余ることと足りないこと(牧)
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「にしても、客来ねーな。人気無いな、うちのお化け屋敷。」
牧君が壁に背中を預ける。物足りなさそうに言うから、私は新たな話題を投じてみた。
「この時間、みんな体育館に行ってるんだよ。軽音楽部のバンド演奏、毎年人気じゃん?」
「ああ、なるほど。盛り上がるもんな。うちのクラスの奴等も何人かステージ上がるんだったよな?」
「うん、そうそう。塚本君もね、出るんだって。ギターすっごく上手いって有名だよね。私、一年の時も二年の時も見に行ったよ。ミーハーでしょ?私。」
えへへ、と笑うと牧君は真面目そうな顔をして聞いた。
「今年は見に行かないのか?今日も演ってたりするんじゃないのか?」
「ううん、今年はいいの。それに、文芸部の部室って、向かいに音楽室があるから、練習しているのをよく聴いてたもの。」
こっそりと楽しみにしていた塚本君のバンドは明日が正式な出番なのだ。だけどそれももうどうでもいい。もともと今日、彼が歌うなんていう情報だって私が知るべきことではなかったのだ。落ち込む必要はあるわけないし、何にも気にする必要なんかない。ミヤちゃんだけが知っていれば良い情報だったのだ。私は大きく息を吸って、そのように言い聞かせるべく一度胸におさめる。そしてまた大きく息を吐いた。自分の中の淀んだ気持ちを追い出せるかと思ってのことだが、牧君にはそれが思い悩むため息として映ったのだろうか。
「、、、聞いていいか?苗字って、明日の11時の回だったよな、当番。何で急に、、、。」
「代わってって頼まれたからだよ。」
私はなるべく感情を乗せないようにして答えた。限りなく少ない情報だけで牧君と会話しようとしたのだが、牧君はなおも聞いてきた。
「ああ、宮田に?」
「うん。」
これ以上はもう聞かないで欲しい。そんな思いを込め、私は自分の腿裏に巻き込んだスカートを握り、うん、と力強く言ったつもりなのだが、牧君には通じなかったらしい。
「そうか。そっちか。そうだよな。」
そうだよな?そっちか?そっちってどっち?牧君が、そっちを認めて一人で結論付けようとするものだから、それを遮りたくなって本当の気持ちとか本当でない気持ちとが交互に頭の中で駆け巡った。これ以上この会話を続けるつもりはなかったのに、とにかく言葉の数で上書きし、元の思いを塗り潰して自分でも分からなくしないと気が済まなくなってきた。
「牧君も知ってるでしょ?ミヤちゃん、塚本君と付き合い出したの。塚本君ってね、今日も体育館のステージに出るんだって。だから、ミヤちゃんが見に行きたいって。だから、その時間で交代出来るのが私だったの。だから。」
だから、だからと自分の気持ちの落とし所を探しながら、私は牧君に言う。
「、、、私に断る理由、ないじゃん。」
私は両膝に顔をうずめた。こんなトーンでここまで牧君に言ってしまうと、あとから絶対に後悔することも予測できたけれど、もう後戻り出来ないほど会話の歯車がちぐはぐに回り始めた。
「オレ、関係なかったか。」
牧君がそっと呟いた。私は顔を上げずにうずくまったまま声だけを上げて強調した。
「牧君は最初っから関係ないよ。」
「そんなこと言うなよ。ちょっと浮ついたよ、オレは。」
「はあ?何で、、、」
「はーい!2名ずつご案内しまーす。2組続けていきまーす。いってらっしゃいー!」
牧君の言わんとする意図が分からなくて、私が牧君に顔を上げて聞き直そうとした時、受付係の子の大きな案内の声に遮られた。そして牧君が次に私にかけた言葉は、「ほら、仕事だ。こんにゃくに水付けろって。」だった。こんな台詞、私の人生において今後誰かに言われる機会などあるのだろうか、いやない。なんだか自分の役割が情けなくて、途方もなく笑えてきてしまった。お客さんが私達のエリアを通過した後、愉快さにこらえられなくて牧君にこのことを伝えたら、牧君も同じことを思っていたらしく、私達は顔を見合わせてしばらく笑った。何やってんだろ、私達。
