解き放てアニバーサリー(三井)
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屋上のドアを背もたれにして私は大きくため息をついた。
「はー、野宮君、彼女出来たんだって。一個下の部活の後輩だって。」
「おー、そりゃめでてーな。」
「もー、ムカつくなー、ひー君。」
座り込んで見上げた先には、今しがた私がひー君と呼んだ同級生が立っており私を見下ろしている。ここは校舎の階段を登り切った先にある屋上前の踊り場。両足を放り出すとひんやりとした床が冷たくって一息ついて心を落ち着けるにはうってつけの場所だ。いつからかドアには鍵がかけられ屋上には入れないようになってしまったのは残念なのだが、それゆえに誰も近寄らなくなって、この屋上ドア前は校内の穴場スポットでもあった。
***
昨日まで好きな人がいた。隣のクラスの男の子。背は目の前の彼よりは低いけど、部活で日焼けした肌が笑顔をより一層引き立てて魅力的だった、と思う。委員会が一緒でいつも私に挨拶をしてくれた。そんな律儀でオープンな性格に惹かれていたのだが、そんな思いを打ち明ける間もなく、彼女がいることを知って人知れずこの恋は終わりを告げた。でも、人知れずっていうのが切ないじゃない。せめて何か爪痕を残したっていいじゃない。そんな悔しさが滲み出るも私に出来ることは一つだけ。行き場のない思いの捌け口に、ひー君を呼び出すことしかできない。
ひー君は、みんなからはみっちゃんとか三井君って呼ばれているけど、私は小学生の頃に習っていたミニバスチームが一緒だったこともあり、その頃からのチーム内の呼び名で頑なに呼ばせてもらっている。幼馴染という訳ではないけれど、通う学校がずっと同じだったせいもあり顔を合わせたら喋りもするし、付かず離れず。振り返ってみたら一番古くから知ってる男の子になっていた。そんな彼を18歳になった今でも小学生の頃の呼び名で呼び続けても良いのかと、何度か迷ったことだってある。しかし単に呼び慣れているというのもあるし、今更呼び名を周囲に合わせて変えるのは、なんだか私がとってもひー君を意識しているみたいで居心地が悪い。ひー君としてもそんな私をからかってくるに違いないから、今ではもう意固地に呼び続ける行為でもって、己の面目を保っているところがあった。ひー君はひー君で、私のこの呼び方に何も指摘しないところをみると対して気にしていないのだろう。呼び方を気にするような思春期はとっくの昔に過ぎ去ったらしい。きっと私だけが、ひー君との距離感に不安定さを感じていて、どうして良いかわからないまま二人の関係について体裁を繕い続けている、というのが正しい状況なのだろう。
近頃のひー君は、私がずっとダサい、ダサいと会う度に伝えていた長髪をばっさりと切り、また部活に通い出した。ひー君が隣に並ぶと短かくなった髪の毛のおかげで、今まで横髪が邪魔して隠れていた表情もはっきりと見てとれた。やっぱり髪の毛は短い方が似合っていると思う。
「で?まだ引きずってんのかよ。」
私の隣に腰を下ろしたひー君の横顔はとてもつまらなそうだったので、私は首を左右に振って、努めて軽めに回答した。
「相手のことを引きずるっていうか、、、。好きでいた期間の自分の気持ちを否定することになるのがつらいだけ〜。」
「どういうことだよ、それ。」
「諦めるっていうのは、好きだった気持ちをぜーんぶ無かったことにしなきゃなのかなあーって。」
「んなことねーだろ。」
「え?」
「その時、その時の気持ちと今を比べて白黒付ける必要なんかなくね?」
ひー君の妙に確信的で強い意思のこもった一言に、私は拍手を送りたくなるくらい目を丸くして感心した。
「ひー君って、恋愛相談とか上手そうだね。」
「ほぼしねーよ。あと、慰めるのとかマジ無理だからな、オレ。」
「ふふ、じゃあ今日は記念日だ。」
「なんのだよ。」
「ひー君が私を慰める記念日。」
「だから、慰めたりとかしねーって、オレ。」
