4話 だから僕はそれをするんだ

「いやあ、夏休みまで秒読みですよ。ユウ」
「……び、秒?」
「もー、言葉のあやだって。ユウは何か予定あるの?」

 ぐ、と喉に石が詰まったような感覚がした。だいたい、来年世界が終わるのに遊びなんて……いや、これは言い訳だ。僕に友達がいないことへの。

「な、無い」

 正直に言うしかなかった。

「だよね。あたしも予定無いんだ、友達みんな親戚のところで過ごすって。ほら……赤い星の話で、親しい人同士で顔見せ合っておこうって」

 むしろ自由に過ごしなよって言ってくれたうちの両親が変わってるというか? とミーは道ばたの小石を蹴った。小石は無力にころんころんと転がって側溝に落ちた。赤い星も誰かに蹴られて地球への軌道をそらしてくれないだろうか。

「だからあたしは家でごろごろと……」
「……じゃあ、さ。ミー」
「あっ」
「あっ」
「……ど、どうぞ? ユウ」
「う、うん」

 息を吸って、吐く。勇気を出せ、僕。

「勉強会、しない? 宿題の見せ合い……図書館とかで」
「あ……」
「あ! いいんだ、別に。ごめん、ぐいぐい行き過ぎた」
「ううん! 助かる! やろうよ、ユウ!」

 ぱあっと笑顔を見せるミーが眩しくて、僕もつられて笑ってしまった。

 それから、僕とミーの夏が始まった。
 
 特別なことは何もしなかった。図書館で夕方まで勉強をしたり、ファミリーレストランでデザートを頼んで長居したり。家以外の冷房を求めたその日限りの旅。それでも、僕を見ると日陰から出てでも駆け寄ってくるミーが、その……可愛くて、僕は幸せな夏休みを過ごした。

「あー、あと一週間で夏休みも終わりかあ」
「……ミー。楽しかった?」
「そりゃもう! ……ユウは?」
「僕も。すごく楽しかった」

 聞き慣れたヒグラシの声の中、二人で笑い合う。すると、ミーがあっと声を上げた。

「ねえ、ユウ」
「……ん?」
「来年はさ、一緒に夏祭り行かない?」
「え……」
「……。……あたし! あたし、君嶋澪音は!」

 僕の少し前を歩いていたミーは、僕の方へ勢いよく振り返る。肩までの黒髪がふわりと揺れた。

「喜多見優くんが……好きです! だから、世界最後の夏、君と一緒にいたい! デートがしたい!」

 その輝きに、僕は目を灼かれた。

「あ……」
「ど、うでしょうか? ユウ……」
「そんなの、そんなの……!」
「わっ!」

 そして、灼かれた目のまま、彼女を手繰り寄せて抱きしめていた。

「……僕も、君が好きだよ。君嶋澪音さん」
「ユウ……あたし、あたしさ……」

 震えた声で、ミーは僕に抱きしめられたまま囁く。そして、僕は見てしまった。

 ぴしり、と音を立てて、空がひび割れるのを。そしてその奥に浮かぶ、赤い光を。

「来年は、なんて言わず、ずっとユウといたかったな……」
「……僕もだよ、ミー」

 ずっと一緒にいたかった。
 それだけのことが、叶わないのだ。僕たちは。

 その事実が怖くて、僕はまた学校に行かなくなった。先生は、宿題をやったことを手紙で褒めてくれた。全部彼女のおかげだ、全部全部、全部……!