***
「牧君、今何時?時計してる?」
「今45分。もうすぐ15時で、交代だ。」
腕時計を確認しながら牧君は答えた。お客さんが体育館の催しに集まっているせいだろうか。あれから誰一人お化け屋敷には来なかった。私と牧君は衝立の陰に隠れて座ったまま、時間の経過をただ待つばかりだ。黙っているとどちらかが思い出したようにぽつんと話題を投じては、それに答えたり、疑問を投じたり、そしてまた静かになるのを繰り返す。黙っていても居心地は悪くなかった。いやむしろ、牧君と私の会話にぴったりなリズムが暗黙の了解のうちに生まれていたらしい。牧君は聞き上手で、会話に焦ったりはしない。喋りたい時に喋ればいい。牧君はそんな空気を作るのが上手いんだと思った。
「苗字、このあとはどこか回るのか?」
「ううん、文芸部の展示教室に戻るよ。あそこ椅子あるし、ずっと座って休憩できるもの。」
「それじゃ、部誌貰いに行こうかな、オレ。」
「うっ、別に私に義理立てしなくてもいい、、、よ?」
私の返答に、ふっ、と呼吸だけで笑った牧君は、私に文化祭のスケジュールが印刷されたしおりを要求した。さきほど牧君に示すべく、私の短歌を汚い字で書き殴った、あのしおりを。牧君に促されるままにしおりを手渡したら、牧君はそのしおりを再度手にし、眺めながら聞いてきた。
「部誌に掲載していないものもあるのか?」
「そりゃあるよ。ボツの山なんだから、私の頭の中は。」
「じゃあ、苗字のそのボツの山から、どうか一首。」
「何でボツからのリクエストなのかなあ?」
牧君は一段と柔らかい口調で言った。でもそれは丁寧ながらも丸い声だったものだから、私も軽い笑いで打ち返した。それほどには牧君と打ち解けていた自覚がある。
頭に浮かんだのはあの歌だ。本懐を遂げるとまではいかないけれど、出番が回ってきたんだと思い込んだ。牧君に聞いて欲しいと思ったわけじゃない。ただどこかで弔ってやらないと、私自身もやるせない思いを抱えたままなのは嫌だったのだ。
「"君が笑う回数を数えてなぞる目の前のチョークストライプ"」
なるたけ早口にならないよう、一音一音をそっと置くように声にした。でも声に出した後はそっと煙のように消えて欲しかった。
「チョークストライプって何だ?」
「ストライプの柄の一つだよ。黒板のチョークみたいな線の。」
「これもきっと苗字なりの解釈というか、意図があるんだろ?」
「、、、秘密。」
「なんで。」
「だって全然ダメダメだもん。」
両腕と両膝を抱えるようにして私は丸まった。この歌の下の句はチョークストライプではなくて、本来は揺れるストラップだったのだ。塚本君のギターをイメージして。しかしミヤちゃんと塚本君が付き合い始めたと聞いた時、私の気持ちはチョークみたいにその輪郭がかすれた。だからこの歌も無理に書き変えた。実際には塚本君の部活中に音楽室に足を踏み入れたことなんてないし、隣にはいつもミヤちゃんがいたんだもの。だからこの歌はミヤちゃんの視点でしかなくって、私はどこにも存在しないんだ。音楽室の黒板に書かれた五線譜が浮かぶ。無理矢理に語呂を合わせて繕ったはずなのに、チョークストライプという響きに、こっちの方がなんか良い感じにまとまったじゃん、なんて孤独に評価して、そしていじけた。歌の中ですら私は彼に近付けなかった。
「塚本、体育館にいるんじゃないか?」
「なんで塚本君が出てくるのよ。」
「なんとなく。」
牧君はこれ以上深入りしてこなかった。何も踏み出そうとしなかった私自身を表しているみたいに思えた。そして私の心に溜め込んだモヤモヤはとうとう耐え切れなくなって、私を責めて暴れた。
