第3章 恋と謎
突然
何かが壊れる轟音がその場に響き、ドアが大きな音を立てて床に倒れた。
香緒里も沙世も、そして上村も思わずそちらを見た。
縁が金属で出来ている木のドアはひしゃげ、木屑が舞っているのが外からの光でよく見えた。
「やっぱりお前か、上村。」
「沙世!香緒里!!」
明るい方から、秀人と真の二人が入って来る。
「びっくりだな、君たちもここに来るとは。」
ゆらりと立ち上がった上村はナイフを構え、二人に向かって突進する。
秀人はそのナイフを持つ手を蹴り上げ、その勢いで胴に回し蹴りを入れる。
よろめいた上村はその場に崩れ落ち、その間に二人は香緒里達に近寄った。
「大丈夫か?」
秀人は香緒里の手足の拘束を素早く解くとジャージを脱ぎ、羽織わせる。真は沙世と川端に近寄り、紐を解いていく。
「全く、困った生徒達だね。」
再び立ち上がった上村は壁に立て掛けてあった金属バットを掴む。
「……まだやるのかよ。」
「眉目秀麗、人気者の新谷にも傷を付けてみたくてね………」
ニタリと気味悪く笑う。秀人はそれを見て舌打ちをし、睨む。
「胡散臭せーとは思ってたんだけど、間違ってなかったな。……色々と聞きたいことはあるが、まぁそこは警察に任せるか。」
「いいね、その顔も。さぁ、行くよ。」
先程より早い動きで近づいて来て、バットが振り下ろされる。
秀人はそれを香緒里を庇いながら避け、脛に蹴りを入れる。
痛みで一瞬動きが止まった隙に立ち上がり、ボディーブロー。上村も負けじと痛みに耐えつつ、バットを振り回す。
それを避け、懐に素早く入り込み、鳩尾を殴り、腕を掴み、背負い投げ。
ドンッと鈍い音がし、今度こそ上村は動かなくなった。
「すっげ………」
「つ、つよい……」
真と、紐を解いてもらった沙世はぽかんと口を開けて呟いた。
「大丈夫か……?」
香緒里の側にしゃがみ、再度尋ねる。
「うん、まぁ頭何かで殴られてまだ痛むけど…大丈、夫………あれ……??」
大丈夫と口では言いつつもその手は小刻みに震え、目からはポタポタと涙が出ている。
秀人はそれを見ると、ギュッと辛そうに眉根を寄せ、香緒里を抱きしめた。
「ごめん、やっぱり巻き込むべきじゃなかった、ちゃんと俺が付いていればよかった………ごめん………」
「あ、いや、でも、私も………一人で考え無しに行動しちゃった、から………」
びっくりするのと同時に、さっきまでの震えも涙も止まってしまった。
優しいその腕に、どうしようどうしようと目線をあちらこちらに動かす。顔が赤くなるのがわかる。
戸惑っていると、
「香緒里ーーーーっ!!!私もごめんねぇっっ!」
腰の辺りにドンと衝撃が来る。
「ひどいこと言ったのに、探しに来てくれて、ありがとうっっっごめんねぇぇぇぇ」
腰に抱き着いた沙世は、わーんと声を上げて盛大に泣き出した。
先程までの恐怖と助かった安心感、懺悔と、色々な想いが入り交じっているのだろう、しばらくそのまま香緒里にくっついていた。
秀人は早々に離れ、駆け付けた警察に事情を話している。
まだ戸惑っている香緒里に気付かないフリをして。
制服が破られてしまったため、とりあえず秀人が貸してくれたジャージに腕を通し、しっかり前を締める。
「香緒里!沙世!」
遠くから、雪音達や他の教師達が走ってくるのが見えた。
とりあえず、なんとか終わってよかった、のだろうか。
ようやく泣き止んだ沙世の頭を撫でながら、香緒里はホッと息をついた。
しばらくして、頭部を殴打されていた香緒里や沙世は、目の覚ました川端と共に救急車で病院へ。
診察をし、MRIを取り、打撲以外は特に身体に問題はないと診断され、夕方には帰ることが出来た。川端だけは、この寒さの中、一晩監禁されていたこともあり、念の為一日だけ入院となった。
翌日。
学校は昨日の話でざわついていた。生徒会や女子バレー部員以外も朝礼で校長先生から話がある前から事件のことを知っている者がおり、朝からあちらこちらからその話が聞こえてきた。
午後からは保護者対象に説明会が行われるらしい。
「結局、なんだったの??動機とかそういうの。めちゃくちゃ変態だってのは身をもってわかったけどさ。」
生徒会室にて、沙世は秀人に聞いた。
「んーーまぁ、今日の夕方にでもメディアで色々流れるとは思うけどな。動機らしい動機は、探究心、なんだと思う。歪んではいるが。」