記念日などとわざと馬鹿げた表現で伝えようとはしてみたが、私の笑い声は乾いており、そして胸の内は湿っぽいままだ。ひー君と目を合わせてしまうと、くすぶっていた本当の思いが噴き出してきそうだったから、私は顔を背け、目を伏せる。
「どうせあれだろ?名前はまた、好きな奴がすぐできんだろ。」
昔から私は相当惚れっぽい。初恋以降、好きな人がいない時間の方が少ない。ひー君はそんな私のことを、よーく知っているものだから、今回の件だってただの風邪みたいなものだと思っている節がある。あったかくして薬飲んで寝ろ、とでも言う程度に乱暴な言葉をくれた。
この乱暴さに、ひー君の私への優しさと、投げやりさが入り混じっているのだが、それが余計に私の胸を締め付けた。私に新たに好きな人でも出来ればこの淀み沈んだ気持ちは陸地にあげることが出来るのか。いや、打ち揚げられても私の胸はもう肺呼吸の仕方を忘れちゃったかもしれないよ、ひー君。
「、、、好きになっても、向こうが好きじゃないと意味ないって最近思い始めたの。」
「は?今更じゃね?」
ひー君が両腕を組み、私の発言のちぐはぐさに変人でも見るかような目で私の顔を覗き込んできたから、私は睨みつけながらひー君の近寄ってきた頭を両手で退けてみる。
私が少しだけこぼした本音を、ひー君は大事に拾ってくれないものだから、自分の思い通りにいかないこの気持ちがもどかしく、不満に変わってこう言った。
「もういい!片思いだって何かと楽しいもんね!」
「どこが。全然楽しくねーよ。」
ワントーン低い声でぼそりと呟いたひー君のつまらなそうな横顔にハッとする。微かな苛立ちに似た表情を見せながらも、ひー君は何かと私について世話を焼いてくれている。だけどそれはひー君が優しいから、ということだけで片付きはしないのだ。
「ごめんね、ひー君。」
「、、、何に謝ってんだよ。」
「別に。」
色んな意味を込めての私のごめん、はきっとひー君には伝わっているはずなのだ。だけどもそれにはあえてとぼけたフリをするのがひー君で、私もそれに合わせて有耶無耶にする。
私がある日どこかで恋を諦めて、懲りもせずにまた始める。その度にひー君は面白くない顔で私を睨んでくるのだ。
「ひー君、肩貸してくれる?」
「おう。」
それなのに私は今日も今日とて一方的にひー君に甘えてしまうのだ。私がひー君の肩に顔を寄せると、ひー君は静かに正面を向いた。私は誰かに心を寄せないと、いつだって自分で立ち上がることもできない。そんな自分の弱さを見せられる相手はひー君だけなのだ。そしてひー君はそれを黙って受け止めてくれるのだから、私達はどうしようもない支え合いをしながら、不毛な心の行き先を探そうとしていた。
「手も。握って。」
「おう。」
ひー君の膝の上に置かれた手が伸びて、私の手に重なった。握ってくる大きな手も、私が寄せた肩も。ひー君の触れる箇所はどうしてそんなに熱を帯びているのだろう。ああ、どうしてひー君はこんなに薄情で、ひー君でない別の誰かを好きになる私のことを好きでいてくれるのだろう。私の方が切なくなるじゃない。私は昨日まで別の男の子を好きだと言っていたのに、だ。
「嫌でしょ、こんな女。」
「それが全っ然、嫌じゃねーんだよなー。クッソ。」
「あははは。」
ひー君のことは昔からよく知っている。かっこいいとか、優しいとか、喋りたいとか、一緒にいたいとか、そんなごく標準的に好きな異性に対する気持ちを覚える前から当然のように近くにいた男の子なのだ。ひー君が私のことを好きなんだろうな、ということも対応や態度でなんとなく感じるようになってはいたが、私が今更態度をひっくり返すような真似を出来ずに今の状態だ。ひー君のことを、ひー君としか呼べないように、ひー君のことを気にしながらも、好きだなんてとっくに言えなくなってしまっていた。
最初はひー君の気を引きたかったのだと思う。幼さから来る衝動的な感情で「好きな人がいるんだよね。」と言えばひー君は私の話を聞いてくれたから、来る日も来る日も他に好きな人がいる自分を演じ続け、ひー君でない誰かを好きで続ける努力をせねばならなくなった。こうして私はいつしか心の予防線を張るようになってしまう。自分の気持ちを認めず、可能性から逃げ続けているのが本当の私。
