13月のふしくれ(神)
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何でもない商店街の入口や、普段は気にも留めない店先にもイルミネーションが灯り始めると、吐き出す息の白さもそのムードの演出に一役買っているかもしれない、なんて感慨にひたってしまうのが12月。世の中は一気にクリスマスモード。
「だからぁ、ネットで見たんだって!」
私はスマホを片手に、休み時間に友達に力いっぱい語りかけた。友達は私の話を未だ迷信だとバカにしたように笑うもんだから、対抗して私の声も自然と大きくなった。
「クリスマスまでに、クリスマスツリーの写真を七つ撮ったら願い事が叶うんだってば!」
「絶対それどっかの漫画じゃん、元ネタ。」
そうなのだ。家でスマホを滑らせていたら、たまたま目にした誰かのSNSで気になる投稿を見かけたのがつい先日のこと。街中にあるクリスマスツリーを写真におさめる。それを七つ集めることが出来れば願いが叶う、と。それを知った私は目を輝かせた。面白そう。流行に左右されやすく、どちらかといえば軽薄に物事を捉える私としては、こんな素敵な企画に飛びつかないわけがない。
「え〜!?やろうよ、みんなで〜。」
「やだよ!」
「やりたい〜!私、あとちょっとで達成なんだってば。七つ集めようよ、クリスマスツリー!」
「だからやだって!苗字、一人でやんなよ!」
私が必死になればなるほど、ケタケタと笑うだけで誰も私の話に乗ってくれない。がっくりと肩を落とした私は、机に寄りかかってスマホのカメラロールをおもむろに開いた。
「うーん、せっかくの素敵な企画なのに。」
今月に入り、自力で撮影したクリスマスツリーは既に五枚。SNSで知ったのち、登下校や休日の外出などで移動先で目につくクリスマスツリーのうち、出来るだけ豪華なものの方が願い事の効力もきっと高まり、宜しいのではないかと自ら解釈し、デパートや駅前の巨大で煌びやかなクリスマスツリーを選別して撮影してきた。そんなクリスマスツリーの写真を上に下にとスマホの画面上で意味もなく指先を滑らせていると、背後から声がかかった。
「うわ。何それ。クリスマスツリーの写真ばっかりだね。」
声の主はクスクスと笑いながら、私のスマホを覗き込んだ。
「う、うわっ!」
意外な人に声をかけられてしまい、私は取り繕うこともできずに椅子から仰け反った。
「神君〜、勝手に覗き見るのやめなって〜。苗字がビビってんじゃん。あはは。」
友達が面白がるように注意をするのを横目に、私はスマホを胸元に引き寄せて隠し、見上げた。その先にクラスメイトの神君がいた。私の斜め後ろの席が彼の席。もうすぐ三限目の授業が始まる。どうやら神君は自席に戻ろうとして、私の席を横切る際に見えたカメラロールが気になったらしい。
「でもさ、神君も気になるよね?ね、ちょっと聞いてくれる?苗字が、すごいバカなこと言ってんだけどさあ、、、」
後ろの席の友達がご丁寧に神君にさっきまでの会話内容の一部始終を説明した。
「ふはっ。マジ?初めて聞いた。そんな話。」
神君も友達と一緒になって面白がるものだから、むきになって言い返したくなったが、タイミング良く三限目のチャイムが鳴る。続いて、日直の「起立」の号令がかかり、私はすごすごと引き下がるしかなかった。
***
私が通う海南大附属高校は、多くの生徒が部活動に勤しんでいる。附属高校であるがゆえに内部進学率が高く、外部からの一般入試枠よりも進学がたやすいせいもあるかもしれない。学業に関しては生徒の自主性を重んじるという自由な校風もあいまって、比較的に勉強よりも部活に力を入れる子が多いみたいだ。スポーツ推薦枠でうちの高校にはいってくる生徒も多数存在しており、運動部は特に活動が盛んだ。とはいえ、中にはよく分からない所属の生徒もいるわけで。例えば私のように。
「あれっ、苗字さん?」
「あ、神君。」
パッタパッタと上靴が廊下を蹴る音が下足箱に近付き、止まったと思ったら声がかかる。上靴をローファーに履き替えて校舎を出ようとしたら、神君が後ろにいた。マフラーを首元に巻いた神君は、通学用のカバンとは別に、部活帰りなのだろうと一目で分かる大きなリュックを背負っていた。
「部活帰り?一人?」
「うん。自転車置き場がさ、体育館から校舎通って、こっちから抜けた方が近いんだよね。体育館からだと大回りでしょ?」
「あー、たしかに。ってか神君、自転車通学なんだ。」
自転車置き場は私達がいる昇降口を出て左側。私は正門のある右側を目指すから、神君とはここでさよならだ。普段ならバスケット部の神君とこうやって放課後に顔を合わせることなどない。逆に神君の方がこんな部活終わりの遅い時間に私と遭遇したことを不思議がる。
「苗字さん、何部だっけ?」
「私?私は、しゃ、写真同好会、、、。」
少しどもって答えてしまう己が悲しい。こういう時に自信を持って言えないのが同好会の弱みである。チラリと神君に目を向ければ、神君も自信なさそうに聞いてくる。
「えっと、、、そんな部あったんだ、、、うちのガッコ。」
神君は今、きっと自分の社交力を全開にし、私との会話を頑張ってくれている。それがはっきりと見てとれて、私の方が申し訳ない気持ちになった。
「無いよ、、、。無いから同好会、なの。知ってる?部活ってね6人以上揃わないと部として認めてもらえないんだよ。」
「苗字さん、写真好きなの?」
「うーん、別に。好きってほどじゃないけど。」
私が所属する写真同好会は一年生の時のクラスの友達と作った同好会だ。カメラに詳しいとか、好きな写真家がいて作品展に足を運ぶとか、カメラを手に被写体を探しに外に出掛けてみる、なんてことは一切やらない。ただ思い付きで面白い写真を撮ってみたり、それをもとに友達と喋っているだけだ。消去法で選んだら興味あることがただそれだっただけで、今では思い付きで集まった気の合う友人とただただ放課後に遊んで帰るだけの同好会である。
「でも、クリスマスツリーの写真撮ってたでしょ?」
神君の問いかけにより私の心は今日の三限目の前までに時間が戻る。そういえばあの時は神君に説明する間もなく、チャイムに遮られたのだった。
「あれさぁ、なんで誰もノッてくれないんだろ。絶対楽しいと思うんだけどな。」
思わず神君に同意を求めるように語りかけてしまったが、こんな話が盛り上がるわけがない。既に三限目の終わりに友人達で実証済みだったことを思い出して、神君との会話も足早に終わらせようと神君に背を向けた。靴を履き替え、昇降口を出ようとする私が、次に発するのは神君に向けての「じゃあ、また明日。神君、バイバイ。」だ。そう頭の中で会話を組み立てて神君に振り向いた。それなのに、神君はあろうことか私の予想を裏切って会話を進めた。
「はは。何枚集めるんだったっけ?」