人の嫌がる様、怖がる様を見てみたい、と思い、それが徐々にエスカレートしたのではないかと秀人は憶測であるが言う。所謂、サイコパス、というやつなのだろうか。
また、あの元水泳部の部室の鍵をなぜ上村が持っていたのか、というと、上村は10年程前廃部になった水泳部の当時の部員で、家に誤って持ち帰り、返しそびれてずっと持っていたかららしい。
そして教師になった後、たまたま香緒里達の中学に赴任することになり、その鍵の事を思い出し、今回の犯行に及んだとのことだ。
「そういえば、よくあの場所がわかったね。そんなに気を失ってた時間長くなかったと思ったんだけど。」
「透が香緒里は校庭に向かった、って言ってたからな。直感であそこだろうと思って。窓とかを防音のために分厚い毛布とかで囲ってたようだったけど、不自然に草が踏まれてたり、新しい足跡があったりしたから、確信して扉ぶっ壊した。」
語尾に星マークが付きそうな口調で秀人は言う。ウィンク付きだ。
助けて貰った手前、口には出さないがちょっと腹立たしい、と香緒里と沙世は心の中で思う。
秀人の言う通り、午後には学校周りにマスコミが湧き、夕方のニュースでは『温厚な中学教師が凶行に。なぜ。』などと題されて取り上げられていた。
それから一週間ほどは帰り道にマスコミに絡まれたり、ご近所の人が騒がしかったり、と何かと落ち着かなかった。
余談だが、猫の事件の際、不審な動きをしていた綾瀬は、あの猫の事を大層可愛がっており、家で飼えない代わりに毎朝餌を持って朝早くにあげに行っていたらしい。
それ故、あの時間に学校におり、猫が刺殺された話を聞いて、慌てて教室に来たのだと、秀人が言っていた。
香緒里の知らぬ間に、本人に話を聞きに行っていたようだ。
少し綾瀬のことを、怪しいではないか、と思ってしまっていた香緒里はなんだか綾瀬に対して申し訳ない気持ちなったのだった。
そして翌月。
2月14日、バレンタインデーの日。
事件の騒ぎも随分落ち着いていたが、今日は別の意味でそわそわ落ち着きがない。
昨今、好きな男の子にあげるより友チョコ!という女子も多いが、もちろん本命チョコを用意する子がいないわけではない。
香緒里も今日は少し気持ちがそわそわしている。
二人への気持ちについて、今日答えを出そうと思ったのだ。ずるずる引きずっていてはいつまでも答えはきっと出ない。区切りをつけなければいけない、と思ったからだ。
「はい、香緒里。」
昼休み、雪音が香緒里の前に席に来てかわいくラッピングされたブラウニーを差し出す。
「わっ、美味しそう!」
「ふふ、友チョコ♪今日、答え出すんでしょ?頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
にっこり笑って言う雪音に香緒里も笑ってお返しを渡した。
今日は部活終わりに翔太と待ち合わせして帰るのだと言う。相変わらず仲がいい。
幸い、今は雪音以外のいつものメンバーはいない。
頑張る、と小さく呟いた香緒里の目は、正月の時に比べて格段にすっきりしていた。
その様子を見て雪音はまた微笑む。香緒里の答えはまだ聞いていない。でも、どうあっても、その決断を応援したいと思う。
もう一度、頑張れ、と声を掛けた。
放課後、部活が終わった後に中庭に向かった。まだ、呼び出した相手は来ていないようだ。
時折、香緒里も翔太と同じように中庭に来て、亡くなった猫の為に手を合わせていた。
もう少しすればここもまた草花がたくさん出てきて緑豊かになるであろう。
そうしたら、花をお墓に添えようと考えていた。
「香緒里。ごめん、待ったか?」
「真……ううん、大丈夫。」
声を掛けられ、香緒里はお墓の前から立ち上がる。
真は少し緊張した面持ちで香緒里を見た。
「それで、話って……」
何のために呼ばれたのかは、きっと真本人も分かっているだろう。
香緒里はラッピングしたクッキーを真に差し出した。
「返事、遅くなってごめんね。答え、出たから……」
「うん。」
「辛い時、話きいてくれて嬉しかったし心強かった。真のことは大事で、好き。」
「じゃあ……」
言いかける真に、頭を振った。
「でも、友達として、なの。雪音達と同じくらい大好きで大事な友達なの…………ごめん、ごめんね………」
香緒里の言葉を聞いた真は、少しの間じっと下を向いていた。
