序章 ちいさな魔女

「おはよう、ソフィ!」
「ああ、おはようベル」

 火にかけた小鍋をくるくるとかき混ぜていたのは、真夜中色の黒髪をゆるくひとつに結んだ青年であった。やや小柄であり、ともすれば少年にも見えるかもしれない。ソフィと呼ばれた彼はほんの少しだけ振り返ると、また火と鍋の番に戻ってしまった。

「なにか手伝うこと、ある?」
「ん? いや、今日は僕が料理当番だから……全部やるよ」
「わたし、なにかやりたい!」
「まったく……じゃあパンとチーズを出してくれ」
「わかった!」

 嬉しそうにぴょんと飛び跳ね、ベルは鼻歌を唄いながら棚から黒パンと白カビのチーズを取り出す。隣の棚から皿を出してそれらを乗せて、テーブルに並べた。あっという間に仕事の無くなったベルは、いつも使っている踏み台を引っ張ってきてソフィの隣に並んだ。どうやら、今日のスープは豆と根菜のスープらしい。塩漬けのベーコンまで入っている。

「あ、ベーコンはいってる!」
「もうできるから、大人しく座ってなさい」
「よそうの、やるわよ?」
「……じゃあ、自分の分だけやってみて。ちゃんと豆も入れるように」
「えー」
「えーじゃない」
「はあーい」
「伸ばさない」

 ソフィは屈んで、火ばさみを使って薪と薪の間を離し火を止めた。その間に、ベルはスープの皿を準備する。青いラインが入った陶器の丸い皿がふたつ、目に入る。貰い物の特別な日用の皿だ。彼女は迷わずそれを取った。

「今日はいい日だから、このおさらね」

 それを聞いたソフィは火ばさみを片付けながら、ああ、と息を吐く。

「森の解禁日か。雪割草が息を始めていた」
「そう! かんじるのよ。森がもうはいって良いよって言ってるの。わたし、うれしくって」
「僕らの仕事も解禁だね。そろそろガーデンの作り置きじゃ足りなくなってきた」
「おおなべの掃除も昨日すませたし、いつだっておしごと、始められるわ」

 ベルは笑顔で自分のスープをよそった。はい、どうぞとソフィにレードルを渡す。彼がスープをよそうのをにこにこ顔で見つめながら、淡い青地に白いレースのテーブルクロスがかかったテーブルにとくべつな皿を置く。──そうしていると、コンコン、窓を叩く小さな音が聞こえた。

「何だ?」
「"お隣さん"かも、わたし、でるわね」
「せっかく部屋があたたまってるのに……」

 不承不承ながら窓を開けることを許したソフィに眉を下げて笑い、ベルは窓を小さく開ける。すると、小さくできた隙間から、ひゅうと小さな風が入ってきた。その風はぴかぴかと光る粒子をまとい、やがてベルの手のひらほどの大きさの子どもの姿になった。

「まあ! シルフィ!」
「久しぶりっ! 春の乙女コレー! ついでに黒狼も」

 訪れたのは風の精霊シルフィであった。トンボのような透き通るような薄い羽を持つシルフィは、ちゅっとベルの頬にキスをした。

「何しに来た。今から朝食なんだが」
「やーだ、黒狼ったら怖い顔。森がヒトの子を許す時が来たから、コレーを遊びに誘おうと思って来たのよ。ね? 食べたら遊びましょ? コレー。私たちのみどりの魔女」

 じろりとシルフィを睨みつけるソフィの瞳は柘榴石のように赤い色をしていた。コレー──みどりの魔女と呼ばれたベルは、シルフィの頭をその左手……アザ、否……魔女の紋様を持つ利き手のひらで、優しく撫でた。

「シルフィ、うれしいけれどまた今度。森のお許しがでたし。せっかく晴れてるし吹雪いてもいないから、薬草摘みに出かけないと。わたしたち、おしごと始めなのよ」
「えーっ! コレーったらまじめねえ。お仕事なんて黒狼にぜーんぶ任せちゃえば良いのに!」
「おい。丸呑みにするぞ」
「ふふっ、おくすり作るの、すきだから。だからまた今度さそって!」

 ベルに断られたシルフィはしゅんとした後、ぱっと笑って、

「それじゃあ、コレーのガーデンを換気しておいてあげる! 森の新しい空気、欲しいでしょ?」

 と、ベルの周りを飛び回った。

「うれしい! ありがとうシルフィ!」
「えへへ、風の精にお任せあれ! コレー、まだ冬はもう少し続くわ。風邪、引かないようにね? 黒狼はどうなってもいいけど」
「一言余計なんだ、お前は」
「もう……けんかしないで! でもありがとうシルフィ、しっかり着込んでいくし、ソフィもあたたかいから」
「よしよし! それじゃあね! コレー!」