「あのね、牧君。言い訳っぽく聞こえるかもしれないけど。これだけはちゃんと言っとく。良い?聞いて?別に好きとか、そういうんじゃないからね。好きになる手前で引き返したからね。」
「まあ、苗字がそう言うなら。」
「そうよ。そうなのよ。好きとかじゃないもん。好きとかじゃないんだから。ただちょっとカッコいいなって思ってたくらいの、憧れみたいなものなんだから。」
またしても早口になっている自覚はあった。だからさっさとこの話題からも足早に去りたい。
「っていうか。別に今の話は関係ないとは思うけどさ。牧君には。」
「関係ないっちゃないけど、あるっちゃあるかな。」
「意味分かんない。私の作る短歌くらい意味分かんない。」
「はは、そうか?」
いじけつつ、自分への皮肉も込めた笑いで返したら、牧君もつられて笑ってくれた。
「ホント、どうしたらいいんだろな。」
笑った息継ぎのあとで、牧君はそうつぶやいた。私の心の行き先を考えようとしてくれてのものなのか、牧君が私との会話のちぐはぐさに困ってのものなのだろうか。牧君と私の会話のキャッチボールに繋がりがあるのかないのかも分からなかったし、牧君からの問いかけの意味もよく分からない。しかし私は自分勝手にスッキリしていた。
心の内を吐き出すということは、空っぽになるということだ。また一つ一つさまざまな思いを選りすぐって詰め込んで行けばいいのだ。出来るだけ楽しい、心が弾むようなことを。牧君との会話で自然と前向きさが戻ってきた。だから、思うことは様々あっても、牧君には力強くこう答えた。
「頑張るしかないのよ。」
「そうだな。ははは。」
私が漠然としか答えなかったにも関わらず、牧君は頷いてくれた。だから聞き上手なんだと思う。会話の内容がフワフワとしていて、着地出来ずにその辺を漂っていても二人ともこだわらない。このまま会話が途切れても、きっと平気な二人だろう。なのに牧君は声を上げた。
「よし。オレも頑張ってみるかな。」
私を見ながら不敵に口角を上げる牧君を不思議に思う。うちの高校のバスケ部は強いらしいし、牧君はそこでキャプテンを任されている。牧君には、大学からも進学について声が掛かっているって誰かが言ってた。高校バスケ特集で雑誌にも記事が載ってたこともあるそうで、クラスの男子が話題にしていたこともある。牧君はもう色々と頑張ってる人じゃん。何を私につられて宣言する必要があるんだか。そんなことを言い返したくなって口を開きかけた瞬間、牧君が動いた。
「おし。時間だ。もう次の当番が来てるんじゃないか?交代しようぜ。」
「えっ、あ、うん。」
腕時計を確認した牧君は中腰になって衝立から這い出て、受付のいる入口に向かう。私もその後ろを付いて行き、次の当番と交代する。暗闇に目が慣れていたせいで、廊下の窓から差し込む自然光ですら眩しい。用事もないので、そそくさと文芸部の展示教室へ戻ろうとした私に牧君から声がかかる。
「苗字、体育館へ行ってみないか?」
「えぇぇ、、、、もういいって。」
塚本君のことは本当にもう気にしていないのだ。だから、牧君と話したことは全て、今日だけのこととしてどうかおさめて欲しい。そんな気持ちを伝えたくて、光の刺激に耐えて細めていた目に、眉間の皺を足して、苦い顔で牧君を見上げた。ところが牧君はこう言った。
「違うよ、第二の方。記念講堂のところだ。」
うちの高校には体育施設がいくつかある。第二体育館はバスケ部が全国常連校となったのを契機に、十年くらい前に建てられたと聞いている。ゆえにほぼバスケ部専用の体育館と言っても過言ではない。実際に、牧君達はいつも第二体育館で練習をしているらしい。
「あー、バスケ部?そういえば、文化祭ってバスケ部も何か催し的なやつやってるの?」
