雛菊の章 魔除け草と骨の花

「魔除け草がたくさん見つかったわね、ソフィ」
 
 季節は晩冬と初春の間。場所は居間の隣の作業場。
 厚い手袋をした手で、ベルは革袋に入れてあったちくちくとしたトゲのある葉を何束か出した。ひとびとがネトルと呼ぶその薬草は、魔女たちは魔除け草と呼んでいる。

「ああ、煎じて茶にすると冬のうちに体に溜まった毒素を出してくれる。……でもとても苦いよ? これも売りに出すの?」
「ええ! 町のみんなに健康になってほしいもの。今回の冬はとっても寒かったわ。きっと悪いものがからだにこもってしまっているわよ。苦くてもげんきになってほしいの」
「そうかい」
「ふふっ! ねえ、ソフィは何を採っていたの?」

 ベルに問われたソフィは自身の革袋から成果を出す。それは、太陽のような形の白い花とその葉──雛菊であった。

「骨の花だよ。葉を揉みほぐして傷口に貼れば骨折も打ち身も治る。花の部分は止血もできる」
「すてき! じゃあ、それで軟膏を作りましょう」
「ああ、そうだね。今日作るものは軟膏と薬草茶だ。鍋を持ってくるよ」
「じゃあわたし、木べらとナイフを持ってくるわ」

 ベルは木の作業台の上に、ソフィが摘んできた雛菊をそっと広げた。
 白い花弁は春の日差しを集めたように輝き、黄金色の花芯は小さな太陽のようだった。緑の葉は朝露を浴びていきいきとしている。

「かわいい……」

 思わず漏れた言葉に、向かいで鍋に火をかけていたソフィが小さく笑う。

「見た目にだまされるなよ? その可愛らしい姿で、昔から傷を治す薬として使われてきた花なんだから」
「うん。だからこそ、大切にお薬にしてあげないといけないわ」

 ベルは水を張った木鉢へ雛菊を沈めた。
 花びらの隙間に入り込んでいた土や小さな虫が水面へ浮かび上がる。指先で一輪一輪を優しく揺らしながら洗い終えると、布の上へ並べて水気を拭き取った。

「よし……」

 今度は、小さなまな板の上に花びらと葉を重ねる。
 とん、とん、とん。小さなナイフが心地よい音を刻み始める。細く、さらに細く。葉の香りがふんわりと立ちのぼり、青々とした春の匂いが作業場いっぱいに広がっていった。

「花も細かくしたのか。ベルらしい」
「うん。ふふ。お薬になりやすいように」

 花弁は雪のように軽く舞い、黄金色の花芯はほろほろと崩れていく。

「こんなものかしら」
「じゅうぶんだよ」

 と、ソフィはあたためていた小鍋を作業台へ置いた。鍋の中には、太陽を溶かしたような透き通った金色の油が静かに揺れている。

「油の準備、できたよ。今回は最後に蜜蝋も入れようか。長持ちする軟膏になるよ」
「わあ。そうね、まだ寒いし……もし早くに無くなっちゃったら大変だものね」
「そう。ベル、できるかい?」
「ええ!」

 ベルは刻んだ葉と花を両手で大事そうに抱え、そのまま鍋に入れた。
 じゅっと音を立てることはない。静かな油の中へ沈んだ雛菊は、ゆっくりと色を溶かし始めた。ベルは木べらを握り、鍋底からそっと円を描くように混ぜ始めた。

 くるり。
 くるり。
 くるり。
 
 焦らず、急がず。
 花に話しかけるような、優しい手つきだった。

「痛くなっちゃったひとを助けてあげてね」

 その小さな願いに応えるように、鍋の中から甘く青い草花の香りが立ちのぼる。雛菊の命が、少しずつ油へ移っていく。
 ソフィはその様子を、静かに見守っていた。

「ここから、少しだけ弱火であたためよう」
「ええと、煮立たせるんじゃないのよね。お花が持っている力を、ゆっくりゆずってもらうの」
「そう。覚えていてえらいな」
「えへへ」

 ベルは嬉しそうにこくりとうなずいた。そして、火の上に鍋を置き、再び混ぜ始める。
 弱火の上でことことと囁く鍋の中では白い花びらがゆるやかな流れに身を任せ、春の光そのものを溶かしているようであった。
 やがて、じゅうぶんに成分が移ると、ソフィは布で濾す準備をしてきた。小鍋から黄金色になった油を静かに濾せば、花と葉だけが布の上に残り、下の器には、春を閉じ込めたような澄んだ薬油が溜まっていく。
 