「え、、、?な、七枚、だけど?」
「今何枚?結構撮ってたよね?見せてよ。」
「今五枚。ってか、五本?って言えばいい?ツリーだし。」
「え、なかなか難しい問題だね、それは。」
そんな私の疑問に笑うだけの返答をし、神君は手元の画面を覗き込んできた。神君は距離を感じさせない話し方をする。神君と私ってこんなに仲良かったんだっけ、と勘違いするくらいに。開放的だとか能天気なキャラクターとはちょっと違う。神君は背が高いイメージはあれど、クラスで特に目立つような男の子じゃない。しかしどうやら私に簡単に話しかけられる程度には、女の子が苦手というわけでもないらしい。
教室にいれば複数人のグループで自然と会話が始まる。決して自分が会話の中心でなくていいからこそ、ぼんやりと成立していたクラスメイトの神君との距離。それが急に真っ直ぐな物差を渡されて、長さを測れと言わんばかりに私に迫ってくる。普段なら気にも留めなかったのに、今こうして真正面で神君との会話を受け止めねばならないことや、それに対してまた何らかの言葉を投げ返さなくてはならないであろうこの状況に私は若干の戸惑いを覚えていた。正直に言って私は男の子とのそれらしい関わり方を知らない。だからもう既に画面にあるカメラロールを右に左にとアレコレと操作しながら神君との会話を持て余してしまっていた。
「オレ、そういうの好きだよ。願い事叶うとかさ、集めるとかさ、ちょっと面白いよね。」
私の隣で神君が吹き出すようにクスリと笑って言った。
「だけど、誰も相手にしてくれないんだもん。頑張って五個集めてはみたけど、私だけじゃあ、もうネタ切れだよ。ははは。」
クリスマスツリーの写真のことだけはない。困ったことに私の笑いは乾いていた。神君ともこれ以上何を話したらよいのかわからなくって、会話のネタも見つからないのだもの。それでも神君は、会話の息継ぎも上手に出来ない私を知ってか知らずか話を続けた。
「あと二枚、だよね?」
「うん。でも行ける範囲でめぼしいものは撮っちゃったから。」
「今週末、オレ、部活の練習試合で電車乗るから街中で見つけたら撮ってこようか?」
「ダメ。それじゃあ、自分で集めたことになんないもん。」
「意外とこだわり強いなあ。」
呆れる神君は、それでも私を放り出したりはせずに笑っていた。そんな神君と目を合わせられずに私は五枚のクリスマスツリーの写真に向かって視線を行ったり来たり。そして嘆いた。
「結局いつも中途半端なんだよね、私。」
部活をやっているわけでもないし、勉強を頑張っているわけでもない。夢中になれることも見つからないまま、もう来年には受験生になってしまう。そういえば彼氏はおろか、好きな人も高校に入ってから出来ていないな。もともと恋愛への関心は薄い方ではあったけれど、神君に話しかけられてしまったことで少し心がそわついた。男の子とも大して接触のない学生生活であることをまざまざと実感してしまい、なんだか気持ちが萎んでいく。私の胸に勝手に湧いた居心地の悪さからも逃げ去りたくて、先に昇降口をくぐり抜けると、またもや神君の言葉が私を追いかけた。
「苗字さん!あそこは?学校近くのさ、ケーキ屋。店頭にクリスマスツリーあったよ。オレ、帰りに見かけたよ。そういえば。」
「えっ、それどこのケーキ屋、、、?」
「正門出て左曲がって、真っ直ぐの。コインランドリーの近くの交差点曲がったとこ。」
「私の家、逆方向だもん。そこ、私、知らない。」
「んー、そうかあ。よし、じゃあさ、、、。」
神君は私に駆け寄った。このときの企むような表情ととっておきの打ち明け話をするような芝居じみた神君の声が妙に印象的だった。
***
「だって苗字さんが、自分で撮らないと意味ない、とかなんとか。言ってなかったっけ?」
「うーん、それはそうなんだけどぉ。」
ガチャコン、と自転車のスタンドを神君が足で弾くと、その反動で後輪のタイヤが跳ねる。
「それにオレ、今日もガッコ終わったら夜まで部活あるし。ちゃんと店が開いてる時間で行けるの、この時間だけだもん。」
「だもん、、、って。ううーん。」
「よし、行こ。」
昼休み。私と神君は校舎の西側にある二年生の駐輪場にいた。自転車通学の神君が自転車を引きながら私に話しかけてくる。私はバス通学ゆえに駐輪場に自分の自転車なんかあるわけないのだ。二人で目的の場所に向かうにしても、自転車は一台だ。ゆえに私は神君に真っ先に確認したいことがあった。
「えっと、、、これはもしかして、私が後ろに乗る、のかな?」
「そうだよ。それとも苗字さんだけ走ってく?」
「え、それはちょっと、、、。だけど二人乗りが見つかって怒られるのは嫌だよ。」
神君の自転車を見回してみるも、いわゆるママチャリのような後輪上部の荷台はなかった。
「私、後から行くから。神君、先に自転車乗って行っちゃっていいよ。」
神君に掴まっての立ち乗りだって、神君との会話にだって、バランス感覚が要求される。足場の不安定さが、そっくりそのまま神君との関係性をなぞらえているように思えて昨日も感じた息苦しさを予感した。
それなのに神君は全くもって気にしていないようで自然体で接してくるのだ。後ずさるような私の発言も神君が意に介する様子はない。
「、、、それはなんか変な感じだなあ。苗字さんを連れてくって言ったのに、意味なくない?」
神君が昨日教えてくれた、クリスマスツリーが店頭に飾ってあるというケーキ屋は道順を教えてもらえば、私一人でも行けるのだ。それなのに神君の中では当たり前のように私と一緒に行くつもりになっていた。理由は至って単純で、面白そうだから、とのこと。一方私も、クリスマスツリーの写真は撮りたいし、目的を達成したいことに変わりはないけれど。でもどうして二人で行くことになっているのかと首をひねる。
神君は今更駐輪場に戻って自転車を置いてくるつもりはないらしく、自転車を押して私に並んで歩き出した。どうやら私が先に行っていいよと言ったことはあっさりと神君には無視されたようだ。おそらく神君は我が強い人なんだと思う。そんな自分に素知らぬ顔をし、いつも笑窪を寄せて愛嬌を作り出す人なんだろう。隣を歩く私はすでに身の置き所がないことを神君は気付いていないのだろうか。ならばと私はもう少し強く主張してみることを試みた。
「私、神君と二人で、その、まともに喋るの、昨日が初めてだったんだよね。」
「うん、そうだよね。」
「なんか、えっと、だから、いきなり神君と二人って気まずいんだけど、、、。」
「うわ、面と向かって気まずいとか人に初めて言われた、、、。」
「あ、ごめん。」
「前から思ってたけどさ、苗字さんって正直すぎない?」
そんなことを言われても。自分を良く見せる術も知らなければ、男の子と二人きりでじっくりと会話したこともない。神君のさっぱりとした物言いに対して、これ以上どう答えていいのかもわからず私は言葉に詰まった。それに対しても神君は全く気にも留めないのだから、どうしていいのか分からずにさらにまごついた。
