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第5章 青嵐吹く夏

お盆に入り、ほとんどの生徒は帰省していった。
学園に残っている生徒はほんの一握り。
そのうちの1人である香緒里は人の少ない食堂で朝ご飯を食べていた。

奈津たちも都内にあるという自宅へ帰り、由美と美愛も県内の自宅へ。美愛の本来の自宅は大阪らしいのだが、事情があって中学から祖父母の家にいると話していた。
雪音と翔太も帰り、真は沙世の自宅へ行くそうだ。

二人が仲直りをした様子で、香緒里は心底ほっとしていた。
自分が傷付くのはこの際いい。でも自分のせいで友達が傷付くのは香緒里には耐えられなかった。
仲良く手を繋いで帰る二人を数日前に見送ることが出来てよかった。


残るは自分のことだけだ、と思いながら溜息をつく。
母を名乗る人物のことはとりあえず置いておくことにした。今はなにより、拗れてしまった秀人との関係を何とかしたい。
今日、病院に行き話をしようと決めたのだが、どうにもまた決心が揺らいでいる。
朝ご飯の一つの焼き魚がなかなか減らない。

しかし、周りの友人達にも随分心配を掛けてしまっている。いい加減、腹を括らないといけない。

『もっと自信持っていいだろ?』

という悠の言葉を思い出す。
自信、を持っているかというと持っていない。
だけれど今回の事件、そして諍いを通して秀人が香緒里にとってどれ程大きな存在であるかを思い知った。
だからこそ、ちゃんと話し合いたいと思う。

よし、と呟いて香緒里は残りの朝ご飯を急いで食べた。





病院には何度か行っていた。
でもその度に病室に山瀬舞がいたため、入れずにいた。
また舞に何を言われるか分からないから、また秀人に拒絶されるのが怖いから。
そういう思いもあったが、二人で仲良さそうにしているのを見るのが辛かったというのもある。

『山瀬のやつ、ほぼ毎日行ってるんやろ?一体何をしに行っとるんだか………』
『なんか、夏休みの課題とかを見てもらっているみたいよ。』
『新谷くん頭いいもんね……』
『ふん、いい動機やな。』

そんな会話を以前に美愛達がしていた。
何にしろ、入っていけない雰囲気ではあった。

だけれど、今日は、何としても。
そう再度思い、病院の中に足を踏み入れた。
すっかり歩き慣れてしまった廊下を進み、病室の前に辿り着くと、予想通り中から話し声が聞こえてきた。
何を話しているかは扉越しでは分からないが、この声は間違いなく舞だ。

いきなり入る勇気がなかった香緒里は少しだけ扉を開け、中の様子を耳を澄まして窺った。

「それでね、沢田くんは吉崎さんに振られて、また谷中さんとよりを戻したらしいのよー。」

突然耳に飛び込んできた話に、香緒里は息を呑む。
また、事実ではない話を秀人にしているのか。
また、それを秀人は信じてしまうのだろうか。
そう思うと怖くて動けなくなってしまった。

「新谷くんにしろ、沢田くんにしろ、吉崎さんに振り回されて気の毒ねぇ。前から思ってたんだけど、吉崎さんって何か勘違いしてそうよね。確かにちょっとはかわいいかもしれないけど、性格が自己中心的っていうかーーそれなら吉崎さんより私の方が」

尚も続ける舞の言葉にまた、どんどん心が冷えていくのを感じた。
けれど、その言葉は机を叩く音に阻まれる。
バンッと響いたその音に香緒里は一瞬目を瞑った。
再度病室の中を見ると、秀人の拳がサイドテーブルの上で握られていた。

「……俺の所に見舞いに来るのはいいが、そういう話をするんなら、帰って欲しい。」
「や、やだ……新谷くん、そんなつもりじゃ……」
「あんたが俺の事をどう思っているかなんて大体予想がついている。でも、仮にも部のマネージャーだから邪険にもしなかったし、勉強教えて欲しいなら教えてやる。だけどな、香緒里のことを悪くいうことだけは許さねぇ。」

ドアの隙間から少しだけ見えた秀人の表情は、険しかった。これは、怒っている。
滅多なことでは気性を荒らげたりしない秀人が、怒っている。

「香緒里がどんなやつなのかは、お前よりも俺の方がちゃんとよくわかってる。」
「でも、ほら、実際にそういう噂がね、あってね?私も信じているわけじゃないのよ?」
「俺らの間柄にごちゃごちゃと口を挟むな。お前がいくら周りのやつらに美人だなんだ言われていようが、悪いけど俺はお前には靡かない。絶対好きにならねぇ。俺には、あいつだけだ。」

