春の頁
「ルカはこの森のいいところをたくさん知っているのね」
「……ずっとここにいるから」
ルカとミーティアは森の中でもいっとう大きな木の下に来ていた。その木はまるで雲を纏っているかのように薄桃色の花を存分に咲かせ、さわさわと風が吹くたびに枝葉をゆらりゆらりと小さく揺らし、花弁を舞い踊らせていた。
「……一番古い木なんだ。この森で……」
「そうなの? すてきね……まるで見守ってくれているみたい」
根元に腰掛け、ミーティアは木を見上げる。淡い花の雲と、そこから漏れるやわらかな陽光が彼女の目にじんわりとしみた。
「見守ってくれている。そうかもしれないな」
「ふふ。きっとそうよ。……ルカって、この木の妖精だったりしないの?」
「またそんなことを言う……僕は花でも妖精でもない」
「じゃあ、なあに?」
ミーティアの近くに座り、ルカは彼女の興味深げな碧眼を見てわざとらしくぐわりと口を開く。
「怪物だ」
彼の口元からほんの少しとがった牙が覗く。しかしミーティアは、そんな彼の開いた口にクッキーを放り込んだ。
「! ……うわっ!」
「おいしい?」
「い、いきなり何するんだ」
「このクッキーね、わたしの好きな銘柄なの。たまにお父さまが贈ってくれるのよ」
「……ミーティア、お前僕の言ってること聞いていたか?」
「ええ、あなたが怪物だって話でしょう? 本で読んだわ、この森にはツノの生えた不死の怪物がいるって」
「そうだよ。それが僕だ」
「でも、一緒にクッキーを食べてくれるでしょう? 話をしてくれるし、歩いてくれる。だからわたし、あなたのこと何も怖くないわ」
「……変なやつ」
何てことのないように少女はそう言うものだから、少年は面食らってしまった。──少なくとも、ルカは自身のことをずっと怪物だと思ってきたのだ。それを「あなたは怪物ではない」という存在の否定はしないまま、『友達』だと受け入れるようなミーティアの言葉に、彼は心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚える。
パンも持ってきたのよ。と言いながらそれを取り出し半分にむしるミーティアを、ルカはまじまじと見てしまった。彼女の月色の髪が春風に吹かれてふわりと揺れる。人なつっこい小鳥がそばに降り立ち、恵みを待っていた。
「はい、ルカ。このパンもとっても美味しいのよ。あなたも食べる? 小鳥さん」
パンの半分をルカに押しつけ、ミーティアは自分のパンの欠片を小鳥に恵んでいた。ちゅんちゅん、ちちちと鳥の喜びの声に耳を傾けながら、ルカはため息を吐いた。
「僕は食べずとも生きていける」
「……不死だから?」
「そう」
「でも、不死でも、きっとパンもクッキーも美味しいでしょう? あ、シロップは飲む? 濃いめに割るわね」
持ってきたハーブと果実のシロップをとくとくと二つ用意したカップに注ぎ、水差しから水を注ぐ。その間に、ルカは何となく居心地が悪いような、それでもここにいたいような、ぐちゃぐちゃとした気持ちになって、気持ちを別方向に行かせるためにパンをちぎって口に運んだ。小麦の甘さと、練り込まれている木の実の食感が口の中で遊ぶ。
──美味しい。
そう、ルカは思った。
ルカがふとまたミーティアを見ると視線に気づいた彼女はふわりと笑った。差し出された白い陶器のカップをルカは大人しく受け取る。ミーティアがシロップを飲み始めたのを見て、ルカもカップに唇をつけた。淡い甘さの中に花の香りが溶け込んでいる。まるで朝露を含んだ花弁を口にしたような、清らかで繊細な味わいであった。
パンもクッキーもシロップも、すべてがミーティアの好きな味だ。そんな味たちに包まれたルカは、やはり何とも言えない、言葉にできない気持ちになった。
「どうかしら、おいしい?」
それでも、彼女の言葉に一応は感想を言おうと思った。
「……悪くない」
「そう! よかった」
おずおずとルカが答えれば、ミーティアはまた笑う。──花。そう、花のようだ。とルカは思った。ちまちまとパンをむしって口に運び、その度に顔を綻ばせるミーティアは、そんな彼の考えにはまだ気づいていなかった。ただ、好きなものを友人と共有できる。そんなことでも、ミーティアにとっては初めての経験で、そして今どんなことよりも心を弾ませる、嬉しいことであった。
彼女は決して今まで不幸を感じたことはない。けれど、何もかもが初めてばかりで、そしてそれら全てが幸せで、いつも食べているお気に入りの食べ物ですら、特別なごちそうのように感じていた。わたしのこの気持ちを、ルカはきっと知らないのだろう。──そう、ミーティアはルカに思う。けれど今はまだそれでよかった。ルカがもぐもぐと口を動かす姿が、まるで不死の怪物なんて大仰な肩書きとは真逆で、彼女にはたまらなく愛らしく思えたから、今はそれで、良かったのである。