「そんなに緊張しないでよ。」
「だって。私、神君と何を話せばいい?」
「えー、オレに聞く?そんなにオレ、喋るの得意じゃないよ。」
「私よりは得意そうだよ。」
神君の遠慮のなさに変な対抗心を燃やして私は嫌味の一つでも言ってやりたくなった。それなのにやっぱり神君は私の顔を見てケラケラと笑って言った。
「苗字さんは、正直っていうか、分かりやすいんだね。」
「分かりにくいよりいいと思うけど。」
神君と二人で正門を出る頃には、何と言っていいか分からなかった私も、神君が私のことを面白がり続けるものだから、何か言ってやらないと気が済まなくなっていた。
「えっ、オレ、分かりにくい?」
そうやってわざとらしく私に目を合わせて神君が覗き込んできたから、私は強張る表情を隠さんとして後ずさるばかりだ。
「分かりにくいっていうか!なんか、なんか、やりにくい。」
「やりにくい、、、。ははは!あははは!やっぱり苗字さん、いいキャラしてるよね。やりにくいかぁ。そっかぁ。あはは。可笑しい。」
神君はずっとこんな調子だったけれど、やりにくさの原因を作り出しているのが自分だということを十分に理解しているみたいだ。その上で私の様子を楽しんでいる。けれども言動に意地の悪さを感じさせないのは、神君の笑い声が吹き抜けていく風のように清々しいからかもしれない。その笑い声は、嫌味を言われたり、気を遣われたり、黙ってしまわれるよりは幾分マシではあった。同時に神君に対して私が無遠慮に振る舞う自由も認められた気がして、私は言った。
「でも、クリスマスまでまだ時間あるし、別に今日じゃなくても良かったのに。」
もう私達は校門をくぐり抜けて、運動場のフェンス沿いを歩いているというのに。私は神君のこれまでの興味や関心、善意といったものをすげない態度で打ち捨ててしまった。こういうところが神君の言う、ズケズケと言わなくていいことまで言葉を足してしまう(そこまで神君は言わなかったとはいえ)、分かりやすい私、という評価に繋がるのだろうか、と心の中でぼやいた。
「オレ、クリスマス近くは忙しくなるんだよね。」
私のぼやきは神君にただの雑談として翻された。道理に外れたことを無理に押し付けてくるようなことはしないが、結果的に自分に良いように話を進めていくところがやっぱりちょっと強引だと思う。しかし、クリスマスというワードの出現にそんな思いは一瞬にしてかき消される。もしかして私とこんなことしている場合ではないのでは、と焦ったからだ。
「えっ!?あの、、、忙しいって、もしや彼女さんとか、ですか!?」
「彼女!?無い無い!オレ、彼女とかいないです、、、!」
二人して何故だかかしこまった物言いになってしまって私達は顔を見合わせた。
「って、苗字さん、なんで敬語、、、。」
「いやっ、神君こそ。わっかんないけど。なんか。つい。」
「ふはっ。」
「あはは。」
神君の笑みはしばらく留まったまま、柔らかくほぐして優しい表情に変わる。そんな表情の変化を目で追っていると神君が話し出した。
「バスケの。大会で。この時期はね。」
言われてみれば秋頃から学校の正門側の校舎に、大きな垂れ幕がかかっていたことを思い出す。うちの高校の男子バスケットボール部は春も夏も冬も年がら年中何かしらの大会(それも全国の)に出ているものだから、「男子バスケットボール部○○全国大会出場」なんて文字は、私の記憶に留まることなく校舎の景色の一部と化していた。
「大会ってどこでやるの?」
「東京の。デカい体育館で。」
「それ、すごい大会なの?全国レベルのやつ?」
「まあそうだねぇ。でもオレ二年だし、三年の先輩に連れてってもらう感じかなあ。」
間延びした声で言うものだから緊張感を全く感じさせないけれど、いつも登校時に目に入る垂れ幕の全国という文字が脳裏を掠めた。そうだった。神君のいるバスケ部は全国大会に出るような有名な部活だった。
「神君もバスケ、上手いんでしょ?」
「いや、全然?先輩とか、周りがみんな凄いから。キャラも濃いし。」
そう言って神君は部員の面々を頭に浮かべたみたい。一人で思い出したようにくすくすと笑って話を終わらせた。きっと喋ろうと思えば部活の話なんてたくさんあるし、広がりそうなものなのに、運動部ですらない私相手にはざっくりとした返答が適当だとみなされたようだ。このように私が踏み込んで尋ねてみても、神君はひらりとかわしてまた適正な距離を取る。神君に近付こうとしたわけではなかったが、神君から歩み寄ってきたくせに、神君は正しい感情を表に出してこないのだ。捉えどころがないせいか神君との距離は縮まる気がしないし、かといって遠くなる気配もない。据わりの悪い気持ちを抱えて下を向く。私は神君と自分の靴先を見つめ、無意味に二人の距離感を目測してみては、やっぱり神君はちょっとやりにくい、と思った。
「願い事って何?」
今度は話題を変えて神君が私に尋ねた。
「えっ。」
「だから、願い事。七枚写真撮ると願い事が叶うんでしょ?」
神君が私の目的についておさらいを始めてくれたのだが、私に目的なんてものはサラサラ無かったので返答に困った。しかしながら神君が昼休みを使ってまで付き合ってくれているこの状況に、さすがに私も正直に述べてしまうのはいかがなものかと思いめぐらせ、困った末にこう言った。
「神君が今度の大会で試合に出て、活躍しますように。」
「、、、え。」
神君は今まで聞いたことないようなやけにリアルに驚いた声を出してまじまじと私を見た。私は明らかに今思い付きましたけど、といった風を装い、神君に笑われて終わるだけの会話を予想していたのに。神君の私の真意を掴もうと伺ってくるような表情が、神君を困らせてしまっているのかもしれない、と急に私を焦らせる。
「、、、っていうことにしておこうかな!?あは、あはははは。」
私はあらぬところに視線を泳がせ、乾く笑いを添えた。ところが、冗談を冗談だと改めて言い直すことでやり過ごそうとした私に、神君は子供っぽく人懐っこい笑顔を向けた。
「ありがとう。結構嬉しいかも。そんな風に言ってくれるの。」
真っ直ぐに私を見て言った神君にドキリとした。こんな場面でありがとうなんて言われた試しがなかったものだから、男の子がこんなに穏やかにそして優しく言葉を発するなんて知らなかった。ましてや神君は私のことを面白がっていた節があっただけに、初めてまともに私に向き合ってくれたような気がして意外性が私を脅かしたのかもしれない。神君のストレートな言葉遣いに照れてしまった、と表現するにはなんだか味気ない。こんな風に会話を優しく受け取って貰えたことに対して、嬉しいやら楽しいやらが私の中でないまぜになり、それから胸の奥にじんわりと温かいものが滲んだことに気付いて、気恥ずかしくなる。