そうキッパリ言われた舞は今度こそ押し黙った。
そして、ガタンと椅子を勢いよく引いて立ち上がった。そのまま扉の方へ向かってくる。

どうしようかと香緒里が迷っている間に扉が開いてしまった。

「吉崎さん……」

驚いたように香緒里を見たその顔は、直ぐに悔しげな、憎々しげな表情に変わる。その目は薄ら潤んでいた。
そのまま香緒里の横を通り過ぎ、舞は足早に病室を出ていった。

残った秀人の顔を見ると、こちらも驚いた様に固まっていた。

久しぶりに……本当に久しぶりにちゃんと正面から顔を見たような気がした。
たった数週間のことなのに、とても長く感じていた。

病室に入り扉を閉め、舞が座っていたベッド脇のパイプ椅子にゆっくりと腰をかける。
少しの沈黙の後、香緒里はさ迷っていた視線を正面に向けた。

「秀人………ごめんね。あの時……母親の話が出た時、秀人は私のことを思って言ってくれてたのに……関係ない、なんて酷いこと言っちゃった。本当に、ごめんなさい。」
「いや……俺も、ごめん。香緒里の気持ちを汲んでやれなかった。余計に傷付けた。ごめん。」
「ううん、秀人は客観的なことを言ってくれたから………いいの。私も私で、もう一度ちゃんと考えてみようって、思ってるから……。」

そっか、と秀人は呟き、また静かになる。
気まずい雰囲気がまた少し流れる。
何か、言わないと。もう一つの大事な話をしないと。
そう思っていると、今度は秀人が口を開いた。

「その………真との事なんだけどさ……」
「あ、あれは…誤解で…」
「分かってる。でも、ごめん。分かってたのに、冷たい態度をとっちまった。」

目を伏せた秀人を香緒里は見つめる。
どういう、ことだろう??
思ったことが顔に出たのだろう、秀人はそのまま言葉を繋げる。

「真じゃなかったら……他のやつだったら、特に何も思わなかった。香緒里がそういうことするやつじゃないって、わかってるから。」
「真、だから?」
「時々、思うんだ。香緒里は、俺の気持ちを知らなかったら………もしかしたら、真のことを好きになってたんじゃないかって。真は、すげーいいやつだしさ。二人の方がお互い分かり合えるだろうし。俺と、沙世のことがなければ。」

何事も動じず、いつも自信に満ち溢れているように見える秀人。その秀人のこんな力無さげな表情は見たことがなかった。

「かっこ悪いよな、要は嫉妬してたんだよ。でも、それを認めたくなくて、逃げて、香緒里を傷付けた。真も沙世も巻き込んだし、他のやつらにも迷惑かけた。本当に申し訳ない。ごめん。」

そんな秀人の手を香緒里はそっと握り、その目を見つめる。

「かもしれないの話だろうけど、でも、それでも私は秀人のことを好きになったと思うよ。秀人のかっこいいところ、ダメなところ、いっぱい見てきた。秀人が事件に巻き込まれたって聞いて、どれだけ私が怖かったと思う?秀人がいないなんて、もう考えられないよ………」
「香緒里………」
「秀人はね、私に勇気をくれたんだよ。人と関わるのが怖くて、嫌で、面倒で。そう思っていたのに、秀人に会えて変われた。心から信じられる友達が何人も出来た。本当に本当に感謝してる。」

あぁ、何を言いたいのかまとまらなくなってきた。
そう呟き苦笑いをした後、また続ける。

「私の初恋は、秀人なんだ。自覚したあの時からずっと、ううん、あの時よりもっと…………大好きなんだよ。ごめんね、私、こういうの伝えるの苦手だから……分からないよね。」
「いや、いいんだ。俺が悪かった、ほんとにごめん。でも、ありがとう。」

優しく香緒里を引き寄せ、抱きしめる。
胸に近づいた耳には、秀人の鼓動がよく聞こえた。
香緒里は、人とくっつくことはあまり得意ではない。
けれど、こうしているのはとても安心出来た。
そっと、その背中に腕を回すと抱きしめる腕が強まった。

「俺も……香緒里のこと、大好きだから………もう傷付けない。」
「いいんだよ、傷付いても。人間だもの、意見の衝突はあると思う。でも、そのままにはもうしたくない。ちゃんと、話し合おう?」

身体を離し、お互いの目を見て笑う。
そうだな、と秀人は呟いた。
ぶつかることは悪いことではない。もちろん、何の障害もないのが一番なのだろう。
でも、ぶつかって分かることもたくさんあると今回のことで香緒里は感じた。
辛かったし悲しかった。でもそれ以上に、自分が秀人のことをどれだけ好きなのかや、友達の大切さを実感出来たことは大きいと思う。

そう、香緒里が伝えるとまた笑った。
その笑顔を見ていると、安堵からか目から涙が零れていった。久しぶりに、悲しいという感情以外で涙が出た気がする。
その涙を、秀人は指先で拭い、その手を香緒里の頬に添えた。ゆっくり近付いてくるその端正な顔に、少し驚きながらも香緒里は目を瞑る。
柔らかい感触が唇を包んだ。


様々なことがあったこの1ヶ月あまり。
夏休みも半分を切ったまだ暑い盛りの頃。
ようやく嵐は収まり、穏やかな日となった。
問題の半分はまだ解決していない。けれど、夏の暑さにかまけて、今は少し忘れよう。
そしてその後、ゆっくりゆっくり考えようと思う。
一緒に悩んだり、話を聞いてくれる大切な人たちが傍にいるのだから、何も心配することはないだろう。

夏はまだ終わっていない。
今しか出来ない楽しいことをしなければ、勿体ないだろうと、柄にもなく香緒里は思い、微笑んだのだった。
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