そして顔を上げ、微笑んだ。
「わかった。ありがとう、返事聞かせてくれて。いっぱい混乱させちまって、悪かった、ごめん。」
「そんなこと……」
「焦ってたんだと思う。秀人が香緒里のこと好きなこと気付いてたからさ。もう少し、香緒里の気持ち考えなきゃだったな。」
自嘲気味に笑う真の顔は、少しすっきりしているように見えた。
「これからも、いい友達でいて欲しい。なんかあったら、一番でなくていいから、沙世達にするのと同じように相談して欲しい。それくらいはいいか??」
「うん、ごめんね、ありがとう……」
自分を気遣っての言葉だとわかる。わかったから、ちょっと涙が出そうになる。
それに気付いたのか、真はクッキーを受け取ると、香緒里の肩を掴み、くるりと向きを変える。
「ほら、行くんだろ、秀人のところへ。行ってこい。」
ポンと背中を押される。
ありがとう、ともう一度いい、香緒里は駆け出す。
香緒里が見えなくなると、真は一つため息をついた。
こうなることはまぁある程度は予想していた。予想はしていたが、やはり悲しいことは悲しい。
「真、一緒に帰らない??」
と、そこに沙世がひょっこり現れた。
香緒里が去った方向から来たから、やり取りは見られてはいないとは思うが………。
沙世の気持ちは知っている、というよりもついこの間、気付いた。
真が気付いて有耶無耶にしていても沙世何も言わない。
例え告白してきたとしても、真の気持ちも知っている沙世は、返事を求めて来ないだろうと長年の付き合いでわかる。
そういう沙世に、結局は甘えているのかもしれないと真は思う。
「おう、帰ろっか。」
ちゃんと俺も向き合うべきなんだろうな、と心の中で呟きながら、沙世に返事をした。
「秀人!」
帰る生徒の中を探し回り、ようやく、翔太と歩いて帰っているのを見つけた。
秀人は声を掛けられ、少しびっくりしたような顔をした。
その手には二つの紙袋が下げられており、中にはかわいくラッピングされたチョコやクッキーがたくさん入っていた。
少女漫画のように、下駄箱にたくさん入っていたのだろうか。なんて、余計なことを考えつつ、その目を真っ直ぐ見る。
「ちょっと、いい……??」
翔太は、俺はこの先で雪音と待ち合わせしているからお気になさらずーと、足早にその場を離れた。
頷いた秀人とあまり人の通らない道まで移動した。
「何ー?香緒里も俺にバレンタインデー?」
おどけた口調で言う秀人に、相変わらずだなと息を吐く。こちらは緊張しているというのに。それに気付いているからこその反応なのかもしれないけれど。
「そう。やっと答え出たから。」
クッキーを差し出す。
「これは……どっち?」
「……本命。」
「マジかよ。」
なんか、もっとこう、ちゃんと言うつもりだったのに………雰囲気も何もない言い方になってしまった。
「真の方を選ぶんじゃないかって、思ってた。」
頭を少し指で掻きつつ、秀人は言う。
「あいつの方が、香緒里の家の事情をわかってやれるし、優しいし……」
「そうかもね。」
「即答かよ。」
くすくすと香緒里は笑う。
そして、秀人の目をじっと見た。
「まだ、本当はよく分かってない。この気持ちが恋なのか。でもね、あの時………あの事件で、殺されるんじゃないかって思った時、思い浮かんだのは、助けて欲しいって思ったのは、秀人だった。だから、秀人が来てくれてホッとしたし、嬉しかった。………そんな理由じゃ、ダメかな………???」
恋とは、恋愛とは、何なのかは未だにわからない。わからないけれど、秀人と真に感じているものは別々のような気がするのだ。
思っているけれど上手く纏まらないことをゆっくり話すと、秀人はフッと笑った。
「いや、いいよ、それで。とりあえずそう思って貰えたんなら、今は充分だ。」
ちゃんと向き直ると、秀人は手を取った。
「改めて言う。俺は、香緒里が好きだ。付き合って欲しい。」
真っ直ぐな言葉。その目もいつもの余裕のある目ではなく、真剣だ。
「はい、よろしくお願いします。」
そう言ってから、二人でちょっと笑う。
「帰るか。」
香緒里から貰ったチョコを鞄に仕舞い、右手に持っていた袋を左手に持ち、秀人は右手を香緒里の左手に絡ませた。
少しの照れくささを隠しつつ、香緒里はその隣に並び、一緒に歩き出す。
まだわからないけれど、これからゆっくり考えていこう。
一歩一歩、真剣に。