「や、でもホントのところ。教えてよ。願い事って、何もないの?」
「えー?うーん。」
だから神君から再度問われ、強いて願うならば、を考えるに至る。こうやって男の子とじっくり会話するのも初めてだったこともあり、神君は私の高校生活に気付きを与えてくれた。好きな人が欲しい。えっと、彼氏は無理でも。誰かを好きになることで、心が弾むような新しい感情に出会えたらいいな。そんなことをふと思い付いた。
「もっと他人に興味を持つ!」
「は?」
神君の質問に対する答えよりも先にぼんやりと浮かんだ願望への宣言が口から出てきてしまった。宣言と同時に力強く握った拳も所在無げにゆっくりとおろした。
「えっと、、、あの、、、特に意味はないです。気にしないで。」
「やっぱちょっと変わってるよね、苗字さんって。ふ、、、ふははは。」
まあいいや、と神君は独り言のように呟き、次に前方の交差点の角を指差し、私の視線を動かした。
「着いた。ほら、あそこ。」
神君の指先の向こうには、舗道に向かってせり出したスロープの先に目的のケーキ屋があった。傾斜路は全体的に真っ白な塗装が施されており、明るさと清潔さを印象付ける。ガラス張りの店構えは、外からでも店内の様子がよくわかり、ショーケースの中にはケーキが行儀良く並んでいた。そして一際目立つのが、店先の入口そばに設置されたクリスマスツリーだ。遠目から見ると壁やスロープのホワイトの店構えとクリスマスツリーの濃いグリーンの茂りとの組み合わせが飾り気がなくとも上品に見えて好ましかった。
「あれ?オレが見るときは電球がついていて、クリスマスツリーっぽかったんだけどな。昼間に見るとそうでもないね。」
ツリーが纏っている電球はチカチカと光ってはいたものの日中の明るさと同化して静かな主張を繰り返していた。神君は素直に感想を述べたが、私は肯定も否定もせず、黙ってクリスマスツリーに近寄った。私の身長をゆうに越える高さと葉っぱの先までもリアルな風合いに、ついつい細部まで目を凝らしてしまう。
「苗字さん、オレ、ちょっと中見てきていい?」
「うん。私、写真撮ってるね。」
私がクリスマスツリーを眺めていると、頭の後ろでカランカラン、とアンティーク調のドアベルが素朴に鳴る。振り向きはしなかったがこの響きで私は神君が店内に足を踏み入れたことを悟る。さすがに写真を撮るだけだとお店に悪いのかな。もしや神くんは気を遣ってくれたのかもしれない、なんてぼんやり気付きつつも一人残された私はクリスマスツリーをさまざまな角度から凝視する。松ぼっくりのオーナメントなんて本物かどうかを質感を触って確かめてみたくなるほどだった。そしてしゃがんだり、背伸びしたり、さまざまな角度からベストな場所を見つけては写真を撮り、画面を確認してを繰り返すともうやる事は無くなり、所在の無さを自覚し始めた頃、ドアベルがさっきと同じようにカランカランと鳴って神君が現れた。
「店の中から見てたけど、苗字さん、結構必死に撮るんだね。ははは!めっちゃ怪しい人だったよ。」
怪しいだなんて。これは目的を達成すべく真面目に行動した結果である。そして連れて来たのは誰よ、なんて非難めいた言葉を伝えようと見上げたら、ただただ楽しく笑う神君の笑顔に張り合う気持ちはどこかに消えた。
「はい。」
私の目の前に可愛くラッピングされた、アイシングクッキーが掲げられた。これ、何?と私が表情で尋ねるのを分かっていたのか、神君は当然のように答える。
「少し早いけど、クリスマスプレゼント。あげる。良かったらどうぞ。」
「うぇっ、、、!?プレゼントって!私、貰うような事、何もしてないじゃん!わ、悪いよ!」
私は驚くばかりで素直に神君の心配りを受け取れない。両手をぶんぶんと左右に振り、頑なに受け取る意志を見せない私に、神君は切り口を変えた言葉で誘った。
「これ、最後の一枚にならない?」
「え?」
神君が差し出したクッキーは、手のひらサイズのクリスマスツリーの形をしたアイシングクッキーだった。緑のクリスマスツリーに白い雪の結晶が小さく乗ったシンプルなもの。プチギフトとして赤いリボンで可愛くラッピングされたそれを、神君は本日の主題の最後を飾る一枚にと提案してくれた。
「なんてね。急いで苗字さんの願い事を叶えさせようとしてるみたいだね、オレ。」
あはは、と目尻に皺を寄せて笑う神君はふざけて言っただけかもしれない。だけど私には十分に大きな意味を持った言葉に聞こえた。ハイ、と神君は再度私にクッキーを差し出し、私はなんだか胸がいっぱいになって断る理由を見失ってしまい、クッキーを両手で受け取った。
「これで願い事叶うかな?叶ったらオレにも教えてね。」
神君の行動も言葉も私を気にかけてくれたものだ。私のいい加減な思い付きにも付き合ってくれた。それが嬉しかったし、そう思えた途端、神君が素敵に思えた。そして私は神君に何らかの言葉を返そうとして、しかし全てを赤裸々に伝えられるわけもなく、こんな言葉が口から咄嗟に飛び出す。
「か、叶った、、、かもしれない、、、。」
「えっ?嘘っ。何?」
神君がビックリしたように目を丸くして聞いてきたので、私もビックリしてしまう。だってなんだか、神君のころころと変わる表情すらずっと眺めていても飽きない、だなんて思えてきたのだもの。
「何でもないっ。これは秘密!絶っ対秘密!」
「えっ、ズルくない?オレ、手伝ったのに。」
「ず、、、ズルいのは神君の方、、、!」
「えー、なんで?」
私は話題を逸らすべく、焦るようにして言った。
「かっ、帰ろうよ!五限目に間に合わなくなるよ!」
「苗字さん、鼻赤いよ。」
「冬は!いつもこうなるの!外にいると!顔見ないでよ!」
顔を赤らめていた理由は別にあるからこそ、恥ずかしさで俯く私の心の内を知ってか知らずか神君は言った。
「あはは、分かった。分かった。じゃあ、帰りはどうする?自転車、乗ってく?」
「、、、乗ってく。」
私が急に素直になったことを良しとしたのか、はたまた急にしおらしくなったことが可笑しいのか、神君は何も言わずただただニコニコと私を見て自転車にまたがる。私もそれにならって、神君の肩を借り、勢いをつけて自転車の後輪のステップに足をかけた。踏み込んだペダルが小気味よく回り出せば、スピードが背中を押すように私達は走り出す。そして神君の後方に位置する私は、神君と顔を合わせないことを良しとして伝える。
「神君。」
「ん?」
「クッキー、ありがとう。」
「どういたしまして。」
私からは神君の後頭部しか見えないけれど、神君のニッコリと微笑んだ表情が浮かんだ。勝手に浮かんでくるのだから、私はどうしちゃったんだろう。そんなことですら可笑しくて神君に見つからないようにこのむずむずする心のくすぐったさに耐えられずくすりと笑った。
