第94話 落ち着く場所はストーブの前
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スーハー、と静かな深呼吸をする。
先ほどから何回も深呼吸をしているが、思考と心臓は落ち着く気配がない。
今名無しさんは実家にいる。
父親と祖父がいる家に。
なのに動悸が、息苦しさが、止まらないのだ。
ここにいれば、危険もないし急に呼び出されることもない。
お世話をしてくれる人もいる。頼めば、美味しいご飯を持ってきてくれるであろうし、車が欲しいと言えば貰えるだろう。
しかし、名無しさんは一刻も早くここから逃げたかった。
どんなに強い怪人でも、あのアマイマスクの前でもこんな気持ちにはならないのに。
手首につけている時計を確認する。
まるでその秒針の音が聞こえるようであった。
「(時間だ)」
目の前にある大きな扉を開けた。
ここから、名無しさんは大変長い時間を過ごすのであった。
「はぁ……」
扉を閉める。
10分ほどでこの部屋から出ることができたが、もっと長い時間を過ごしてきたように思う。
道路のような廊下を、重心なく歩く。
先ほどの出来事をゆっくりと思い出すように。
今日は家にヒーローをやめたことを話に来たのだ。
久しぶりの祖父。何と言われるだろうか。
怒られるか、呆れられるか、失望されるか。
まだそれなら良かった。
覚悟した言葉は、
「そうか」
だけで終わってしまった。
それ以上は何も言われない。ヒーローとなれ、と指示をしたのは祖父であるのに。
いつまで経っても、どれだけ努力しても、結局は自分に関心がないのた。
「(まぁ、それもそうか)」
だって俺は弱いのだから。
「名無しさん名無しさん名無しさんー‼︎」
「ゴフーーーーッッ!?!?」
車に轢かれた? 隕石が衝突した? ゴリラにタックルされた?
3番目の考えがほぼ当たりであった。
「名無しさん帰っていたのか! 何も言わないなど、悲しいぞ」
「……」
まだ人間の姿であるボロスが、何も喋らない名無しさんの顔を覗き込む。
目は瞳孔がどこかに行ってしまい真っ白であるし、口からは泡を吹いている。
顔から血が引き真っ青だ。
誰がどう見ても気絶していると思うだろう。
ボロスは違う。ボロスはまだ地球のことが分からない。つまり、人間も分からないのだ。
「聞いてくれ名無しさん、この間怪人が大量に発生したとき……」
「……」
ボロスは楽しそうに話している。しかも廊下でだ。
名無しさんは気絶しているし、誰も注意することができない。
誰かが連絡を入れたことで、やっと名無しさんはボロスから解放された。
色々なことがあり、やっと庭の椅子へと落ち着くことができた。
ボロスはしょんもり、としてしまい名無しさんと視線を合わせようとしない。
いいって、気にしてないから。と励ます。
そんなやり取りが30分続いたところで、やっと話は本題に入ることができた。
「そうか、ヒーローを辞めたことを報告しに来たのだな」
「うん。でも、おじい様は俺に関心無いからあっさり終わったよ」
そう言って笑う名無しさん。
ボロスは顔を顰めてしまう。なんだその笑顔は。
こちらまで悲しくなるような笑顔に、ボロスは名無しさんの頬を引っ張る。
壊さないように、優しく。
「そんな顔をするな」
ボロスが笑う。
大きな1つの瞳が名無しさんを見つめている。
まるで海のような、宝石のような、綺麗な瞳。
嫌な気持ちなど忘れて、見惚れてしまうほど。
「お前には俺がついてる。お前が望むなら、何でもするぞ」
名無しさんがパクパクと口を動かしていた。
頬を引っ張られているので喋れないことに気づいたボロスは、手を離した。
すると名無しさんは頬を擦ってから言う。
「さすが、全宇宙の覇者様」
「!」
ボロスは名無しさんから視線を外し、顔も名無しさんと逆方向に向けてしまった。
どのような顔をしているかは分からないが、尖がった耳が真っ赤なところを見ると照れているようだ。
羞恥の心を落ち着けたようで、咳払いをしながら向き直る。
「……仕方ないだろう。地球に来るまであまり深く考えていなかった」
「暗黒盗賊団だもんなぁ」
もう一度名無しさんの頬を引っ張る。
ボロスは片方の頬に空気を溜めてプンスカと怒っている様子だ。
ごめん、というジェスチャーを見て手を離す。
あはは、ごめんね。と笑う名無しさんは、ボロスが好きな笑顔となる。
そうだ、この顔だ。この顔がずっと見たかったのだ。
頬をつねっていた手は、名無しさんの頭へと乗せる。
名無しさんの頭を掴めるほど、ボロスの手は大きい。
優しく、壊さないように、触れた。
その触れ方は、まるで子供を撫でる親のようだ。
あの時、全てを破壊した手ではない。
あの頃、力を望んでいた触れ方ではない。
「ふふ、ありがとうボロス」
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