 シルフィは今度はベルのひたいにキスをして飛び去っていった。

「窓を閉めて。まったく、うるさいったらない」
「もー、ソフィったら、妖精同士なのにどうしてけんかばかりなの」

 ぱたん、と窓を閉めたベルは、椅子に座る。スープはまだ冷めていなかった。早口なシルフィは、一瞬のうちに色々と話して去って行くのだ。
 
「人間だって同じ種族なのに喧嘩するだろう? それと同じだよ」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ。さ、食べよう、ベル」
「はあい。いただきます」

 豆の甘い香りが立ち上るスープを、ベルとソフィは口に運んだ。
 白いいんげん豆は舌の上でほろりとほどける、ベルはこの食感と香りがどうにも苦手であったが、角が取れるほどやわらかく煮込まれたにんじんやカブ、玉ねぎの甘みがスープに溶け込み、その苦手な食感と香りも上書きしてくれた。それでも、ベルはソフィにどうして苦手なものを克服させようとしてくるのだろうと思わなくもないのだが。
 スープの中の塩漬けのベーコンを噛めば、じんわりとした脂のうまみと、冬を越すために蓄えられた塩気が口いっぱいに広がる。野菜や豆だけでは少し頼りなかったぬくもりに、一本芯を通してくれるような力強さがあった。

 黒パンはずっしりと重く、一口かじれば、ライ麦の酸味がほのかに広がり、何度も噛むうちに優しい甘さに変わっていく。パンの欠片をスープに浸せば、素朴だったパンがやさしいごちそうへ姿を変えた。
 黒パンを器代わりにして、切った白カビのチーズを口に運ぶ。ねっとりとした牛乳のまろやかさと、森の落ち葉や湿った木肌を思わせるほんのわずかな熟成の香りが鼻へ抜ける。後に残る塩気が、もう一口スープを飲みたくさせた。

 派手さはない食卓であった。
 けれど、ベルはソフィと、ソフィはベルとこの朝食を囲む。一緒に暮らすようになってもう六年──今年で七年になるこの家族の食卓は、どんな王様の晩餐よりもずっと贅沢で幸福なものであった。

「シルフィが来たから気が引き締まったよ。ベル……魔女コレーの仕事が、始まるね」
「ええ! わたしは魔女コレー。……でも、やっぱりふたりっきりの時はベルって呼んでほしいわ、ソフィ」
「わかってるよ。ベルもコレーも、どっちもお前の大切な名前だ」
「えへへ……」

 ベルは魔女であった。薬草や花を森で摘んだり、ガーデンで育てたりして、薬を作る魔女。コレーというのは魔女としての通り名だ。魔女は魔女としての名前が無いと、魔法が使えない。魔法とは、自然の具現である妖精や精霊から力を分けてもらう、対話によって生まれるものである。コレーは、その手で触れた植物を活き活きとさせるみどりの手を持っていた。

 彼女に名前を付け、育ててきたソフィは森の妖精である。森に捨てられていた赤子のお前に花の蜜を吸わせて育てたと、ベルはソフィから聞いている。ベルにとってソフィは、親のようであり、兄でもあり、植物のことや魔法のことを教えてくれる師匠でもあった。一言では表しきれない関係であるふたりは、ふたりで薬を作り、近くの町へ売りに行き生計を立てていた。
 
「……して、魔女コレーさん? 後ろ髪の左側、一カ所跳ねてますけれど?」
「えっ! ちゃんと梳かしたのに!」
「食べ終わったら梳かしてやるから。その三つ編みも、僕が結び直そうか?」
「これは上手くできたからいいのっ」
「……ふふ。そうかい」

 ことことっとスプーンで落ち着き無く音を立てスープを飲み干し、ごちそうさま! とベルは皿を洗いに行く。その後、ゆっくりと落ち着いてソフィも朝食を平らげた。

 春が近い晩冬……未だ寒さが残る中、森の案内人である雪割草は花を咲かせる。こうして、魔女の薬屋コレーは、今日からまた一年を始めるのであった。

 これは、小さな魔女と彼女の守護者の妖精と、ふたりの周りを彩る者たちが織りなす、季節の花が咲くような愛と希望と、ほんの少しの別れの物語。
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