まあ、実際のところ、気の多い私でもあるので、ひー君のことは地味に気にしつつも、ジェットコースターのような恋愛に目を向けがちな私は、瞬間的に別の男の子に熱を上げてしまうことだってあったのだけども。
「ひー君、私、失恋しちゃった。」
「知ってる。いつもじゃねーか。」
「慰めて欲しいのに。いつもそうやって突き放すんだから。」
「慰め方なんて知らねーよ。」
「まあ、いいや。もう少しだけ肩貸しててね?今日はひー君に慰めてもらう日だって決めたんだから。」
「そりゃ良い記念日になるわ。って、これ何回目だ?大して珍しくもねーか、名前の失恋記念日は。」
「あはは。何それ、失礼記念日すぎる。」
「ふはっ!くだらなすぎなんだよ。」
ひー君はうっすらと、でも直感的に分かっていた。こんなに惚れっぽい私がひー君には好きだとは決して言わないって。だからひー君からも決定的な言葉は言ってこない。私達は常にきっかけをあちこちにばら撒きながら、ギリギリのところで決して何も始めようとしなかった。臆病なところがそっくりであることに皮肉にも似た笑いが込み上げて、少しひねくれた言葉で問う。
「ひー君と付き合ったら楽しいだろうな、きっと。」
私が発した言葉の後にひー君の言葉は続かず、私の独り言として片付けられて思いと共に消えていく。私達の思いの位置関係はねじれている。交わることも平行になることもない私とひー君の真っ直ぐな線はどこを目指して進めば良いのだろうか。少しの沈黙の後、ひー君は私の呟きに対し歪んだ答えを出した。
「キスしようか。」
ひー君と繋いでいた私の手が僅かにビクついた。それを押さえつけるようにして、ひー君の手に力が入る。私を離そうとしない、ということはこれは本気であることが伝わった。ああ、指先に熱がこもる。
「したら好きになっちゃうかも。」
「、、、なっていいよ。」
肯定的で能動的な言葉とは裏腹に、ひー君のやけに冷静な響きが混ざる吐息が私の耳朶を撫でた。
「近い。近いよ。ひー君。」
「お前が寄りかかってきたからじゃねーかよ。」
私達は至近距離で瞳を交わらせ、唇までの距離をはかる。握られた手は、私が少し力を入れたら払い除けることはおそらく容易い。それをすべきかどうかを迷って固まってしまった私を見かねたのか、先に動いたのはひー君だった。私の手を離し立ち上がった。ひー君の肩に預けていた私の頭はその支えを失って、目の前に立ったひー君を追いかけるようにして上を向く。
「さて、と。オレ、部活行こ。」
ひー君はもういつもの態度に戻っていて、背伸びをして言った。この一言に私は肩透かしを食らってしまったが、次いでやってきた安堵の感情が全てを押し退けた。急激に私達の関係が変わるなんて、そんな覚悟が私に無かったことに気付かされる。しかし、それをひー君に僅かでも悟られるのは何だか嫌で、私も負けじと平然を装って言い返した。
「ひー君、変わったねー。」
ちょっと前までひー君が部活に行くなんて信じられなかったのだが、今ではもうこっちの方が自然な姿のように思えてくるほどしっくりと馴染んでいるからおかしい。それでも周囲から見たら、あの三井君が、と誰もが言うのだろう。
「変わってねーよ。昔からオレは。」
「そう?以前より随分とスポーツマンに見えるよ。ふふ。」
ひー君にとって以前の話を持ち出されるのはバツが悪いらしくそっぽを向くから、私は殊更に軽口を叩き返して笑った。すると苦々しい表情をひー君は一転させて、真っ直ぐに私を見た。そしていつものように両腕を組み、ちょっと偉そうにして言う。
「フェアプレーの精神、大事にしてますんで。」
それは先程のキスが未遂に終わったことについての言及のつもりだったのかは分からない。それでもひー君の十分すぎるくらいのしたり顔は私に対する宣戦布告に見えたのだ。可笑しさを我慢してひー君に言った。
「嘘ばっか。」
互いに思いを交わそうとすると翻してばかり。私達のねじれた気持ちは同一平面上にはないらしいが、同じ空間に存在しているらしい。互いの存在を認識して、少しずつ少しずつ近づいている。その距離はもう手を伸ばせば触れて引き寄せられるほどに。
