プロローグ 物語はある夜に

 まるで、そこだけが別世界のようであった。
 森の奥、黒い木たちのない開けた場所、そこにそれらはあった。五つの花弁を持つ白とも薄青色ともつかない複雑な色合いの花畑が、星と月の光に照らされて、ぼんやりと淡い光を放っている。しかもふしぎなことに、少年と彼に手首を掴まれたミーティアが花畑に足を踏み入れると、歩いたところが道のように強く光るのだ。ミーティアは息をするのを一瞬忘れ、そしてわあ……と、息と共に声をもらした。

「すごいわ……きれい、とってもきれいね……」

 少年は何も言わなかった。ただそっとミーティアから手を離すのみであった。ミーティアがふわりとネグリジェをふくらませて座り込むのを見ても、彼は立ったままだ。そんな少年に、ミーティアは話しかける。

「ね。少しだけ摘んでもいいかしら」
「勝手にしろ。満月の夜にしか光らないし、水に活けてもすぐにしおれる。持って帰っても無駄だ」
「そうじゃないの。ねえ、あなた……ちょっと座って待っていてくれる? 上手くできるかわからないけれど、やってみたいことがあるの」
「……何」
「ないしょ」

 ミーティアはぷつりぷつりと光る五芒星の形をした花を摘んでいき、より合わせていく。その近くで存外素直にあぐらをかいた少年は、彼女の手元を見て、わけがわからないとでも言いたげに視線をそらした。

「……できた。本で読んだだけだったけれど、うまくいくものね。ふふっ」

 先ほどまで震えて泣いていたとは思えないほど弾んだ声がして、少年は少女の方を面倒くさそうに見た。すると、ふわりと、彼の頭に軽いものが被せられた。それは──アステリシアの花でできた冠であった。花冠は、摘まれても輝いていた。

「お前……」
「お礼。とってもよく似合っているわ、妖精の王子さま」
「……」
「わたしをここまで連れてきてくれてありがとう。ふしぎなひと」

 そこまで言い、ミーティアは花畑を見渡し、そして空を見上げる。抱きしめるように胸に手を当て、目を閉じる。

「世界って、とってもきれいなのね……」

 それは、彼女の心から出た言葉であった。狭い世界しか知らない少女が、初めて見た奇跡の光景。輝く花畑が風に揺れる。花たちは流星のようには散らず、ふたりを優しく取り囲んでいた。
 少年はそんなミーティアをじっと見ていた。そして何かを言おうとして、また目をそらす。花冠が白いツノに当たり落ちそうになるのを──彼はそっと頭の上に戻した。まるで、彼女の心を受け入れるように。

「……ルカ」
「え……?」
「僕、ルカ。名前」
「……! ルカ、ルカ……すてきな名前ね……」

 ミーティアがそっと少年──ルカの手を自身の手で包み込む。やわらかなものにしか触れてこなかった柔く弱い細い指先で、ルカの手を撫でる。ルカの顔を覗き込むようにして、ミーティアは笑った。

「ルカ、わたしたち……おともだちになれるかしら」
「友達……」
「ええ。きっと、運命の星女神さまがわたしたちをここに導いてくれたのよ」
「夢見がち」
「……だめ? おともだちはいや?」

 ルカは覗き込んでくるミーティアをそっと見つめる。今度は目をそらさなかった。ミーティアの瞳の中には星がまたたいていた。まるで、この空のように。ルカは彼女から目を離せなかったのだ。そして、絞り出すようなか細い声で、ミーティアに言葉を紡ぐ。

「いやなんて、言ってないだろ」

 少女はそれを聞くと、ぱっと立ち上がる。つられて少年も、よろけながら立ち上がった。ミーティアはルカの両手を握ったまま、くるり、くるりとステップを踏んだ。

「ふふっ。うふふ」
「お、おい。……ミーティア……!」
「あ、やっと名前を呼んでくれたわ……! ……うれしい、ルカ。わたしたち、出会えてよかった。そう思わない?」
「……夢見がち」
「ふふっ、ええ、夢見がちなの、わたし。ねえ、もっと名前を呼んで? 踊りましょう?」
「……ミ、ミーティア……」
「はあい。ふふ」

 光り輝く花畑で、少女と少年はくるくると踊る。星に、月に、花に照らされて、ふたりは顔を見合わせた。嬉しそうに笑うミーティアと、困ったように眉をひそめるルカ。

 まるで世界にふたりしかいないような、そんな永遠のような時間だった。



 屋敷に帰るまで、ミーティアはルカの手をずっと握っていた。窓を開けて部屋に戻れば、ルカは踵を返し森の奥へ向かうところであった。

「ルカ、ルカ! また会いましょう。今度は、お菓子を持って行くわ!」
「……ミーティア」

 ミーティアの言葉に、ルカは振り返る。まるで先ほどのミーティアのように、胸に手を当て、そして……彼はゆっくりと頷いた。ミーティアが手を振れば、彼は走って闇の中へ消えていった。

 もうすぐ、朝になる。徐々に白んでいく空を見ながら、ミーティアはカーテンを閉めず、ベッドの中で、美しい世界のことを想って眠りについた。
 彼女にとっては、この夜見たすべてのできごとが、運命からのすてきな贈り物だったのだ。
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