 僕の全ては、ミーへの恋でできている。

 ──巡り巡って、夏が来た。世界最後の夏が。屋台の値段はやけくそのように安くて、賑わいもやけくそのように多い。

「ユウ……! 見てこれ、着付け頑張ってみた……わっ!」
「わっ! 大丈夫? ……似合ってる、可愛いよ。ミー」
「……へへ」

 ミーは照れくさそうに笑った。僕たちも僕たちで、やけくそのように恋人らしいことをした。手の繋ぎ方から、お菓子の分け合いまで。浴衣姿のミーはやっぱり可愛くて、慣れていない下駄に躓くのもまた、素敵だった。
 それでも、空はひび割れている。ミーは気づいていないようだ。僕だけがなぜか気づいてしまっている。そして赤い光がどんどん近づいてきていることにも。純粋な赤というより赤褐色に近い丸い星は、禍々しい気配がした。
 僕たちは誰もいない、神社の近くのちょっとした高台に来ていた。事前に僕がリサーチしていた、花火が見やすくて誰も来なさそうな場所。ミーは両手を広げくるくると回ると、僕に向かってあの快活な笑顔を見せた。

「ねえ、ユウ」
「ん」
「大好きだよ」
「僕も」
「へへ……あのさ、大好きならさ、その……してみてよ、ユウから」
「……うん」

 言葉にしなくても、通じ合っていた。僕は彼女の頬に手を添える。彼女は目を閉じる。
 だんだんと距離が縮まる。そして──

 ぶつん。

 赤だけが、残った。

「……あ……?」

 僕はきょろきょろと辺りを見渡す。天も地も赤褐色で、何も、見えない。

「ミー! ……ミー! ねえ! どこ……!?」

 叫んでも、彼女はいない。
 世界が終わった。たった今、すべてが終わった。──僕ひとりをのぞいて。

「銀の子よ」

 真後ろから声がした。思わず振り返る。そこには、ヴェールを纏った、素顔の見えない誰かがいた。

「銀の子、門の子、時空の子よ。お前に力を与えよう」

 僕は息を呑むことしかできなかった。正体の分からない何かは続ける。

「書き続けろ。世界を。───お前は、選ばれた。[#ruby=我が子_ヨグ=ソトースの子#]よ」
 すると、僕の手の中に、何かが現れた。手のひらを開いてみると、それは銀色の意匠が施された鍵だった。
 拍子抜けするほど軽い。
 なのに、その瞬間、世界の重さがすべて流れ込んできた。
 
 無数の書架。
 無数の記録。
 生まれては滅び、生きては失われた、ありとあらゆる可能性。

 ──アカシックレコード。

 時間も、因果も、感情さえも、ただの情報として並べられた場所。そこではヒトもカミも区別はなく、愛も祈りも等価に冷たい。

 僕は、ユウは見た。
 何万回も終わる世界を。赤褐色の星が近づき、空がひび割れ、町が音もなく崩れていく光景を。

 そして、その中に、ミーもいた。笑っているミー、泣いているミー、消えていくミー。
 どうして。
 叫びは声にならなかった。
 これだけの世界があって、どうして彼女はいつも最後に消えてしまうのか。言っていたじゃないか。「ずっと一緒にいたかった」と。そんな小さな願いを胸に抱く女の子が、どうして。
 
 ……僕は、銀の鍵を握りしめた。
 ミーが消える世界の方が、間違っている。

「多くは求めない。全部はいらない」

 拳が痛む。神に向けた言葉でも、誰かへの懇願でもない。
 欲しいものは、最初からひとつしか無かった。

 放課後の教室で、消しゴムを拾いに来て、目が合って。へへ、と笑った、あの女の子。

「あの子だけでいい」

 それは恋だった。
 同時に、祈りだった。
 そして、決意だった。

 どれほど冒涜的で、どれほど歪んでいても。理を踏み越える行為だとしても。
 彼女が笑っている世界を、たったひとつ作れたら良い。

『守りたい』なんて綺麗な感情ではない。彼女を世界から引き剥がすこと。滅びから奪い取ること。何度でもやり直し、彼女が苦しまない結末を書くことができるまで、手を止めないこと。
 ──それを、人は執着と呼ぶ。

 それでも

「待ってて。ミー」

 記録の海の中で、僕は初めてあの子の名前を呼んだ。祈りはもう、神に向けるものじゃない。恋はもう、相手に伝えるものじゃない。

 これは、誓いだ。

 君が生きる世界を作るまで、僕は何度でも世界を作り、壊す。

 ただ、ミーと、夏を越えたかった。
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