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眠る

両親が死んだ。その報告を受けたのは、そろそろ仕事を終わらせて帰ろうか、と準備をしている夕方だった。上手く聞き取れなかったけれど、警察からの説明ではどうやら車の運転中に起きた派手な玉突き事故に巻き込まれたらしい。
スマホ片手に立ったまま固まった私に対して同僚がどうした、と声を掛けてきた。けれど、私はその時顔を向けるので精一杯で、口を開くことすらできなかった。それでも電話の先から話しかける声も聞こえてくるので覚悟を決めて言った。
「受け止めきれないので、明日伺ってもよろしいですか」
今振り返れば、自分にしては頑張ったと思う。

数年前、祖母が死んだ。その時はまだ社会人になる前で、精神的にまだまだ何も知らない子どもだった。祖母は病気で亡くなったが、九十歳となかなかに長生きした人だった。病気になる前は口達者で、身体も元気でパワフルなイメージだっただけに病気になった途端、よろよろになっていくのが見るに耐えなかった。
そろそろ危ないかもしれない、と病院から連絡があったのは夜中だった。寝ていた私は、そのままぽっくりと逝ってしまった祖母の死に目に会うことは叶わなかった。叔父一人で立ち会わせてしまったことは今でも申し訳なさでいっぱいである。
最期に会ったのは葬式の日。棺桶に入った白い顔が目にこびりついている。
棺桶に花を供えている時は何の感情も湧いてこなかった。へらへらと笑うこともできなければ、わんわん泣き叫ぶこともできなかった。ただ、この寝ている人が祖母なのか、と曖昧なことを思った。
しかし、葬式というのは強く感情を揺さぶってくる、酷く残酷なものであった。あんなに拒絶した想いを『受け止めろ!』とばかりに押し付けてくる。この文字の意味を捉えようによってはネガティブになりそうだが、その押し付けは生きていく人への救いとなることもあるのだと、一通り終わってからぼんやりと思った。
結果として、私はお経が終わった瞬間に泣いた。むしろ、号泣や慟哭といった類に近いだろうことを頭の片隅で現実逃避しながら。
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