「はー、野宮君、彼女出来たんだって。一個下の部活の後輩だって。」
「おー、そりゃめでてーな。」
「もー、ムカつくなー、ひー君。」
座り込んで見上げた先には、今しがた私がひー君と呼んだ同級生が立っており私を見下ろしている。ここは校舎の階段を登り切った先にある屋上前の踊り場。両足を放り出すとひんやりとした床が冷たくって一息ついて心を落ち着けるにはうってつけの場所だ。いつからかドアには鍵がかけられ屋上には入れないようになってしまったのは残念なのだが、それゆえに誰も近寄らなくなって、この屋上ドア前は校内の穴場スポットでもあった。
***
昨日まで好きな人がいた。隣のクラスの男の子。背は目の前の彼よりは低いけど、部活で日焼けした肌が笑顔をより一層引き立てて魅力的だった、と思う。委員会が一緒でいつも私に挨拶をしてくれた。そんな律儀でオープンな性格に惹かれていたのだが、そんな思いを打ち明ける間もなく、彼女がいることを知って人知れずこの恋は終わりを告げた。でも、人知れずっていうのが切ないじゃない。せめて何か爪痕を残したっていいじゃない。そんな悔しさが滲み出るも私に出来ることは一つだけ。行き場のない思いの捌け口に、ひー君を呼び出すことしかできない。
ひー君は、みんなからはみっちゃんとか三井君って呼ばれているけど、私は小学生の頃に習っていたミニバスチームが一緒だったこともあり、その頃からのチーム内の呼び名で頑なに呼ばせてもらっている。幼馴染という訳ではないけれど、通う学校がずっと同じだったせいもあり顔を合わせたら喋りもするし、付かず離れず。振り返ってみたら一番古くから知ってる男の子になっていた。そんな彼を18歳になった今でも小学生の頃の呼び名で呼び続けても良いのかと、何度か迷ったことだってある。しかし単に呼び慣れているというのもあるし、今更呼び名を周囲に合わせて変えるのは、なんだか私がとってもひー君を意識しているみたいで居心地が悪い。ひー君としてもそんな私をからかってくるに違いないから、今ではもう意固地に呼び続ける行為でもって、己の面目を保っているところがあった。ひー君はひー君で、私のこの呼び方に何も指摘しないところをみると対して気にしていないのだろう。呼び方を気にするような思春期はとっくの昔に過ぎ去ったらしい。きっと私だけが、ひー君との距離感に不安定さを感じていて、どうして良いかわからないまま二人の関係について体裁を繕い続けている、というのが正しい状況なのだろう。
近頃のひー君は、私がずっとダサい、ダサいと会う度に伝えていた長髪をばっさりと切り、また部活に通い出した。ひー君が隣に並ぶと短かくなった髪の毛のおかげで、今まで横髪が邪魔して隠れていた表情もはっきりと見てとれた。やっぱり髪の毛は短い方が似合っていると思う。
「で?まだ引きずってんのかよ。」
私の隣に腰を下ろしたひー君の横顔はとてもつまらなそうだったので、私は首を左右に振って、努めて軽めに回答した。
「相手のことを引きずるっていうか、、、。好きでいた期間の自分の気持ちを否定することになるのがつらいだけ〜。」
「どういうことだよ、それ。」
「諦めるっていうのは、好きだった気持ちをぜーんぶ無かったことにしなきゃなのかなあーって。」
「んなことねーだろ。」
「え?」
「その時、その時の気持ちと今を比べて白黒付ける必要なんかなくね?」
ひー君の妙に確信的で強い意思のこもった一言に、私は拍手を送りたくなるくらい目を丸くして感心した。
「ひー君って、恋愛相談とか上手そうだね。」
「ほぼしねーよ。あと、慰めるのとかマジ無理だからな、オレ。」
「ふふ、じゃあ今日は記念日だ。」
「なんのだよ。」
「ひー君が私を慰める記念日。」
「だから、慰めたりとかしねーって、オレ。」
記念日などとわざと馬鹿げた表現で伝えようとはしてみたが、私の笑い声は乾いており、そして胸の内は湿っぽいままだ。ひー君と目を合わせてしまうと、くすぶっていた本当の思いが噴き出してきそうだったから、私は顔を背け、目を伏せる。