帰り道。向かい風の冷たさは、目が覚めるような透き通った気持ちにさせてくれた。来た道をただ戻るだけなはずなのに、この心が弾むような気持ちは新しい場所に向かうみたい。
「だからぁ、ネットで見たんだって!」
私はスマホを片手に、休み時間に友達に力いっぱい語りかけた。友達は私の話を未だ迷信だとバカにしたように笑うもんだから、対抗して私の声も自然と大きくなった。
「クリスマスまでに、クリスマスツリーの写真を七つ撮ったら願い事が叶うんだってば!」
「絶対それどっかの漫画じゃん、元ネタ。」
そうなのだ。家でスマホを滑らせていたら、たまたま目にした誰かのSNSで気になる投稿を見かけたのがつい先日のこと。街中にあるクリスマスツリーを写真におさめる。それを七つ集めることが出来れば願いが叶う、と。それを知った私は目を輝かせた。面白そう。流行に左右されやすく、どちらかといえば軽薄に物事を捉える私としては、こんな素敵な企画に飛びつかないわけがない。
「え〜!?やろうよ、みんなで〜。」
「やだよ!」
「やりたい〜!私、あとちょっとで達成なんだってば。七つ集めようよ、クリスマスツリー!」
「だからやだって!苗字、一人でやんなよ!」
私が必死になればなるほど、ケタケタと笑うだけで誰も私の話に乗ってくれない。がっくりと肩を落とした私は、机に寄りかかってスマホのカメラロールをおもむろに開いた。
「うーん、せっかくの素敵な企画なのに。」
今月に入り、自力で撮影したクリスマスツリーは既に五枚。SNSで知ったのち、登下校や休日の外出などで移動先で目につくクリスマスツリーのうち、出来るだけ豪華なものの方が願い事の効力もきっと高まり、宜しいのではないかと自ら解釈し、デパートや駅前の巨大で煌びやかなクリスマスツリーを選別して撮影してきた。そんなクリスマスツリーの写真を上に下にとスマホの画面上で意味もなく指先を滑らせていると、背後から声がかかった。
「うわ。何それ。クリスマスツリーの写真ばっかりだね。」
声の主はクスクスと笑いながら、私のスマホを覗き込んだ。
「う、うわっ!」
意外な人に声をかけられてしまい、私は取り繕うこともできずに椅子から仰け反った。
「神君〜、勝手に覗き見るのやめなって〜。苗字がビビってんじゃん。あはは。」
友達が面白がるように注意をするのを横目に、私はスマホを胸元に引き寄せて隠し、見上げた。その先にクラスメイトの神君がいた。私の斜め後ろの席が彼の席。もうすぐ三限目の授業が始まる。どうやら神君は自席に戻ろうとして、私の席を横切る際に見えたカメラロールが気になったらしい。
「でもさ、神君も気になるよね?ね、ちょっと聞いてくれる?苗字が、すごいバカなこと言ってんだけどさあ、、、」
後ろの席の友達がご丁寧に神君にさっきまでの会話内容の一部始終を説明した。
「ふはっ。マジ?初めて聞いた。そんな話。」
神君も友達と一緒になって面白がるものだから、むきになって言い返したくなったが、タイミング良く三限目のチャイムが鳴る。続いて、日直の「起立」の号令がかかり、私はすごすごと引き下がるしかなかった。
***
私が通う海南大附属高校は、多くの生徒が部活動に勤しんでいる。附属高校であるがゆえに内部進学率が高く、外部からの一般入試枠よりも進学がたやすいせいもあるかもしれない。学業に関しては生徒の自主性を重んじるという自由な校風もあいまって、比較的に勉強よりも部活に力を入れる子が多いみたいだ。スポーツ推薦枠でうちの高校にはいってくる生徒も多数存在しており、運動部は特に活動が盛んだ。とはいえ、中にはよく分からない所属の生徒もいるわけで。例えば私のように。
「あれっ、苗字さん?」
「あ、神君。」
パッタパッタと上靴が廊下を蹴る音が下足箱に近付き、止まったと思ったら声がかかる。上靴をローファーに履き替えて校舎を出ようとしたら、神君が後ろにいた。マフラーを首元に巻いた神君は、通学用のカバンとは別に、部活帰りなのだろうと一目で分かる大きなリュックを背負っていた。
「部活帰り?一人?」
「うん。自転車置き場がさ、体育館から校舎通って、こっちから抜けた方が近いんだよね。体育館からだと大回りでしょ?」
「あー、たしかに。ってか神君、自転車通学なんだ。」
自転車置き場は私達がいる昇降口を出て左側。私は正門のある右側を目指すから、神君とはここでさよならだ。普段ならバスケット部の神君とこうやって放課後に顔を合わせることなどない。逆に神君の方がこんな部活終わりの遅い時間に私と遭遇したことを不思議がる。
「苗字さん、何部だっけ?」
「私?私は、しゃ、写真同好会、、、。」
少しどもって答えてしまう己が悲しい。こういう時に自信を持って言えないのが同好会の弱みである。チラリと神君に目を向ければ、神君も自信なさそうに聞いてくる。
「えっと、、、そんな部あったんだ、、、うちのガッコ。」
神君は今、きっと自分の社交力を全開にし、私との会話を頑張ってくれている。それがはっきりと見てとれて、私の方が申し訳ない気持ちになった。
「無いよ、、、。無いから同好会、なの。知ってる?部活ってね6人以上揃わないと部として認めてもらえないんだよ。」
「苗字さん、写真好きなの?」
「うーん、別に。好きってほどじゃないけど。」
私が所属する写真同好会は一年生の時のクラスの友達と作った同好会だ。カメラに詳しいとか、好きな写真家がいて作品展に足を運ぶとか、カメラを手に被写体を探しに外に出掛けてみる、なんてことは一切やらない。ただ思い付きで面白い写真を撮ってみたり、それをもとに友達と喋っているだけだ。消去法で選んだら興味あることがただそれだっただけで、今では思い付きで集まった気の合う友人とただただ放課後に遊んで帰るだけの同好会である。
「でも、クリスマスツリーの写真撮ってたでしょ?」
神君の問いかけにより私の心は今日の三限目の前までに時間が戻る。そういえばあの時は神君に説明する間もなく、チャイムに遮られたのだった。
「あれさぁ、なんで誰もノッてくれないんだろ。絶対楽しいと思うんだけどな。」
思わず神君に同意を求めるように語りかけてしまったが、こんな話が盛り上がるわけがない。既に三限目の終わりに友人達で実証済みだったことを思い出して、神君との会話も足早に終わらせようと神君に背を向けた。靴を履き替え、昇降口を出ようとする私が、次に発するのは神君に向けての「じゃあ、また明日。神君、バイバイ。」だ。そう頭の中で会話を組み立てて神君に振り向いた。それなのに、神君はあろうことか私の予想を裏切って会話を進めた。
「はは。何枚集めるんだったっけ?」
「え、、、?な、七枚、だけど?」
「今何枚?結構撮ってたよね?見せてよ。」
「今五枚。ってか、五本?って言えばいい?ツリーだし。」
「え、なかなか難しい問題だね、それは。」