「第二体育館でシュートゲームやってるよ。バスケ部と対決して勝ったら、駄菓子貰えるぞ。」
「駄菓子って、、、。ってか、海南のバスケ部相手に挑む人なんかいないでしょ。」
「そんなことないぞ。ハンデもあるし。」
明るい場所でまじまじと牧君を見た。牧君って鼻筋が通ってるんだな。あ、目元にホクロもあるんだ。案外、他人の顔ってちゃんとは見ていないものなのかもしれない。そして今更気付かされるものはそれだけではない。牧君とは一緒の空間にいても緊張しなかったし、存外喋りやすかった。それにつられて、一方的に私がベラベラと余計な話をしてしまった感は否めない。牧君の話ももっと聞いてあげれば良かったな、と反省する。私は牧君に歩み寄って聞いた。
「牧君はシュート、得意なの?」
「お、勝負するか?」
「いや、いいって。駄菓子だけちょうだいよ。」
「ははは、セコイな。」
「そこは牧君の力でなんとか。キャプテンの権力を見せてよ、私に。」
私がふざけて言ったら牧君が、オレ、そんなに権力ねーんだよ、とボヤいて笑った。私も一緒になってクスクスと面白がった。
「じゃあ、オレがバスケ部と勝負して、駄菓子をゲットするか。」
「あはは!牧君、バスケ部なのに、バスケ部と対決するの〜?なら、私に駄菓子だけくれる?」
「分かった。これは負けられないな。」
牧君がやたら張り切って言うものだから、大変可笑しい。楽しくなって、私は牧君について行ってみようかと思った。せっかくの文化祭なんだし、この勢いに乗ろうと、心にネジを巻いてみる。
牧君と共にバスケ部のいる体育館へ向かう。渡り廊下を歩いているとかすかに鳴る音の存在に気付く。きっと軽音楽部がまだステージで演奏しているのだろう。甲高いギター音とバスドラムの重い響きだけが、途切れ途切れに風に乗って聞こえてくる。でも何の曲を演奏しているかなんて、ちっとも分からなかった。
「苗字、こっち。」
牧君が私を呼んだ。今は牧君の緩く落ち着いた声の方が私の近くにあった。
牧君が壁に背中を預ける。物足りなさそうに言うから、私は新たな話題を投じてみた。
「この時間、みんな体育館に行ってるんだよ。軽音楽部のバンド演奏、毎年人気じゃん?」
「ああ、なるほど。盛り上がるもんな。うちのクラスの奴等も何人かステージ上がるんだったよな?」
「うん、そうそう。塚本君もね、出るんだって。ギターすっごく上手いって有名だよね。私、一年の時も二年の時も見に行ったよ。ミーハーでしょ?私。」
えへへ、と笑うと牧君は真面目そうな顔をして聞いた。
「今年は見に行かないのか?今日も演ってたりするんじゃないのか?」
「ううん、今年はいいの。それに、文芸部の部室って、向かいに音楽室があるから、練習しているのをよく聴いてたもの。」
こっそりと楽しみにしていた塚本君のバンドは明日が正式な出番なのだ。だけどそれももうどうでもいい。もともと今日、彼が歌うなんていう情報だって私が知るべきことではなかったのだ。落ち込む必要はあるわけないし、何にも気にする必要なんかない。ミヤちゃんだけが知っていれば良い情報だったのだ。私は大きく息を吸って、そのように言い聞かせるべく一度胸におさめる。そしてまた大きく息を吐いた。自分の中の淀んだ気持ちを追い出せるかと思ってのことだが、牧君にはそれが思い悩むため息として映ったのだろうか。
「、、、聞いていいか?苗字って、明日の11時の回だったよな、当番。何で急に、、、。」
「代わってって頼まれたからだよ。」
私はなるべく感情を乗せないようにして答えた。限りなく少ない情報だけで牧君と会話しようとしたのだが、牧君はなおも聞いてきた。
「ああ、宮田に?」
「うん。」
これ以上はもう聞かないで欲しい。そんな思いを込め、私は自分の腿裏に巻き込んだスカートを握り、うん、と力強く言ったつもりなのだが、牧君には通じなかったらしい。