「どうせあれだろ?名前はまた、好きな奴がすぐできんだろ。」
昔から私は相当惚れっぽい。初恋以降、好きな人がいない時間の方が少ない。ひー君はそんな私のことを、よーく知っているものだから、今回の件だってただの風邪みたいなものだと思っている節がある。あったかくして薬飲んで寝ろ、とでも言う程度に乱暴な言葉をくれた。
この乱暴さに、ひー君の私への優しさと、投げやりさが入り混じっているのだが、それが余計に私の胸を締め付けた。私に新たに好きな人でも出来ればこの淀み沈んだ気持ちは陸地にあげることが出来るのか。いや、打ち揚げられても私の胸はもう肺呼吸の仕方を忘れちゃったかもしれないよ、ひー君。
「、、、好きになっても、向こうが好きじゃないと意味ないって最近思い始めたの。」
「は?今更じゃね?」
ひー君が両腕を組み、私の発言のちぐはぐさに変人でも見るかような目で私の顔を覗き込んできたから、私は睨みつけながらひー君の近寄ってきた頭を両手で退けてみる。
私が少しだけこぼした本音を、ひー君は大事に拾ってくれないものだから、自分の思い通りにいかないこの気持ちがもどかしく、不満に変わってこう言った。
「もういい!片思いだって何かと楽しいもんね!」
「どこが。全然楽しくねーよ。」
ワントーン低い声でぼそりと呟いたひー君のつまらなそうな横顔にハッとする。微かな苛立ちに似た表情を見せながらも、ひー君は何かと私について世話を焼いてくれている。だけどそれはひー君が優しいから、ということだけで片付きはしないのだ。
「ごめんね、ひー君。」
「、、、何に謝ってんだよ。」
「別に。」
色んな意味を込めての私のごめん、はきっとひー君には伝わっているはずなのだ。だけどもそれにはあえてとぼけたフリをするのがひー君で、私もそれに合わせて有耶無耶にする。
私がある日どこかで恋を諦めて、懲りもせずにまた始める。その度にひー君は面白くない顔で私を睨んでくるのだ。
「ひー君、肩貸してくれる?」
「おう。」
それなのに私は今日も今日とて一方的にひー君に甘えてしまうのだ。私がひー君の肩に顔を寄せると、ひー君は静かに正面を向いた。私は誰かに心を寄せないと、いつだって自分で立ち上がることもできない。そんな自分の弱さを見せられる相手はひー君だけなのだ。そしてひー君はそれを黙って受け止めてくれるのだから、私達はどうしようもない支え合いをしながら、不毛な心の行き先を探そうとしていた。
「手も。握って。」
「おう。」
ひー君の膝の上に置かれた手が伸びて、私の手に重なった。握ってくる大きな手も、私が寄せた肩も。ひー君の触れる箇所はどうしてそんなに熱を帯びているのだろう。ああ、どうしてひー君はこんなに薄情で、ひー君でない別の誰かを好きになる私のことを好きでいてくれるのだろう。私の方が切なくなるじゃない。私は昨日まで別の男の子を好きだと言っていたのに、だ。
「嫌でしょ、こんな女。」
「それが全っ然、嫌じゃねーんだよなー。クッソ。」
「あははは。」
ひー君のことは昔からよく知っている。かっこいいとか、優しいとか、喋りたいとか、一緒にいたいとか、そんなごく標準的に好きな異性に対する気持ちを覚える前から当然のように近くにいた男の子なのだ。ひー君が私のことを好きなんだろうな、ということも対応や態度でなんとなく感じるようになってはいたが、私が今更態度をひっくり返すような真似を出来ずに今の状態だ。ひー君のことを、ひー君としか呼べないように、ひー君のことを気にしながらも、好きだなんてとっくに言えなくなってしまっていた。
最初はひー君の気を引きたかったのだと思う。幼さから来る衝動的な感情で「好きな人がいるんだよね。」と言えばひー君は私の話を聞いてくれたから、来る日も来る日も他に好きな人がいる自分を演じ続け、ひー君でない誰かを好きで続ける努力をせねばならなくなった。こうして私はいつしか心の予防線を張るようになってしまう。自分の気持ちを認めず、可能性から逃げ続けているのが本当の私。
まあ、実際のところ、気の多い私でもあるので、ひー君のことは地味に気にしつつも、ジェットコースターのような恋愛に目を向けがちな私は、瞬間的に別の男の子に熱を上げてしまうことだってあったのだけども。
