Novel
いつもの帰り道
帰りのチャイムが鳴ると、教室のあちこちで椅子を引く音と友達同士の笑い声が重なった。放課後特有の、少しだけ気が抜けた空気が広がる。
「奏太ー、帰ろー」
振り返ると、
「お前、毎日それ言ってんな」
「だって学校終わったし、今日は部活ないし、一緒に帰るでしょ?」
当たり前みたいに言う。奏太は小さくため息をついた。けれど結局、鞄を肩にかけて立ち上がる。
「ほら行くぞ」
「はーい」
二人が教室を出ようとしたとき、前の方の席から声がかかった。
「また二人で帰るのか」
「うるせぇ」
「別にいいじゃん、冬人も一緒に帰る?」
「僕は委員会があるから」
「そっか、またね」
美月はあっさり言って、廊下へ出ていく。奏太が後に続こうとすると、冬人が小声で言った。
「……いつ言うんだ」
「ほっとけ」
奏太は足早に廊下へ出た。背中に、冬人の静かな視線を感じた気がした。
二人は並んで教室を出た。気づけば、小学校の頃からずっとこうだ。放課後になると、なんとなく一緒に帰る。約束なんてしたことないのに、それが当たり前になっている。校門を出て、いつもの帰り道を歩く。
「ねえ、奏太」
すると、隣から美月の声が飛んできた。
「ん?」
「アイス食べたい」
「太るぞ」
「太らないって! 運動してるし!」
美月は間髪入れずに言い返した。女子バスケ部の練習量を考えれば、たしかに説得力はある。
「ていうか、なんで俺に言うんだよ」
「よし、コンビニ寄ろう」
美月は話を聞いていない。奏太は呆れながらも、結局足をコンビニの方へ向けた。
「ほらね」
「何が」
「奏太は絶対、寄ると思った」
「……お前な」
店に入ると、美月は真っ先にアイスコーナーへ向かった。
「うわ、見てこれ! 新発売のアイス」
美月はパッケージを手に取って、目を輝かせてやけに嬉しそうな顔をしている。奏太はその横で、いつものアイスを取った。
レジを出て、二人は店の近くにある公園のベンチに座る。夕方の風が涼しくて、二人の間にアイスの甘い匂いが漂った。部活帰りの生徒が何人か前を通り過ぎていくのを、並んで眺める。袋を開けた瞬間、美月が身を乗り出してきた。
「一口ちょうだい」
「自分も買っただろ」
「違う味なんだもん」
「やだ」
「けち!」
そんなやり取りをしながら、結局美月は奏太の隙をついてアイスを一口食べた。
「うま!」
「……遠慮って言葉知ってるか?」
「あたしは、幼馴染だからいいの」
さらっと言う。たぶん、美月にとっては本当にそれだけの意味なんだろう。
二人はまた並んで歩き出した。夕焼けで伸びた二人の影が、アスファルトの上に並んでいる。遠くから、まだ部活をしている生徒たちの声が聞こえてきた。
「……そういえばさ」
美月が突然言った。
「小学校のときのこと覚えてる?」
「何が」
「鬼ごっこ、したじゃん」
「あー」
「奏太、すぐあたしに捕まってたよねー」
「捕まってねぇよ!」
「捕まってたって!」
「お前が足速すぎんだよ」
美月は声を上げて笑った。笑いながら、美月が肩をばしばし叩いてくる。
「痛ぇって!」
「あはは、ごめんごめん!」
つられて、奏太も口元が緩む。昔からずっと変わらない。よく喧嘩して、よく笑って、気づけば隣にいた。
歩いていると、美月が急に腕を掴んだ。
「奏太、見て」
指差した先には、道端で丸くなっている猫がいた。
「だからって、引っ張んな」
「だって奏太、猫好きでしょ?」
奏太は少しだけ言葉に詰まる。
「……覚えてたのかよ」
「当たり前じゃん」
美月はきょとんとした顔で言った。
「幼馴染だからね」
小学校からずっと一緒だった。好きなものくらい、覚えていて当然らしい。でも、その言葉に、奏太の胸がざわつく。そのまま猫を眺めながら、自然に腕を掴んだままでいる。美月は何も気にしていない顔で猫を見ていた。奏太の心臓が、少しだけ速くなった。
しばらくして歩き出すと、今度は美月が小さくつまずいた。
「うわっ」
奏太は反射的に腕を掴む。
「危ねぇって……!」
「おー、ありがと」
軽く笑って、それだけ。驚くほどあっさりした返事だった。さっきまで掴まれていた腕を、今度は奏太が離す。指先に残る体温が、やけに離れなかった。思わず息をのんで、それから視線をそらした。美月はもう何事もなかったみたいに歩き出している。
歩き出して、沈黙が落ちた。さっきまで聞こえていた生徒たちの声も、いつの間にか遠くなっている。夕焼けの色が、濃くなっている。
「……なあ、美月」
珍しく、奏太の方から声をかけた。
「ん?」
いつも通りの、何も疑っていない返事。その一瞬で、喉まで出かかった言葉が止まる。
——今言ったら、どうなる
今までの帰り道も、くだらない会話も、“幼馴染”っていうこの距離も。全部、変わってしまうかもしれない。奏太は静かに息を吐いた。
「……なんでもね」
「なにそれ、気になるじゃん」
美月は少しだけ頬を膨らませる。
「大したことじゃねーよ」
軽く笑ってごまかすと、美月もそれ以上は追及しなかった。しばらく歩くと、美月の家が見えてきた。
「じゃ、あたしここだから」
門の前で振り返る。
「奏太、また明日」
「毎日会ってるだろ」
「じゃあ、明日も部活終わったら一緒に帰ろう」
当たり前みたいに言う。奏太は肩をすくめて、小さく笑った。
「はいはい」
美月は満足そうに頷くと、そのまま家に入っていった。静かになった帰り道に、一人だけ残る。さっきまで隣にいたのに、急に静かになる。奏太はポケットに手を入れて、一歩踏み出した。
——それから、止まる。
空を見上げると、夕焼けが、さっきより暗くなっていた。街灯がひとつ、静かに灯る。さっきまで同じ明るさにいたはずなのに、少しだけ置いていかれた気がした。
当たり前みたいに隣にいる。たぶん、これからもずっと——それが、俺には一番特別だった。そう思っているのは、きっと俺だけだ。
14/19ページ