そんな私の疑問に笑うだけの返答をし、神君は手元の画面を覗き込んできた。神君は距離を感じさせない話し方をする。神君と私ってこんなに仲良かったんだっけ、と勘違いするくらいに。開放的だとか能天気なキャラクターとはちょっと違う。神君は背が高いイメージはあれど、クラスで特に目立つような男の子じゃない。しかしどうやら私に簡単に話しかけられる程度には、女の子が苦手というわけでもないらしい。
教室にいれば複数人のグループで自然と会話が始まる。決して自分が会話の中心でなくていいからこそ、ぼんやりと成立していたクラスメイトの神君との距離。それが急に真っ直ぐな物差を渡されて、長さを測れと言わんばかりに私に迫ってくる。普段なら気にも留めなかったのに、今こうして真正面で神君との会話を受け止めねばならないことや、それに対してまた何らかの言葉を投げ返さなくてはならないであろうこの状況に私は若干の戸惑いを覚えていた。正直に言って私は男の子とのそれらしい関わり方を知らない。だからもう既に画面にあるカメラロールを右に左にとアレコレと操作しながら神君との会話を持て余してしまっていた。
「オレ、そういうの好きだよ。願い事叶うとかさ、集めるとかさ、ちょっと面白いよね。」
私の隣で神君が吹き出すようにクスリと笑って言った。
「だけど、誰も相手にしてくれないんだもん。頑張って五個集めてはみたけど、私だけじゃあ、もうネタ切れだよ。ははは。」
クリスマスツリーの写真のことだけはない。困ったことに私の笑いは乾いていた。神君ともこれ以上何を話したらよいのかわからなくって、会話のネタも見つからないのだもの。それでも神君は、会話の息継ぎも上手に出来ない私を知ってか知らずか話を続けた。
「あと二枚、だよね?」
「うん。でも行ける範囲でめぼしいものは撮っちゃったから。」
「今週末、オレ、部活の練習試合で電車乗るから街中で見つけたら撮ってこようか?」
「ダメ。それじゃあ、自分で集めたことになんないもん。」
「意外とこだわり強いなあ。」
呆れる神君は、それでも私を放り出したりはせずに笑っていた。そんな神君と目を合わせられずに私は五枚のクリスマスツリーの写真に向かって視線を行ったり来たり。そして嘆いた。
「結局いつも中途半端なんだよね、私。」
部活をやっているわけでもないし、勉強を頑張っているわけでもない。夢中になれることも見つからないまま、もう来年には受験生になってしまう。そういえば彼氏はおろか、好きな人も高校に入ってから出来ていないな。もともと恋愛への関心は薄い方ではあったけれど、神君に話しかけられてしまったことで少し心がそわついた。男の子とも大して接触のない学生生活であることをまざまざと実感してしまい、なんだか気持ちが萎んでいく。私の胸に勝手に湧いた居心地の悪さからも逃げ去りたくて、先に昇降口をくぐり抜けると、またもや神君の言葉が私を追いかけた。
「苗字さん!あそこは?学校近くのさ、ケーキ屋。店頭にクリスマスツリーあったよ。オレ、帰りに見かけたよ。そういえば。」
「えっ、それどこのケーキ屋、、、?」
「正門出て左曲がって、真っ直ぐの。コインランドリーの近くの交差点曲がったとこ。」
「私の家、逆方向だもん。そこ、私、知らない。」
「んー、そうかあ。よし、じゃあさ、、、。」
神君は私に駆け寄った。このときの企むような表情ととっておきの打ち明け話をするような芝居じみた神君の声が妙に印象的だった。
***
「だって苗字さんが、自分で撮らないと意味ない、とかなんとか。言ってなかったっけ?」
「うーん、それはそうなんだけどぉ。」
ガチャコン、と自転車のスタンドを神君が足で弾くと、その反動で後輪のタイヤが跳ねる。
「それにオレ、今日もガッコ終わったら夜まで部活あるし。ちゃんと店が開いてる時間で行けるの、この時間だけだもん。」
「だもん、、、って。ううーん。」
「よし、行こ。」
昼休み。私と神君は校舎の西側にある二年生の駐輪場にいた。自転車通学の神君が自転車を引きながら私に話しかけてくる。私はバス通学ゆえに駐輪場に自分の自転車なんかあるわけないのだ。二人で目的の場所に向かうにしても、自転車は一台だ。ゆえに私は神君に真っ先に確認したいことがあった。
「えっと、、、これはもしかして、私が後ろに乗る、のかな?」
「そうだよ。それとも苗字さんだけ走ってく?」
「え、それはちょっと、、、。だけど二人乗りが見つかって怒られるのは嫌だよ。」
神君の自転車を見回してみるも、いわゆるママチャリのような後輪上部の荷台はなかった。
「私、後から行くから。神君、先に自転車乗って行っちゃっていいよ。」
神君に掴まっての立ち乗りだって、神君との会話にだって、バランス感覚が要求される。足場の不安定さが、そっくりそのまま神君との関係性をなぞらえているように思えて昨日も感じた息苦しさを予感した。
それなのに神君は全くもって気にしていないようで自然体で接してくるのだ。後ずさるような私の発言も神君が意に介する様子はない。
「、、、それはなんか変な感じだなあ。苗字さんを連れてくって言ったのに、意味なくない?」
神君が昨日教えてくれた、クリスマスツリーが店頭に飾ってあるというケーキ屋は道順を教えてもらえば、私一人でも行けるのだ。それなのに神君の中では当たり前のように私と一緒に行くつもりになっていた。理由は至って単純で、面白そうだから、とのこと。一方私も、クリスマスツリーの写真は撮りたいし、目的を達成したいことに変わりはないけれど。でもどうして二人で行くことになっているのかと首をひねる。
神君は今更駐輪場に戻って自転車を置いてくるつもりはないらしく、自転車を押して私に並んで歩き出した。どうやら私が先に行っていいよと言ったことはあっさりと神君には無視されたようだ。おそらく神君は我が強い人なんだと思う。そんな自分に素知らぬ顔をし、いつも笑窪を寄せて愛嬌を作り出す人なんだろう。隣を歩く私はすでに身の置き所がないことを神君は気付いていないのだろうか。ならばと私はもう少し強く主張してみることを試みた。
「私、神君と二人で、その、まともに喋るの、昨日が初めてだったんだよね。」
「うん、そうだよね。」
「なんか、えっと、だから、いきなり神君と二人って気まずいんだけど、、、。」
「うわ、面と向かって気まずいとか人に初めて言われた、、、。」
「あ、ごめん。」
「前から思ってたけどさ、苗字さんって正直すぎない?」
そんなことを言われても。自分を良く見せる術も知らなければ、男の子と二人きりでじっくりと会話したこともない。神君のさっぱりとした物言いに対して、これ以上どう答えていいのかもわからず私は言葉に詰まった。それに対しても神君は全く気にも留めないのだから、どうしていいのか分からずにさらにまごついた。
「そんなに緊張しないでよ。」
「だって。私、神君と何を話せばいい?」
「えー、オレに聞く?そんなにオレ、喋るの得意じゃないよ。」
