樹くんと夢の中で感じた孤独感が僕の肉体を食い破る。
「龍!そこを動くなよ!今すぐ行くからな!」
あぁ、電話越しの中里の声すら僕には暖かく感じる。どうしてそんなに君は寂しそうにしているんだ。弘樹くん。
道路わきにしゃがみ込み、中里が来るまで弘樹くんを見ていた。
数十分待つと、警察の大きめのバンが路肩に止まり、中里が慌てた形相で出てくる。
「龍!」
「中里……。」
そのバンからは野本夫妻と警部、そして戌谷が下りてきた。
僕は中里に支えられながら立ち上がる。
「中里、弘樹くんが待ってる。ここから出たいって。弘樹くんはこの門の中に閉じ込められてるんだ。」
「龍、弘樹くんは家の中にいるんだな?」
「うん。」
「なんの冗談なんだ!」
「家の中に遺体があるわけないじゃない!犯人から電話だって来てたじゃない!」
野本夫妻が声を荒げる。
「申し訳ありません。念のためということもありますので、家の中を捜査させていただきます。あくまでも念のためです。」
警部は落ち着いた口調で夫妻をなだめると、後ろで戌谷が他の警察官に援助にくるように指示を出していた。
数時間後、弘樹くんが使っていた部屋の床下から遺体が発見された。
野本さん宅には黄色いテープが張られ、警察関係者と野次馬が次々と道路をふさいだ。
発見された遺体は痩せこけており、腕や顔に虐待の傷がたくさん残っていたという。
それを聞いた野本さんの顔は絶句しており、しばらく放心状態だった。
しかし、そんな野本さんをなだめる奥さんはどこか嬉しそうな気がした。前に見た奥さんを覆う黒い大きな影はなくなっている。
「大丈夫か?龍?」
現場があわただしい中、中里は優しく声をかけてきた。
「うん。」
「遺体が見つかったし、犯人を特定するのも時間の問題だろ。」
「だといいな。」
「そういえば、弘樹くんは遺体が見つかって何か言ってたか?って、もうここには居ないか。」
「……いや、まだ…… まだ何かあるみたい……」
僕の隣にしゃがみ込む弘樹くんは僕のズボンの裾をつかんでいる。
「弘樹くん?まだ、僕にできることがある?」
弘樹くんの霊は口を”あ”の形で何度も動かす。
……ま、……ま?
「弘樹くん、お母さんがどうかしたの?お母さんはあそこに……」
僕は、夫をなだめる優美さんを小さく指さす。
しかし、弘樹くんは僕のズボンの裾をつかんだまま首を横に振る。
「あの人は、君のお母さんじゃないのか?……じゃあ、彼女は一体、誰なんだ……。」
一瞬にして背筋が凍る感覚が走った。
「龍、あの人が弘樹くんのお母さんじゃないって、弘樹くんが言ってるんだな?」
「うん。違うって……。」
僕がそういった瞬間、中里の顔が青ざめた。
「龍、車に弘樹くんと乗ってくれ!戌谷!お前も一緒に来い!」
「え、あ、はい!」
現場を警備していた戌谷も慌てた様子で駆け付け、僕らと一緒に車に乗る。
中里は警部と少し話をした後に、運転席に乗り込んできた。
車のエンジンをかけ、戌谷にある住所を告げる。
「先輩、そこって、奥さんの実家っすよね。なんで今?」
「弘樹くんの母の遺体を探すんだ!」
「どういうことっすか!?」
中里は車を大急ぎで発進させると同時に、自分の推理を話し始めた。
「龍に言われた通り、俺と戌谷は昨晩優美さんについて、警察の事件データで調べてみたんだ。そうしたら、龍が言っていた通り優美さんは妹さんがいた。しかも双子だったんだ。三年前に妹の友美さんが失踪した事件。おそらくあれは、姉の優美さんが失踪した事件だったとしたら辻褄が全部会うんじゃないか?」
「じゃあ、今弘樹くんのお母さんを名乗ってるのは妹の友美さんってことっすか?でも、夫なら違いくらい分かるんじゃないっすか?」
「そういうことか……。」
中里の言う通り、もし二人が一卵性の双子で入れ替わっているのだとしたらすべて納得がいく。
「以前、野本さんと話したとき、妹さんにはあまり会わなかったって言ってた。だから、もしかしたら入れ替わったのに気が付かなかったんじゃないかな。それに、こうも言ってたんだ。妹さんの失踪後から優美さんが精神科に入院するほど気が動転していたし、そのころから弘樹くんがおとなしい性格になったって。本当はそのころから優美さん……いや、友美さんが弘樹くんに暴力をふるっていたのだとしたら?」
「うわぁ……おっかないっすね……」
僕らの推理を聞いた戌谷は顔が青ざめていた。
車を走らせて約一時間半。
「ついた。ここが優美さんのご実家だ。」
ここ、来田山市は大きい都市から少し離れており、小さい山を1つ越える必要があった。そして、山を越えると道路わきには棚田が広がっている。優美さんの実家は少し古い木造の平屋で、大きめの庭と裏庭があった。
車から降りると、弘樹くんの霊は一目散に家の裏へと姿を消した。
「待って!弘樹くん!」
呼びかけるが、もうそこには彼の姿はない。
「龍は弘樹くんを追うんだ。僕たちは家主に話をつけてくる。」
「わかった。」
そういうと僕は家の裏に走った。裏庭は雑草が生い茂り、人が進める状況ではない。僕は草をよけながら進む。
裏庭を奥へ奥へと進んでいくと、日当たりのいい、特に雑草が生い茂る場所を見つけた。弘樹くんはそこの地面をじっと見つめている。
「中里!ここだ!この下に遺体が埋まっているはずだ!」
それを聞いた中里と戌谷は事件関係者への連絡やら家主への聞き取りやらで忙しそうにしていた。
数時間後近所の警察が集まり、掘り起こしたところからは女性のものとみられる遺骨が発見され、優美さんに容疑がかけられることとなった。
数日後、この2つの事件はニュースに取り上げられ、両事件の犯人として田辺友美容疑者が逮捕された。
「とりあえず、これで一件落着だな。」
ソファーでだらしなく休日を過ごしている中里が言った。
「結局、犯人の動機って何だったの?」
「友美さんの動機は、姉に恋人を奪われたんだと。もともと、先に野本さんに会ったのは妹さんの方だったらしい。しかし、お姉さんのような社交的な性格ではない友美さんは野本さんとうまく親しくなれずにいて、姉の優美さんに相談していた。しかし、そうこうしているうちに野本さんとお姉さんが仲良くなり、お姉さんに寝取られ、挙句の果てに子供の出産。そんな動機で人を殺せるんだな……。自業自得ともいえるが、犯罪は犯罪だな……女は怖いな。」
「中里、そんなこと言ってないでさっさと結婚相手でも探しなよ。」
「こんな修羅場見せられてやってられるか」
そんな会話でこの事件は終わりを迎えるのであった。