春の頁

「わたしの話、してなかったわね」

 すっかりパンを食べ終えた後、そう、ミーティアは切り出した。

「わたしね、あまり長くは生きられないの」
「……。は……?」

 ちみちみとシロップの水割りを飲んでいたルカの口が、飲むためではなく困惑の色を出すために動く。ミーティアはそれを見て眉尻を下げた笑顔を見せた。

「わたしの体、暑くても寒くてもすぐダメになってしまうし、咳も胸の痛みもいつだってあるの。何度も危なっかしい橋を渡ってきたけれど、きっともう……限界が近いわ」

 来年の春には、きっと、もう。
 そうミーティアは言う。ルカは──絞り出すような声で彼女に話しかけた。

「じゃあどうして、あの時森にいたんだ。ずっと家で寝ていれば、道に迷うなんて危ないこと……なかっただろ」
「……。……憧れちゃうじゃない? 知らないものって」
「憧れ……」
「空も、土も、木も、星も、花も。わたしにとってはすべてが遠かったの」
「……あそこで迷ったままで、僕が見つけてなかったらお前は苦しくなっていたかもしれないのに?」
「それでもよ。それでも……うつくしい世界の一部を、見てみたかったの」
「……ばかなのか?」
「あっ、ひどい」

 ルカは立ち上がりミーティアを見下ろした。その金色の瞳には同情も憐憫も無かった。ただ、怒りのようなわけがわからないといった感情が渦巻いている。

「世界は美しくなんてない。僕がその筆頭だろう……世界というものは人間のエゴでできていて、自然だって人間の持ち物になってしまった。星ですらそこにいるだけで人間は勝手に意味を見出そうとする」

 しかし、その言葉も、可哀想と言いたげな心なんて無い眼差しも、ミーティアにとっては救いのように感じた。

「ルカはひとのエゴでできているの?」
「そうだ。僕は……いや、お前には関係ない」
「あるわよ。おともだちだもの」
「……。……」
「ルカ、エゴでできているのはわたしも同じよ。……それは、親心という愛なのかもしれないのだけれど、苦しくて苦しくてたまらなくても、お父さまとお母さまはわたしが死ぬことを許さないの。だから……わたしはあの人たちから離れた。この森の中の屋敷で、ひっそりと、生きて、死ぬのよ」
「……。僕も、死ぬことを許してもらえなかった。だからこの体になった。僕はミーティア、お前がうらやましいよ。いつか必ず来る終わりのために、世界の美しさを探して生きていけるのだから。僕にはそれすら許されない。きっとこの世界が終わったとしても、僕の終わりは来ないんだ」

 ミーティアは言葉を紡いだ後、クッキーをつまみ、ルカはシロップの水割りを飲み干した。しばしの静寂がふたりの間を訪れる。
 先に沈黙を破ったのはミーティアであった。

「だからわたし、物語のように生きたいの」

 ルカの事情を、ミーティアは知らない。死ぬことを許されないから、世界が終わっても終わりの来ない体にされた。それがどういうことなのか、自分が生きているうちにルカは話してくれるだろうか。──話さなくてもよかった。ただ、自分の在り方……どう生きたいかだけはこの不思議な少年に伝えたいと思ったのだ。──その理由もミーティアは知らない。

「あなたのいるここは、世界の果てのようね。世界で一番美しい花があって、そして……あなたがいる。わたしね、あなたのこと、やっぱりとても綺麗だと思うの。ルカ」
「それは、何でなんだよ」
「生きているから。この大樹のように、深く太く強く、ここに根を下ろしているから」

 ミーティアもまた立ち上がった。そして、無防備だったルカの手をそっと両手で包み込んだ。ルカはびくりと身を震わせる。しかし、振り払おうとはしなかった。

「それに比べたら、わたしはなにものにもなれないのよ」
「……それは、違うだろ」
「ルカ?」

 明るい彼女の自嘲的な微笑みに、ルカは思わず声を上げていた。

「ミーティア。お前は……僕の友達なんだろう? それなのに、何者にもなれないなんて言うのか?」
「……あ……」
「それは……違うんじゃないか。お前は、僕の初めての友達なんだよ。このツノが生えてから、僕はずっとこの森でひとりぼっちだった。けれどお前が来た。だから……待てるんだ。耐えられるんだ。孤独に。お前が、長く生きられないとしても」

 その言葉にミーティアの瞳に厚い水の膜が張る。それがつうと涙となって頬を伝った瞬間、両手の塞がったルカは彼女の頬に唇を這わせた。柔らかく熱い舌が涙を拭う。

「きゃ、ルカ……!」
「……知ってるよ。僕は古い物語になって、そこでは不死の獣って呼ばれてるって。……獣に舐められたと思うんだな、ミーティア」
「で、できないわ。ルカは男の子じゃない」
「……。……男扱いも久々だ。昔は僕……獣を退治しようとした"勇敢"な者たちもいたからな」
「その人たちを、あなたはどうしたの?」
「ずっと隠れてた」
「……ふふっ。殺さなかったのね。やさしいひと。ほんとうに、やさしいひと」

 まるで小さな子猫や子犬が戯れるかのように、ルカはミーティアの涙の止まらない頬を舐め、ミーティアはそれを受け入れていた。
4/5ページ
スキ