「ひー君、私、失恋しちゃった。」
「知ってる。いつもじゃねーか。」
「慰めて欲しいのに。いつもそうやって突き放すんだから。」
「慰め方なんて知らねーよ。」
「まあ、いいや。もう少しだけ肩貸しててね?今日はひー君に慰めてもらう日だって決めたんだから。」
「そりゃ良い記念日になるわ。って、これ何回目だ?大して珍しくもねーか、名前の失恋記念日は。」
「あはは。何それ、失礼記念日すぎる。」
「ふはっ!くだらなすぎなんだよ。」
ひー君はうっすらと、でも直感的に分かっていた。こんなに惚れっぽい私がひー君には好きだとは決して言わないって。だからひー君からも決定的な言葉は言ってこない。私達は常にきっかけをあちこちにばら撒きながら、ギリギリのところで決して何も始めようとしなかった。臆病なところがそっくりであることに皮肉にも似た笑いが込み上げて、少しひねくれた言葉で問う。
「ひー君と付き合ったら楽しいだろうな、きっと。」
私が発した言葉の後にひー君の言葉は続かず、私の独り言として片付けられて思いと共に消えていく。私達の思いの位置関係はねじれている。交わることも平行になることもない私とひー君の真っ直ぐな線はどこを目指して進めば良いのだろうか。少しの沈黙の後、ひー君は私の呟きに対し歪んだ答えを出した。
「キスしようか。」
ひー君と繋いでいた私の手が僅かにビクついた。それを押さえつけるようにして、ひー君の手に力が入る。私を離そうとしない、ということはこれは本気であることが伝わった。ああ、指先に熱がこもる。
「したら好きになっちゃうかも。」
「、、、なっていいよ。」
肯定的で能動的な言葉とは裏腹に、ひー君のやけに冷静な響きが混ざる吐息が私の耳朶を撫でた。
「近い。近いよ。ひー君。」
「お前が寄りかかってきたからじゃねーかよ。」
私達は至近距離で瞳を交わらせ、唇までの距離をはかる。握られた手は、私が少し力を入れたら払い除けることはおそらく容易い。それをすべきかどうかを迷って固まってしまった私を見かねたのか、先に動いたのはひー君だった。私の手を離し立ち上がった。ひー君の肩に預けていた私の頭はその支えを失って、目の前に立ったひー君を追いかけるようにして上を向く。
「さて、と。オレ、部活行こ。」
ひー君はもういつもの態度に戻っていて、背伸びをして言った。この一言に私は肩透かしを食らってしまったが、次いでやってきた安堵の感情が全てを押し退けた。急激に私達の関係が変わるなんて、そんな覚悟が私に無かったことに気付かされる。しかし、それをひー君に僅かでも悟られるのは何だか嫌で、私も負けじと平然を装って言い返した。
「ひー君、変わったねー。」
ちょっと前までひー君が部活に行くなんて信じられなかったのだが、今ではもうこっちの方が自然な姿のように思えてくるほどしっくりと馴染んでいるからおかしい。それでも周囲から見たら、あの三井君が、と誰もが言うのだろう。
「変わってねーよ。昔からオレは。」
「そう?以前より随分とスポーツマンに見えるよ。ふふ。」
ひー君にとって以前の話を持ち出されるのはバツが悪いらしくそっぽを向くから、私は殊更に軽口を叩き返して笑った。すると苦々しい表情をひー君は一転させて、真っ直ぐに私を見た。そしていつものように両腕を組み、ちょっと偉そうにして言う。
「フェアプレーの精神、大事にしてますんで。」
それは先程のキスが未遂に終わったことについての言及のつもりだったのかは分からない。それでもひー君の十分すぎるくらいのしたり顔は私に対する宣戦布告に見えたのだ。可笑しさを我慢してひー君に言った。
「嘘ばっか。」
互いに思いを交わそうとすると翻してばかり。私達のねじれた気持ちは同一平面上にはないらしいが、同じ空間に存在しているらしい。互いの存在を認識して、少しずつ少しずつ近づいている。その距離はもう手を伸ばせば触れて引き寄せられるほどに。
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