19発目
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「分量はこれくらいか」
「うん。あ、こぼさないように気を付けてね」
名無しさんとジェノスの声が台所から聞こえる。
その声にサイタマは必死で聞こえないようにしていた。
見ているテレビの音量を上げて、上げて、聞こえないように。
あれからというもの、名無しさんはジェノスに料理を教えていた。
まるでその姿は新郎新婦だ。
自分の家で他人がイチャつくのが、こんなにも不快だとは。
「刺すぞ」
「包丁振り回さないでって! ごめんって!!」
ジェノスはどうして名無しさんに教わっているのか。
師匠である自分に頼めばいいのに、とそれとなく聞いたことがある。
「先生に迷惑をかけるわけにはいきません」と断られたのだ。
その考えは仕方ない、百歩後ろに下がってわかる。
だがどうして名無しさんなのか。
他の人から教わっていたなら、こんな気持ちにならなかっただろう。
これは確かに嫉妬という感情だ。
名無しさんには楽しいという感情や高揚感を思い出させてくれた。
しかし、同時に黒い感情も持ってきてしまった。
らしくない。頭をかく。
「この味付け好きなんだよね」
「フム……」
ジェノスはメモを取っていた。勿論、名無しさんの言葉をだ。
どうしてメモを取る必要があるのか。
ふとした疑問が、またサイタマの黒い感情に投げ込まれる。
餌を与えられた黒い感情は大きくなるばかり。
「ねーサイタマー、味噌と醤油どっちがいい?」
「知らねぇ」
素っ気なく答えてしまったのは、黒い感情を抑えるのに必死だったからだ。
話しかけないでほしい。今は、それで精一杯だから。
こぼれた黒い雫は悪い言葉ばかり。
「俺じゃなくてジェノスに聞けばいいじゃん」「俺の好み聞いてどうする」
名無しさんは悪くない。悪くないのに、名無しさんのせいと思ってしまう。
「なんでよ! 冷たいよーサイタマー」
「うるっせぇな!!」
ビキリ、とゴミ箱にヒビが入った。
床に落ちている漫画が少し揺れた。
それほど大きな声を出してしまったことに、サイタマ自身も驚いた。
それは名無しさんも同じなようで、動きが止まってしまった。
何が起きているのか分からないような、そんな顔だ。
「わ、悪い」
「いや……わ、私もごめんね」
大声を出してしまった謝罪と、話しかけてしまった謝罪。
普通ならこれで円満仲直りになったはず。
しかし、この部屋は静寂に包まれていた。
八つ当たりをしてしまったことが、サイタマ自身を苦しめる。
言葉が出ないのはそのせいだろうか。
「先生、名無しさん?」
急な大声による振動で、体中の信号が停止していたジェノスがこちらに来た。
やっと現実に戻ったサイタマが立ち上がる。
名無しさんはまだ怒鳴られたことを受け入れていないようで、まだ固まっているようだ。
「……俺ちょっと買い物行ってくるわ」
「俺も行きます」
「悪い。1人にさせてくれ」
「……はい」
いつもなら無理やりにでも付いて行ってただろう。
1秒たりとも、サイタマの強さの秘訣を見逃すわけにはいかない。
しかし、今は大人しくサイタマの言う通りにした。
先ほどの行いを整理したいのが分かったから。
人の体を捨てたが、気持ちは捨てたわけではない。
丸まったサイタマの背中を見届けることしか出来なかった。
足が上手く動かせない。
集中しないと転んでしまいそうだ。
先ほどの出来事を脳内で反芻しているため、他のことが出来ないのだ。
最後に見た名無しさんの顔が記憶に張り付いている。
どう、なんて謝ればいいのか。
先ほどの謝罪は謝罪に入っていない。反射的に出てしまった謝罪だ。
心の奥底から謝ったとは言えない。
ブラブラとスーパーを見る。しかし世界はぼやけて見える。
唯一、はっきりと見えたのが桜プリンであった。
一緒に買い物をしている時、「桜プリンとかいつか食べてみたいな」と言っていたのだ。
自然に手を取る……とはできなかった。
値段に驚いてしまったからだ。
1個だけ、しかもこのサイズで298円だったから。
えぇい悪いのは俺だ!! 思い切ってカゴに入れた。
「(どう謝るか……)」
子供の頃はすぐに謝罪していたと思う。何か悪いことをした時、危険なことをした時、友達と喧嘩した時。
なのに、大人になると素直に謝ることが恥ずかしいと思う。
ごめんなさい、それだけ言えればいいのに別のことを考えてしまう。
謝罪の言葉はそれだけでいいのか? もし許してくれなかったら? 向こうが喧嘩を売ってきたら?