「私よりは得意そうだよ。」
神君の遠慮のなさに変な対抗心を燃やして私は嫌味の一つでも言ってやりたくなった。それなのにやっぱり神君は私の顔を見てケラケラと笑って言った。
「苗字さんは、正直っていうか、分かりやすいんだね。」
「分かりにくいよりいいと思うけど。」
神君と二人で正門を出る頃には、何と言っていいか分からなかった私も、神君が私のことを面白がり続けるものだから、何か言ってやらないと気が済まなくなっていた。
「えっ、オレ、分かりにくい?」
そうやってわざとらしく私に目を合わせて神君が覗き込んできたから、私は強張る表情を隠さんとして後ずさるばかりだ。
「分かりにくいっていうか!なんか、なんか、やりにくい。」
「やりにくい、、、。ははは!あははは!やっぱり苗字さん、いいキャラしてるよね。やりにくいかぁ。そっかぁ。あはは。可笑しい。」
神君はずっとこんな調子だったけれど、やりにくさの原因を作り出しているのが自分だということを十分に理解しているみたいだ。その上で私の様子を楽しんでいる。けれども言動に意地の悪さを感じさせないのは、神君の笑い声が吹き抜けていく風のように清々しいからかもしれない。その笑い声は、嫌味を言われたり、気を遣われたり、黙ってしまわれるよりは幾分マシではあった。同時に神君に対して私が無遠慮に振る舞う自由も認められた気がして、私は言った。
「でも、クリスマスまでまだ時間あるし、別に今日じゃなくても良かったのに。」
もう私達は校門をくぐり抜けて、運動場のフェンス沿いを歩いているというのに。私は神君のこれまでの興味や関心、善意といったものをすげない態度で打ち捨ててしまった。こういうところが神君の言う、ズケズケと言わなくていいことまで言葉を足してしまう(そこまで神君は言わなかったとはいえ)、分かりやすい私、という評価に繋がるのだろうか、と心の中でぼやいた。
「オレ、クリスマス近くは忙しくなるんだよね。」
私のぼやきは神君にただの雑談として翻された。道理に外れたことを無理に押し付けてくるようなことはしないが、結果的に自分に良いように話を進めていくところがやっぱりちょっと強引だと思う。しかし、クリスマスというワードの出現にそんな思いは一瞬にしてかき消される。もしかして私とこんなことしている場合ではないのでは、と焦ったからだ。
「えっ!?あの、、、忙しいって、もしや彼女さんとか、ですか!?」
「彼女!?無い無い!オレ、彼女とかいないです、、、!」
二人して何故だかかしこまった物言いになってしまって私達は顔を見合わせた。
「って、苗字さん、なんで敬語、、、。」
「いやっ、神君こそ。わっかんないけど。なんか。つい。」
「ふはっ。」
「あはは。」
神君の笑みはしばらく留まったまま、柔らかくほぐして優しい表情に変わる。そんな表情の変化を目で追っていると神君が話し出した。
「バスケの。大会で。この時期はね。」
言われてみれば秋頃から学校の正門側の校舎に、大きな垂れ幕がかかっていたことを思い出す。うちの高校の男子バスケットボール部は春も夏も冬も年がら年中何かしらの大会(それも全国の)に出ているものだから、「男子バスケットボール部○○全国大会出場」なんて文字は、私の記憶に留まることなく校舎の景色の一部と化していた。
「大会ってどこでやるの?」
「東京の。デカい体育館で。」
「それ、すごい大会なの?全国レベルのやつ?」
「まあそうだねぇ。でもオレ二年だし、三年の先輩に連れてってもらう感じかなあ。」
間延びした声で言うものだから緊張感を全く感じさせないけれど、いつも登校時に目に入る垂れ幕の全国という文字が脳裏を掠めた。そうだった。神君のいるバスケ部は全国大会に出るような有名な部活だった。
「神君もバスケ、上手いんでしょ?」
「いや、全然?先輩とか、周りがみんな凄いから。キャラも濃いし。」
そう言って神君は部員の面々を頭に浮かべたみたい。一人で思い出したようにくすくすと笑って話を終わらせた。きっと喋ろうと思えば部活の話なんてたくさんあるし、広がりそうなものなのに、運動部ですらない私相手にはざっくりとした返答が適当だとみなされたようだ。このように私が踏み込んで尋ねてみても、神君はひらりとかわしてまた適正な距離を取る。神君に近付こうとしたわけではなかったが、神君から歩み寄ってきたくせに、神君は正しい感情を表に出してこないのだ。捉えどころがないせいか神君との距離は縮まる気がしないし、かといって遠くなる気配もない。据わりの悪い気持ちを抱えて下を向く。私は神君と自分の靴先を見つめ、無意味に二人の距離感を目測してみては、やっぱり神君はちょっとやりにくい、と思った。
「願い事って何?」
今度は話題を変えて神君が私に尋ねた。
「えっ。」
「だから、願い事。七枚写真撮ると願い事が叶うんでしょ?」
神君が私の目的についておさらいを始めてくれたのだが、私に目的なんてものはサラサラ無かったので返答に困った。しかしながら神君が昼休みを使ってまで付き合ってくれているこの状況に、さすがに私も正直に述べてしまうのはいかがなものかと思いめぐらせ、困った末にこう言った。
「神君が今度の大会で試合に出て、活躍しますように。」
「、、、え。」
神君は今まで聞いたことないようなやけにリアルに驚いた声を出してまじまじと私を見た。私は明らかに今思い付きましたけど、といった風を装い、神君に笑われて終わるだけの会話を予想していたのに。神君の私の真意を掴もうと伺ってくるような表情が、神君を困らせてしまっているのかもしれない、と急に私を焦らせる。
「、、、っていうことにしておこうかな!?あは、あはははは。」
私はあらぬところに視線を泳がせ、乾く笑いを添えた。ところが、冗談を冗談だと改めて言い直すことでやり過ごそうとした私に、神君は子供っぽく人懐っこい笑顔を向けた。
「ありがとう。結構嬉しいかも。そんな風に言ってくれるの。」
真っ直ぐに私を見て言った神君にドキリとした。こんな場面でありがとうなんて言われた試しがなかったものだから、男の子がこんなに穏やかにそして優しく言葉を発するなんて知らなかった。ましてや神君は私のことを面白がっていた節があっただけに、初めてまともに私に向き合ってくれたような気がして意外性が私を脅かしたのかもしれない。神君のストレートな言葉遣いに照れてしまった、と表現するにはなんだか味気ない。こんな風に会話を優しく受け取って貰えたことに対して、嬉しいやら楽しいやらが私の中でないまぜになり、それから胸の奥にじんわりと温かいものが滲んだことに気付いて、気恥ずかしくなる。
「や、でもホントのところ。教えてよ。願い事って、何もないの?」
「えー?うーん。」