「そうか。そっちか。そうだよな。」
そうだよな?そっちか?そっちってどっち?牧君が、そっちを認めて一人で結論付けようとするものだから、それを遮りたくなって本当の気持ちとか本当でない気持ちとが交互に頭の中で駆け巡った。これ以上この会話を続けるつもりはなかったのに、とにかく言葉の数で上書きし、元の思いを塗り潰して自分でも分からなくしないと気が済まなくなってきた。
「牧君も知ってるでしょ?ミヤちゃん、塚本君と付き合い出したの。塚本君ってね、今日も体育館のステージに出るんだって。だから、ミヤちゃんが見に行きたいって。だから、その時間で交代出来るのが私だったの。だから。」
だから、だからと自分の気持ちの落とし所を探しながら、私は牧君に言う。
「、、、私に断る理由、ないじゃん。」
私は両膝に顔をうずめた。こんなトーンでここまで牧君に言ってしまうと、あとから絶対に後悔することも予測できたけれど、もう後戻り出来ないほど会話の歯車がちぐはぐに回り始めた。
「オレ、関係なかったか。」
牧君がそっと呟いた。私は顔を上げずにうずくまったまま声だけを上げて強調した。
「牧君は最初っから関係ないよ。」
「そんなこと言うなよ。ちょっと浮ついたよ、オレは。」
「はあ?何で、、、」
「はーい!2名ずつご案内しまーす。2組続けていきまーす。いってらっしゃいー!」
牧君の言わんとする意図が分からなくて、私が牧君に顔を上げて聞き直そうとした時、受付係の子の大きな案内の声に遮られた。そして牧君が次に私にかけた言葉は、「ほら、仕事だ。こんにゃくに水付けろって。」だった。こんな台詞、私の人生において今後誰かに言われる機会などあるのだろうか、いやない。なんだか自分の役割が情けなくて、途方もなく笑えてきてしまった。お客さんが私達のエリアを通過した後、愉快さにこらえられなくて牧君にこのことを伝えたら、牧君も同じことを思っていたらしく、私達は顔を見合わせてしばらく笑った。何やってんだろ、私達。
***
「牧君、今何時?時計してる?」
「今45分。もうすぐ15時で、交代だ。」
腕時計を確認しながら牧君は答えた。お客さんが体育館の催しに集まっているせいだろうか。あれから誰一人お化け屋敷には来なかった。私と牧君は衝立の陰に隠れて座ったまま、時間の経過をただ待つばかりだ。黙っているとどちらかが思い出したようにぽつんと話題を投じては、それに答えたり、疑問を投じたり、そしてまた静かになるのを繰り返す。黙っていても居心地は悪くなかった。いやむしろ、牧君と私の会話にぴったりなリズムが暗黙の了解のうちに生まれていたらしい。牧君は聞き上手で、会話に焦ったりはしない。喋りたい時に喋ればいい。牧君はそんな空気を作るのが上手いんだと思った。
「苗字、このあとはどこか回るのか?」
「ううん、文芸部の展示教室に戻るよ。あそこ椅子あるし、ずっと座って休憩できるもの。」
「それじゃ、部誌貰いに行こうかな、オレ。」
「うっ、別に私に義理立てしなくてもいい、、、よ?」
私の返答に、ふっ、と呼吸だけで笑った牧君は、私に文化祭のスケジュールが印刷されたしおりを要求した。さきほど牧君に示すべく、私の短歌を汚い字で書き殴った、あのしおりを。牧君に促されるままにしおりを手渡したら、牧君はそのしおりを再度手にし、眺めながら聞いてきた。
「部誌に掲載していないものもあるのか?」
「そりゃあるよ。ボツの山なんだから、私の頭の中は。」
「じゃあ、苗字のそのボツの山から、どうか一首。」
「何でボツからのリクエストなのかなあ?」
牧君は一段と柔らかい口調で言った。でもそれは丁寧ながらも丸い声だったものだから、私も軽い笑いで打ち返した。それほどには牧君と打ち解けていた自覚がある。
