第90話 羨ましさはやがて嫉妬となる
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名無しさんのリミッターが超えようとしている。
いや、それはリミッターだろうか?
瓦礫に埋まり、名無しさんは目を瞑る。視界を暗くして、気持ちを落ち着かせようとした。
しかし、心臓は激しく動き、身体は酸素と二酸化炭素を勢い良く入れ替える。
「(クソっ……!!)」
痛みと疲れでこの場から動けない。今も脇腹からはズキズキと痛む。
痛むのは脇腹だけではない、頭もだ。
頭が石で叩かれているように痛い。大量の出血と痛みで意識が朦朧としている。
まだ少しだけ考えることのできる
頭で、死という文字が刻まれる。そしてその考えは頭全体に巡った。
死んでもいい、は嘘ではある。しかし死ぬのは致し方ないことだと、ヒーローはそのような覚悟ではいなければならない。
死んでもいい、そうは思っているものの死ねない理由がある。
子供とガロウのこと。子供は無事に保護されただろうか?
ガロウは、ここに来ているだろうか。それとも、地上にいるだろうか。
名無しさんは今、多大なストレスで脳を包まれている。
子供の心配、怪人と戦わなければならないプレッシャー、痛み、自分の非力さ。
身体が別の痛みを感じる。まるで、自分の血が別物になるかのように。
リミッターが、動く。それは限界を超えるためか、それとも、人間ではない者になるためか。
黒い精子と戦う名無しさんは、とてもヒーローの姿とはいえない。
「……あれ、本当に名無しさんなの」
瓦礫から上がってきたアマイマスクが呟いた。
それは、皆が思っていたことと同じだ。
アマイマスクは思う。まるで、あの姿は僕のようだと。
名無しさんの攻撃が止まる。胸に何かが突き刺さっていた。
エビル天然水だ。エビル天然水の水が、名無しさんの胸を貫通している。
アマイマスクはエビル天然水を攻撃した。
「名無しさんッ!!」
アマイマスクの顔に筋が集まる。
その姿からはとても俳優とは思えない。
名無しさんは攻撃していた手をまた動かす。胸から垂れる血など気にせずに。
アマイマスクは名無しさんに声をかけたかった。しかし今は目の前の怪人をどうにかしないと。
今の名無しさんは痛みも、寒さも感じない。人間ではないみたいに。
「くそっ」
ガロウはその場に座り込む。
身体が思うように動かない。痛い、寒い、目もよく見えない。
結局は自分も人間なのだと気づいてしまう。
ヒーローも、怪人化した連中も弱い人間なのだと。
理不尽が嫌いで、理不尽を作る人間も嫌いだったのに。
ガロウは実感する。
「そんな俺は人間だったてか」
俺はこうして死にたかったのか。
……いや、まだ死ねない。死にたくない。
名無しさんに出会えたのだから、アイツを殺してから死なないと。
それか、名無しさんに殺されて死にたい。
あの日、助けてくれたヒーローに倒されたいな。
名無しさんが静止したのは、アマイマスクが飛んできたから。
分裂した黒い精子に殴られ、吹っ飛ばされたのだ。
名無しさんもアマイマスクに釣られて倒れこむ。
アマイマスクは、久しぶりに名無しさんの顔を見た。
「……ッ!」
名無しさんの瞳が人間のものではない。
その瞳はどういう物か、アマイマスクはよく知っている。
力を手に入れた快楽と、暴れたいという衝動。これは、怪人の瞳ではないか!
エビル天然水の攻撃で胸に穴が開いているはずが、塞がっている。
アマイマスクは思わず、名無しさんの頬を掌で叩いた。
まるで、夢を見ている人を目覚めさせるように。夢から脱出させるように。
「名無しさん! 戻ってこい!!」
アマイマスクの叫びは、名無しさんにきちんと届いた。
「……!? あれ!!?」
名無しさんの瞳が、いつもの瞳に戻った。
何が起きているか分からないようだ。名無しさんは真っ直ぐにアマイマスクの顔を見る。
「ど、どけ!!」
名無しさんの上に乗っているアマイマスクに叫んでしまう。
アマイマスクは名無しさんの瞳を見つめて、安心した。
肩に手を乗せる。
「まったく君という奴は……」
名無しさんは周りを見渡した。
S級たちが戦っている。見たことのない怪人たちと。
何が起きたのか理解できないが、今は加勢しなければ。
そこで一番大事なことを思い出す。
「子供は!?」
「無事だ」
返答したのはアマイマスクではなく、イアイアンだ。
名無しさんはイアイアンの傷だらけな姿に驚いてしまうが、すぐに笑った。
イアイアンも戦っていたのだ。この怪人たちと。
良かった、と言って名無しさんは痛みを思い出した。
皆がボロボロだが、名無しさんが一番傷を負っているのは誰が見ても明白だ。
でも、名無しさんは動ける。
「イアイ、刀貸してくれ」
「でもお前」
「大丈夫だ。な、アマイ」
名無しさんがアマイマスクを見て言った。
アマイマスクはため息をつき、当たり前だ。と返した。
この視線だけの会話は、イアイアンには分からない。
けれど、名無しさんもアマイマスクも、互いが信頼し合っているということは分かった。
イアイアンは少しの嫉妬と羨望をしまい込み、代わりに刀を出す。
「……死ぬなよ」
名無しさんは返答しない。返答はしないが、刀を握っているイアイアンの拳に、自分の拳を軽くぶつけた。
イアイアンの手から刀が離れる。
そして、名無しさんとアマイマスクは怪人たちのもとへ向かった。
2人の戦いは、まるでショーのようだった。
2人ではないと出せない美しさと魅力。
失敗すると死が待ち受けてる。だからこそ懸命にやっているようだ。
名無しさんが避ければアマイマスクが攻撃する。アマイマスクの背中を名無しさんが守る。
「……すごいわね」
オカマイタチは、この場に会わない輝いた眼差しをしている。
イアイアンは頷く。あれがA級1位と2位の実力だ。
命がけの戦いなのに、あまりの美しさに見る者は魅了されてしまう。
自分はああやって戦えるだろうか。いや、無理だ。名無しさんの速さについていけない。
アマイマスクと名無しさんだからこそ、あの2人の関係だからこそ、あの強さだからこそ、あのように美しく強いのだ。
いつか自分も、ああ戦えるようにならなければ。
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