だから神君から再度問われ、強いて願うならば、を考えるに至る。こうやって男の子とじっくり会話するのも初めてだったこともあり、神君は私の高校生活に気付きを与えてくれた。好きな人が欲しい。えっと、彼氏は無理でも。誰かを好きになることで、心が弾むような新しい感情に出会えたらいいな。そんなことをふと思い付いた。
「もっと他人に興味を持つ!」
「は?」
神君の質問に対する答えよりも先にぼんやりと浮かんだ願望への宣言が口から出てきてしまった。宣言と同時に力強く握った拳も所在無げにゆっくりとおろした。
「えっと、、、あの、、、特に意味はないです。気にしないで。」
「やっぱちょっと変わってるよね、苗字さんって。ふ、、、ふははは。」
まあいいや、と神君は独り言のように呟き、次に前方の交差点の角を指差し、私の視線を動かした。
「着いた。ほら、あそこ。」
神君の指先の向こうには、舗道に向かってせり出したスロープの先に目的のケーキ屋があった。傾斜路は全体的に真っ白な塗装が施されており、明るさと清潔さを印象付ける。ガラス張りの店構えは、外からでも店内の様子がよくわかり、ショーケースの中にはケーキが行儀良く並んでいた。そして一際目立つのが、店先の入口そばに設置されたクリスマスツリーだ。遠目から見ると壁やスロープのホワイトの店構えとクリスマスツリーの濃いグリーンの茂りとの組み合わせが飾り気がなくとも上品に見えて好ましかった。
「あれ?オレが見るときは電球がついていて、クリスマスツリーっぽかったんだけどな。昼間に見るとそうでもないね。」
ツリーが纏っている電球はチカチカと光ってはいたものの日中の明るさと同化して静かな主張を繰り返していた。神君は素直に感想を述べたが、私は肯定も否定もせず、黙ってクリスマスツリーに近寄った。私の身長をゆうに越える高さと葉っぱの先までもリアルな風合いに、ついつい細部まで目を凝らしてしまう。
「苗字さん、オレ、ちょっと中見てきていい?」
「うん。私、写真撮ってるね。」
私がクリスマスツリーを眺めていると、頭の後ろでカランカラン、とアンティーク調のドアベルが素朴に鳴る。振り向きはしなかったがこの響きで私は神君が店内に足を踏み入れたことを悟る。さすがに写真を撮るだけだとお店に悪いのかな。もしや神くんは気を遣ってくれたのかもしれない、なんてぼんやり気付きつつも一人残された私はクリスマスツリーをさまざまな角度から凝視する。松ぼっくりのオーナメントなんて本物かどうかを質感を触って確かめてみたくなるほどだった。そしてしゃがんだり、背伸びしたり、さまざまな角度からベストな場所を見つけては写真を撮り、画面を確認してを繰り返すともうやる事は無くなり、所在の無さを自覚し始めた頃、ドアベルがさっきと同じようにカランカランと鳴って神君が現れた。
「店の中から見てたけど、苗字さん、結構必死に撮るんだね。ははは!めっちゃ怪しい人だったよ。」
怪しいだなんて。これは目的を達成すべく真面目に行動した結果である。そして連れて来たのは誰よ、なんて非難めいた言葉を伝えようと見上げたら、ただただ楽しく笑う神君の笑顔に張り合う気持ちはどこかに消えた。
「はい。」
私の目の前に可愛くラッピングされた、アイシングクッキーが掲げられた。これ、何?と私が表情で尋ねるのを分かっていたのか、神君は当然のように答える。
「少し早いけど、クリスマスプレゼント。あげる。良かったらどうぞ。」
「うぇっ、、、!?プレゼントって!私、貰うような事、何もしてないじゃん!わ、悪いよ!」
私は驚くばかりで素直に神君の心配りを受け取れない。両手をぶんぶんと左右に振り、頑なに受け取る意志を見せない私に、神君は切り口を変えた言葉で誘った。
「これ、最後の一枚にならない?」
「え?」
神君が差し出したクッキーは、手のひらサイズのクリスマスツリーの形をしたアイシングクッキーだった。緑のクリスマスツリーに白い雪の結晶が小さく乗ったシンプルなもの。プチギフトとして赤いリボンで可愛くラッピングされたそれを、神君は本日の主題の最後を飾る一枚にと提案してくれた。
「なんてね。急いで苗字さんの願い事を叶えさせようとしてるみたいだね、オレ。」
あはは、と目尻に皺を寄せて笑う神君はふざけて言っただけかもしれない。だけど私には十分に大きな意味を持った言葉に聞こえた。ハイ、と神君は再度私にクッキーを差し出し、私はなんだか胸がいっぱいになって断る理由を見失ってしまい、クッキーを両手で受け取った。
「これで願い事叶うかな?叶ったらオレにも教えてね。」
神君の行動も言葉も私を気にかけてくれたものだ。私のいい加減な思い付きにも付き合ってくれた。それが嬉しかったし、そう思えた途端、神君が素敵に思えた。そして私は神君に何らかの言葉を返そうとして、しかし全てを赤裸々に伝えられるわけもなく、こんな言葉が口から咄嗟に飛び出す。
「か、叶った、、、かもしれない、、、。」
「えっ?嘘っ。何?」
神君がビックリしたように目を丸くして聞いてきたので、私もビックリしてしまう。だってなんだか、神君のころころと変わる表情すらずっと眺めていても飽きない、だなんて思えてきたのだもの。
「何でもないっ。これは秘密!絶っ対秘密!」
「えっ、ズルくない?オレ、手伝ったのに。」
「ず、、、ズルいのは神君の方、、、!」
「えー、なんで?」
私は話題を逸らすべく、焦るようにして言った。
「かっ、帰ろうよ!五限目に間に合わなくなるよ!」
「苗字さん、鼻赤いよ。」
「冬は!いつもこうなるの!外にいると!顔見ないでよ!」
顔を赤らめていた理由は別にあるからこそ、恥ずかしさで俯く私の心の内を知ってか知らずか神君は言った。
「あはは、分かった。分かった。じゃあ、帰りはどうする?自転車、乗ってく?」
「、、、乗ってく。」
私が急に素直になったことを良しとしたのか、はたまた急にしおらしくなったことが可笑しいのか、神君は何も言わずただただニコニコと私を見て自転車にまたがる。私もそれにならって、神君の肩を借り、勢いをつけて自転車の後輪のステップに足をかけた。踏み込んだペダルが小気味よく回り出せば、スピードが背中を押すように私達は走り出す。そして神君の後方に位置する私は、神君と顔を合わせないことを良しとして伝える。
「神君。」
「ん?」
「クッキー、ありがとう。」
「どういたしまして。」
私からは神君の後頭部しか見えないけれど、神君のニッコリと微笑んだ表情が浮かんだ。勝手に浮かんでくるのだから、私はどうしちゃったんだろう。そんなことですら可笑しくて神君に見つからないようにこのむずむずする心のくすぐったさに耐えられずくすりと笑った。
帰り道。向かい風の冷たさは、目が覚めるような透き通った気持ちにさせてくれた。来た道をただ戻るだけなはずなのに、この心が弾むような気持ちは新しい場所に向かうみたい。
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