「……ずっとここにいるから」
ルカとミーティアは森の中でもいっとう大きな木の下に来ていた。その木はまるで雲を纏っているかのように薄桃色の花を存分に咲かせ、さわさわと風が吹くたびに枝葉をゆらりゆらりと小さく揺らし、花弁を舞い踊らせていた。
「……一番古い木なんだ。この森で……」
「そうなの? すてきね……まるで見守ってくれているみたい」
根元に腰掛け、ミーティアは木を見上げる。淡い花の雲と、そこから漏れるやわらかな陽光が彼女の目にじんわりとしみた。
「見守ってくれている。そうかもしれないな」
「ふふ。きっとそうよ。……ルカって、この木の妖精だったりしないの?」
「またそんなことを言う……僕は花でも妖精でもない」
「じゃあ、なあに?」
ミーティアの近くに座り、ルカは彼女の興味深げな碧眼を見てわざとらしくぐわりと口を開く。
「怪物だ」
彼の口元からほんの少しとがった牙が覗く。しかしミーティアは、そんな彼の開いた口にクッキーを放り込んだ。
「! ……うわっ!」
「おいしい?」
「い、いきなり何するんだ」
「このクッキーね、わたしの好きな銘柄なの。たまにお父さまが贈ってくれるのよ」
「……ミーティア、お前僕の言ってること聞いていたか?」
「ええ、あなたが怪物だって話でしょう? 本で読んだわ、この森にはツノの生えた不死の怪物がいるって」
「そうだよ。それが僕だ」
「でも、一緒にクッキーを食べてくれるでしょう? 話をしてくれるし、歩いてくれる。だからわたし、あなたのこと何も怖くないわ」
「……変なやつ」
何てことのないように少女はそう言うものだから、少年は面食らってしまった。──少なくとも、ルカは自身のことをずっと怪物だと思ってきたのだ。それを「あなたは怪物ではない」という存在の否定はしないまま、『友達』だと受け入れるようなミーティアの言葉に、彼は心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚える。
パンも持ってきたのよ。と言いながらそれを取り出し半分にむしるミーティアを、ルカはまじまじと見てしまった。彼女の月色の髪が春風に吹かれてふわりと揺れる。人なつっこい小鳥がそばに降り立ち、恵みを待っていた。
「はい、ルカ。このパンもとっても美味しいのよ。あなたも食べる? 小鳥さん」
パンの半分をルカに押しつけ、ミーティアは自分のパンの欠片を小鳥に恵んでいた。ちゅんちゅん、ちちちと鳥の喜びの声に耳を傾けながら、ルカはため息を吐いた。
「僕は食べずとも生きていける」
「……不死だから?」
「そう」
「でも、不死でも、きっとパンもクッキーも美味しいでしょう? あ、シロップは飲む? 濃いめに割るわね」
持ってきたハーブと果実のシロップをとくとくと二つ用意したカップに注ぎ、水差しから水を注ぐ。その間に、ルカは何となく居心地が悪いような、それでもここにいたいような、ぐちゃぐちゃとした気持ちになって、気持ちを別方向に行かせるためにパンをちぎって口に運んだ。小麦の甘さと、練り込まれている木の実の食感が口の中で遊ぶ。
──美味しい。
そう、ルカは思った。
ルカがふとまたミーティアを見ると視線に気づいた彼女はふわりと笑った。差し出された白い陶器のカップをルカは大人しく受け取る。ミーティアがシロップを飲み始めたのを見て、ルカもカップに唇をつけた。淡い甘さの中に花の香りが溶け込んでいる。まるで朝露を含んだ花弁を口にしたような、清らかで繊細な味わいであった。
パンもクッキーもシロップも、すべてがミーティアの好きな味だ。そんな味たちに包まれたルカは、やはり何とも言えない、言葉にできない気持ちになった。
「どうかしら、おいしい?」
それでも、彼女の言葉に一応は感想を言おうと思った。
「……悪くない」
「そう! よかった」
おずおずとルカが答えれば、ミーティアはまた笑う。──花。そう、花のようだ。とルカは思った。ちまちまとパンをむしって口に運び、その度に顔を綻ばせるミーティアは、そんな彼の考えにはまだ気づいていなかった。ただ、好きなものを友人と共有できる。そんなことでも、ミーティアにとっては初めての経験で、そして今どんなことよりも心を弾ませる、嬉しいことであった。
彼女は決して今まで不幸を感じたことはない。けれど、何もかもが初めてばかりで、そしてそれら全てが幸せで、いつも食べているお気に入りの食べ物ですら、特別なごちそうのように感じていた。わたしのこの気持ちを、ルカはきっと知らないのだろう。──そう、ミーティアはルカに思う。けれど今はまだそれでよかった。ルカがもぐもぐと口を動かす姿が、まるで不死の怪物なんて大仰な肩書きとは真逆で、彼女にはたまらなく愛らしく思えたから、今はそれで、良かったのである。