様々なことを考えていると、急に買い物のことを思い出した。
「昆布だし買うの忘れた……」
今から戻るか、どうするか。
そう思っていると目の前に昆布のような怪人が現れた。
『なんだまだ住人がいたのかよ』
ラッキー、と心の中で言いいつも通りワンパンで……。とはいかない。
頭の昆布を頂こう。そういって毟り始める。
そして頭の昆布が残り1枚となったところで、手元から怪人がいなくなった。
「やめてあげてよぉ! サイタマみたいになっちゃうよぉ!」
「おい遠まわしにハゲって言ってるだろ」
仮面をずらして名無しさんが叫んだ。
抱えている昆布の怪人は泣いているようだが、名無しさんは気にしていないようだ。
いつも通りの名無しさんに、サイタマは少しだけ安堵した。
ドスリ、と鈍い音。名無しさんが昆布の怪人を手刀で眠らせていた。
床に落とし、サイタマに向き直る。
すると、上半身を追ってつむじをサイタマに見せた。
「ごめんなさい」
「は?」
「あの、さ。まぁその……サイタマに謝りたくて。サイタマの家で騒いでごめんね」
ポカン、と名無しさんのつむじを見つめる。
どうして名無しさんが謝るのか。悪いのは自分だというのに。
眉間に皺が寄る。名無しさんに謝罪させた自分の不甲斐なさからだ。
あと、家で五月蠅いのはいつものことだぞ。
「いや、名無しさんは悪くねぇよ。俺が悪かった。スマン」
サイタマも頭を下げた。
お互いにつむじを見せ合っている状態から、上半身を起こすのは同時だ。
視線が交わり、笑いあう。
「……これで仲直りしたってことになるかな?」
「あとこれやるよ。お詫び」
「え、可愛い! ありがとうサイタマ」
先ほどより大きく笑顔になった名無しさんに、少しだけ、ほんの少しだけ心臓が動いた。
胸に手を当てる。いつも通り静かに動いているだけだ。
先ほどの心臓の高鳴りは気のせいであろう。
「そういえば、ジェノスは? 1人にさせて大丈夫か」
「大丈夫じゃない? あの子も子供じゃないし」
「……あのよ、ジェノスのことどう思ってんだ?」
聞いてみたのはただの好奇心であった。
なんと返ってくるか、少しだけ緊張していた。
異性として見ているのか、ヒーローの敵として見ているのか。
「うーん……手のかかる子供かなぁ。特にサイタマと3人でいるときなんて更に子供っぽい」
「子供って……確かに若いけどよ」
「なんか3人でいると家族みたい。ジェノスくんが子供で、私とサイタマが夫婦みたいな」
と言った途端に名無しさんは防御の構えを取る。
またサイタマを怒らして、殴られると思ったからだ。
勝手に夫婦と言ったのはまずい。世間を知らない名無しさんでもこれはまずいと思ったのだ。
しかしサイタマは何もしてこない。
それどころか、呆然としていた。
サイタマの脳内で名無しさんとの夫婦生活が流れたからだ。
台所で一緒にご飯を作って、たまに喧嘩して。
ガンッッと自分の拳で自分の頭を殴った。
何を考えているのだ自分は。
「……どうしたの。急に怖い」
「なんでもねぇ。今日飯食ってけよ」
「お言葉に甘えてー!」
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