11話 花はあなたのために

 王都からの馬車の中に、一人の少女が座っていた。
 
 蜂蜜色の長い髪は一つに編み込まれまとめられている。その髪の一本一本が窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝いていた。窓の外を見る瞳の色は薄紫色。蜂蜜色のまつ毛に縁取られたそれは、宝石のようであった。
 彼女の名はエリーゼ・ヴァレフォール。ヴァレフォール領領主の妻、その人である。
 今年で十四歳。薔薇色の頬は未だまろいラインを残しているものの、花嫁修行の学び舎を卒業した彼女は、立派な淑女の雰囲気を出していた。
 もっとも、今の彼女の頭の中は、ひとつのことでいっぱいだったのだが。
 
 (ラザロ様に会いたいわ)

 手紙にて、迎えに行こうかという夫の提案をあえて断り、待っていてくださいと返事を返したのだ。もう四年、会っていない愛しい人。もしかしたら、会ったら四年前の幼い自分に戻って、抱きついてしまうのではないかと、エリーゼはそれだけが不安であった。それほどにまで、焦がれていた。おとなになるまで待っていてほしいと誓ったが、会いたくて会いたくて仕方がなかったのだ。
 エリーゼはほうと息を吐く。彼のあの白髪混じりの黒髪も、灰色がかった青色の瞳も、上品な香りを纏った体も、全てが懐かしい。変わったところはあるだろうか? 無いだろうか。

「あの優しい声だけは、変わらないでいてくれたらいいわ」

 そう呟き、窓にこつんと頭をあてた。

 石畳の道が、徐々に見覚えのある緑に囲まれていく。
 かつて毎日のように眺めていた風景。けれど今は、すべてが少しだけ違って見えた。季節のせいでも、木々の伸び具合のせいでもない。きっと、見ている自分が、あの頃の“子ども”ではなくなったからなのだろう。
 馬車の窓から吹き込む風が、編んだ髪をそっと揺らす。エリーゼは胸元のリボンに添えられた、小さなブローチへ指を添えた。ラザロから贈られた、あの薄紫の宝石。四年間、胸の中で燃やしてきた想いは、少しも褪せることがなかった。

 ───あと少し。
 あと少しで、あの人に会える。

 それは甘美で、けれど少しだけ怖い時間だった。
 緊張が、喉の奥を締めつける。だが、胸に灯る感情は確かだった。エリーゼは目を閉じ、小さく呼吸を整えた。

「奥さま、間もなくお屋敷が見えてまいります」

 御者の声が、馬車の外から届いた。
 エリーゼは目を開け、少しだけ腰を浮かせて窓の外を覗く。そこには、懐かしさと誇らしさを呼び起こす、かのヴァレフォール邸が、変わらぬ威厳で佇んでいた。

 高く伸びる黒鉄の門。整えられた薔薇の垣根。重厚な石造りの本館の尖塔が、春霞の空を優しく切り取っていた。
 変わらぬ姿に安堵しつつ、エリーゼはその中に、変わったであろう自分が踏み入るという不思議な感覚を味わっていた。

 ──あの中に、ラザロ様がいる。

 心臓が、ことん、と静かに跳ねた。
 四年間、ただ一つの人を想い続けた少女が、今ようやく、自らの意思で帰るのだ。子どもではなく、妻として。

 やがて、馬車は門の前にゆっくりと止まり、従者たちが駆け寄ってくる。扉が開かれ、外気と光が流れ込む。

「お帰りなさいませ、奥さま」

 深く頭を下げる声を背に、エリーゼは一歩、また一歩と馬車を降りた。
 足元に広がる石畳。その下には、確かに彼との日々が埋め込まれている気がした。

 風が吹いた。蜂蜜色の髪がふわりと舞う。
 少女の足取りは、かつてよりもずっと軽やかで、まっすぐだった。その背に、凛とした香気が宿っていた。

 ──ヴァレフォール邸に、花が咲く。
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