 最後に刻んだ蜜蝋を加え、ベルは木べらでゆっくりとかき混ぜた。すると、やがて透き通っていた薬油は、同じ黄金色でもとろりとした色へ変わっていった。

「できた……!」

 それを、町の人から預かっていた、小さな陶器の壺たちへ少しずつ流し込んでいく。すると、しばらくすれば表面は少しずつ固まり始めた。
 ベルは完成した軟膏を嬉しそうに覗き込み、頬を緩めた。

「これなら、ころんで泣いてしまった子も、森でけがをしてしまった人も、きっと笑顔になれるわ」

 ソフィは、そんなベルの横顔を見て、静かに微笑む。

「薬を作る前から、もう半分は治せているのかもしれないね」

 ベルはその言葉にきょとんと首をかしげ、それから照れくさそうに笑った。

「そんなこと、あるかしら……?」
「あるさ。薬は花の力だけじゃない。作る者の願いも一緒に入るんだ。そういう意味では、ベルは立派な薬屋だよ」
「ふふ……。……あっ! 次は魔除け草のお茶ね! こっちは乾煎りするだけよね」

 照れ隠しに次の作業を始めるベルを見て、ソフィはまた静かに笑った。
 六年間育ててきた娘。一緒に暮らす可愛い妹。よくできた弟子。ソフィにとってのベルはそんな愛しい存在であり、何をしても愛らしいと、つい思ってしまうのであった。

「あまり火は強くするなよ。すぐに焦げてしまう。弱火から中火でゆっくりとね」
「はーい! わかっているわ」

 魔除け草──ネトルはそのちくちくとした見た目の葉とは裏腹に、ひとびとの生活に親しい草だ。薬だけではない。大きく育った葉は帆布やロープの材料にも使われることもある。ベルは生まれてこの方帆……船を見たことはなかったが、ソフィはいつか見せてあげたいと思っていた。魔女は基本的に船を使わない。箒で飛べば良いからだ。ベルも不慣れだが箒に乗ることができる。けれど、ソフィはベルにいろいろな経験をさせてあげたかった。

「ソフィ、このくらいかしら?」
「……うん、良い香りだ」
「やったあ」

 これもまた、町の人から預けてもらった瓶たちへ詰めていく。すると、ベルは呟いた。

「むかし、魔除け草を手袋をしないでさわっちゃって、痛くてわんわん泣いちゃったっけ」

 昔。という言い方にソフィは吹き出しそうになるのを堪えた。まだ六年しか生きていないのに、昔も何もあるものか、と言ったら彼女は拗ねてしまいそうだから、その言葉をぐっと飲み込み、ソフィは返す。

「そうだったな。魔除け草はトゲだけじゃなくて、ひとが触れると手が荒れる毒もあるからね」
「わたし、そのときだけ、こわくてお薬作りがいやになっちゃったわ」
「おや、そんなに?」
「ふふ、ちょっとだけうそ。……ソフィは手袋を忘れたわたしに怒ったけど、やさしくお薬を塗ってくれたわね」
「……そうだね。でも、もうそんなミスはしないだろう? 毎日学んだことは日記に書いているんだから」
「ええ! わたしのたいせつな教科書よ。たからもの。きょうの軟膏も日記に書くわ」

 ベルはその色白の頬をほんのり薄桃色に染めて、ソフィを見上げた。

「だから、これからもたくさんのこと教えてね。ずっとわたしのそばにいてね。ソフィ」
「……ああ。ベル」

 一瞬、ソフィは言葉に詰まった。彼は、ベルは妖精である自分と生きていて本当に良いのだろうか、と度々思うことがあった。やさしい人間が経営する孤児院にでも預けて、やさしいただの人間として生きた方が良いのではないか、と。
 何も知らないベルは、そう考える自分にも、やさしい。
 だからこそ、幸せになってもらいたい。

 ソフィはほんの少しさみしさを覚えながら、ベルの頭を撫でた。

「わ、なあに? ソフィ」
「ん。何も」

 ふわふわとしたやわらかくうねるベルの新雪色の髪は、ソフィを包み込むやさしさと幸せそのものであった。
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