Novel

昼下がりの光度


賑やかな教室の中で、桜田(さくらだ)ほのかはいつも少しだけ耳を澄ませていた。誰かの声じゃなくて、自分の呼吸の音を確かめるみたいに。それくらい、この時間はいつも静かだった。騒がしいのに、静かだった。

笑い声もスマホが鳴る音も、全部が誰か他の人のもので、ほのかはその中に紛れているだけ。それでよかった。それがいつも通りだった。

「ほのかちゃん」

名前を呼ばれて顔を上げると、もう机の横に日向晃(ひゅうがあきら)が立っていた。返事をする前に、当然のような顔でほのかの机に腰かける。手には購買で買ったパンを持ったまま。

「今日は屋上で食べない?」

聞いているようで、聞いていない。答えを待つ素振りもなく、晃はもう笑っていた。断る隙なんて、最初からなかったのかもしれない。

どうしてこの人は、こんなに自然なんだろう。ほのかはそう思う。

最初の頃、ほのかは晃のことを、自分とは違う世界にいる人だと思っていた。明るくて、行動力があって、友達も多くて、何をしていても楽しそうで。自分とは正反対で、だから眩しくて、真正面から見られなかった。晃が笑いかけてくれるたびに、どうしてこんなに自然に話しかけてくれるんだろうって、答えの出ない問いばかりが浮かんで、結局いつも目を逸らしてしまう。

でも晃は、そんなことにはまるで気づいていないみたいだった。今日も、いつもの調子でほのかを連れ出す。

「ほのかちゃん、こっちおいでよ」

階段を上るほど、廊下の喧騒が遠くなっていく。重い扉を晃が押し開けると、光が一気に流れ込んできた。風が思っていたよりも強く頬を撫でる。空の色は、教室の窓から見ていたのと同じはずなのに、なぜか少し違って見える。

柵にもたれて、晃はパンの袋を開けながら、とりとめのない話ばかりした。今朝寝坊しかけた話、購買で目当てのパンが売り切れてて別のを買った話。特別でもなんでもない、ただの雑談。

「俺、家でゴールデン飼っててさ。……ほのかちゃんは何か飼ってる?」

不意にそう聞かれて、ほのかは少し驚いた。誰かに聞かれることなんて、あまりなかったから。

「ううん、飼ってないけど……好き、です。犬とか、猫とか。あと、小動物も」

気づけば、いつもより言葉が多く出ていた。好きな動物の話、前に見たテレビの特集、いつか行きたいと思っている動物カフェのこと。話しているうちに、恥ずかしくなって口をつぐもうとしたけれど、止まらなかった。

晃はそれを、黙って聞いていた。そして、笑った。

「そんな喋るんだ」

からかうような響きはなくて、ただ、嬉しそうだった。屈託のない、いつもの晃の笑い方。何度も見てきたはずのその顔が、また眩しくて、ほのかは思わず目を逸らしそうになる。

でも、その時。

ふと気づいた。この笑い方は、誰にでも向けているものじゃない。友達といる時の晃も、クラスメイトに囲まれている時の晃も見てきたけれど、今のこれは——違う。今、目の前で、自分だけに向けられている。

そう思った瞬間、心臓が小さく跳ねた。

いつもなら、ここで視線を落としているはずだった。眩しさに耐えられなくて、逃げるようにして。
でも今日は、少しだけ、晃の顔を見ていた。
風が吹いて、晃の淡い金色の髪が揺れる。空はさっきよりもっと青くて、鮮やかで。ほのかはその景色ごと、晃を見ていた。

ふと、晃がこちらを向いた。目が合う。逃げなかったほのかに、晃は一瞬だけ意外そうな顔をして、それからちょっとだけ照れたように笑った。何も言わずに、また空の方を見る。

——もう少しだけ、こうしていたい。
声には出さなかったけれど、ほのかは確かにそう思った。

チャイムが鳴るまで、あと少し。

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