頭に浮かんだのはあの歌だ。本懐を遂げるとまではいかないけれど、出番が回ってきたんだと思い込んだ。牧君に聞いて欲しいと思ったわけじゃない。ただどこかで弔ってやらないと、私自身もやるせない思いを抱えたままなのは嫌だったのだ。
「"君が笑う回数を数えてなぞる目の前のチョークストライプ"」
なるたけ早口にならないよう、一音一音をそっと置くように声にした。でも声に出した後はそっと煙のように消えて欲しかった。
「チョークストライプって何だ?」
「ストライプの柄の一つだよ。黒板のチョークみたいな線の。」
「これもきっと苗字なりの解釈というか、意図があるんだろ?」
「、、、秘密。」
「なんで。」
「だって全然ダメダメだもん。」
両腕と両膝を抱えるようにして私は丸まった。この歌の下の句はチョークストライプではなくて、本来は揺れるストラップだったのだ。塚本君のギターをイメージして。しかしミヤちゃんと塚本君が付き合い始めたと聞いた時、私の気持ちはチョークみたいにその輪郭がかすれた。だからこの歌も無理に書き変えた。実際には塚本君の部活中に音楽室に足を踏み入れたことなんてないし、隣にはいつもミヤちゃんがいたんだもの。だからこの歌はミヤちゃんの視点でしかなくって、私はどこにも存在しないんだ。音楽室の黒板に書かれた五線譜が浮かぶ。無理矢理に語呂を合わせて繕ったはずなのに、チョークストライプという響きに、こっちの方がなんか良い感じにまとまったじゃん、なんて孤独に評価して、そしていじけた。歌の中ですら私は彼に近付けなかった。
「塚本、体育館にいるんじゃないか?」
「なんで塚本君が出てくるのよ。」
「なんとなく。」
牧君はこれ以上深入りしてこなかった。何も踏み出そうとしなかった私自身を表しているみたいに思えた。そして私の心に溜め込んだモヤモヤはとうとう耐え切れなくなって、私を責めて暴れた。
「あのね、牧君。言い訳っぽく聞こえるかもしれないけど。これだけはちゃんと言っとく。良い?聞いて?別に好きとか、そういうんじゃないからね。好きになる手前で引き返したからね。」
「まあ、苗字がそう言うなら。」
「そうよ。そうなのよ。好きとかじゃないもん。好きとかじゃないんだから。ただちょっとカッコいいなって思ってたくらいの、憧れみたいなものなんだから。」
またしても早口になっている自覚はあった。だからさっさとこの話題からも足早に去りたい。
「っていうか。別に今の話は関係ないとは思うけどさ。牧君には。」
「関係ないっちゃないけど、あるっちゃあるかな。」
「意味分かんない。私の作る短歌くらい意味分かんない。」
「はは、そうか?」
いじけつつ、自分への皮肉も込めた笑いで返したら、牧君もつられて笑ってくれた。
「ホント、どうしたらいいんだろな。」
笑った息継ぎのあとで、牧君はそうつぶやいた。私の心の行き先を考えようとしてくれてのものなのか、牧君が私との会話のちぐはぐさに困ってのものなのだろうか。牧君と私の会話のキャッチボールに繋がりがあるのかないのかも分からなかったし、牧君からの問いかけの意味もよく分からない。しかし私は自分勝手にスッキリしていた。
心の内を吐き出すということは、空っぽになるということだ。また一つ一つさまざまな思いを選りすぐって詰め込んで行けばいいのだ。出来るだけ楽しい、心が弾むようなことを。牧君との会話で自然と前向きさが戻ってきた。だから、思うことは様々あっても、牧君には力強くこう答えた。
「頑張るしかないのよ。」
「そうだな。ははは。」
私が漠然としか答えなかったにも関わらず、牧君は頷いてくれた。だから聞き上手なんだと思う。会話の内容がフワフワとしていて、着地出来ずにその辺を漂っていても二人ともこだわらない。このまま会話が途切れても、きっと平気な二人だろう。なのに牧君は声を上げた。
「よし。オレも頑張ってみるかな。」
私を見ながら不敵に口角を上げる牧君を不思議に思う。うちの高校のバスケ部は強いらしいし、牧君はそこでキャプテンを任されている。牧君には、大学からも進学について声が掛かっているって誰かが言ってた。高校バスケ特集で雑誌にも記事が載ってたこともあるそうで、クラスの男子が話題にしていたこともある。牧君はもう色々と頑張ってる人じゃん。何を私につられて宣言する必要があるんだか。そんなことを言い返したくなって口を開きかけた瞬間、牧君が動いた。
「おし。時間だ。もう次の当番が来てるんじゃないか?交代しようぜ。」
「えっ、あ、うん。」
腕時計を確認した牧君は中腰になって衝立から這い出て、受付のいる入口に向かう。私もその後ろを付いて行き、次の当番と交代する。暗闇に目が慣れていたせいで、廊下の窓から差し込む自然光ですら眩しい。用事もないので、そそくさと文芸部の展示教室へ戻ろうとした私に牧君から声がかかる。
「苗字、体育館へ行ってみないか?」
「えぇぇ、、、、もういいって。」
塚本君のことは本当にもう気にしていないのだ。だから、牧君と話したことは全て、今日だけのこととしてどうかおさめて欲しい。そんな気持ちを伝えたくて、光の刺激に耐えて細めていた目に、眉間の皺を足して、苦い顔で牧君を見上げた。ところが牧君はこう言った。
「違うよ、第二の方。記念講堂のところだ。」
うちの高校には体育施設がいくつかある。第二体育館はバスケ部が全国常連校となったのを契機に、十年くらい前に建てられたと聞いている。ゆえにほぼバスケ部専用の体育館と言っても過言ではない。実際に、牧君達はいつも第二体育館で練習をしているらしい。
「あー、バスケ部?そういえば、文化祭ってバスケ部も何か催し的なやつやってるの?」
「第二体育館でシュートゲームやってるよ。バスケ部と対決して勝ったら、駄菓子貰えるぞ。」
「駄菓子って、、、。ってか、海南のバスケ部相手に挑む人なんかいないでしょ。」
「そんなことないぞ。ハンデもあるし。」
明るい場所でまじまじと牧君を見た。牧君って鼻筋が通ってるんだな。あ、目元にホクロもあるんだ。案外、他人の顔ってちゃんとは見ていないものなのかもしれない。そして今更気付かされるものはそれだけではない。牧君とは一緒の空間にいても緊張しなかったし、存外喋りやすかった。それにつられて、一方的に私がベラベラと余計な話をしてしまった感は否めない。牧君の話ももっと聞いてあげれば良かったな、と反省する。私は牧君に歩み寄って聞いた。
「牧君はシュート、得意なの?」
「お、勝負するか?」
「いや、いいって。駄菓子だけちょうだいよ。」
「ははは、セコイな。」
「そこは牧君の力でなんとか。キャプテンの権力を見せてよ、私に。」
私がふざけて言ったら牧君が、オレ、そんなに権力ねーんだよ、とボヤいて笑った。私も一緒になってクスクスと面白がった。
「じゃあ、オレがバスケ部と勝負して、駄菓子をゲットするか。」
「あはは!牧君、バスケ部なのに、バスケ部と対決するの〜?なら、私に駄菓子だけくれる?」
「分かった。これは負けられないな。」
牧君がやたら張り切って言うものだから、大変可笑しい。楽しくなって、私は牧君について行ってみようかと思った。せっかくの文化祭なんだし、この勢いに乗ろうと、心にネジを巻いてみる。
牧君と共にバスケ部のいる体育館へ向かう。渡り廊下を歩いているとかすかに鳴る音の存在に気付く。きっと軽音楽部がまだステージで演奏しているのだろう。甲高いギター音とバスドラムの重い響きだけが、途切れ途切れに風に乗って聞こえてくる。でも何の曲を演奏しているかなんて、ちっとも分からなかった。
「苗字、こっち。」
牧君が私を呼んだ。今は牧君の緩く落ち着いた声の方が私の近くにあった。
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